事案第二十一号「途中式」(4)
秋穂家に訪問するのは、これで何度目だろうか。
これまでの、白瀬先パイとの濃密な半年を思えば、回数自体はとても少ないと思う。
だけど、騙し討ちではなく招かれての訪問は、夕食にお呼ばれしたというのは、緊張の度合いがかなり高い。
娘さんをください、宜ござんす差し上げましょうなんてやりとりをしに行くくらいの緊張だ。
戴くなんて威張った口の利ける境遇ではないんだ。むしろわたしをこそ、どうぞ貰って下さい。ご存じのとおり母親のないひねくれた子ですと売り込むべき、ご家庭訪問。
白瀬先パイのお姉さんが誕生日だというのは、ユリドロさんから情報を得ている。だからお姉さんへのプレゼントを急遽用意した感じが出ない程度に用意して、ご一族様への手みやげも忘れちゃいけない。
ここで芸能人の娘とかいう鼻持ちならない成金に思われないように、工夫も必要だろうと思ったら、
「やっぱり、ここよね」
朝日駅までバスで来て、駅ビルになっている総合スーパーに入った。
目的は、一階にあるカフェ。以前、白瀬先パイと膝を付き合わせて話したお店だ。
ドリップカフェの詰め合わせにお菓子のセット。
熨斗は「お祝い」でつけてもらった。完璧。
ご一族様分は、カフェとは違う洋菓子店で有名なバターサンドを一箱。熨斗は「ご挨拶」で。完璧。
気遣いのできる女であらねば、白瀬先パイの顔に泥を塗ってしまう。
以前にお邪魔したときは手ぶらになってしまったから。空の賜杯みたいなことをしてしまったことは今も悔いている。夢にまで見そうな気がする。見たことないけど。
さて、あまり時間がないので家には帰れない。だけど帰りが遅くなるのは間違いない。
十二月。夜の天気予報は晴れ。
雪の心配はないけれど、制服の上にストール一枚は寒いんじゃないだろうか。
せっかくスーパーにいるんだし、薄手のコートでも間に合わせで買おうか?
こういうときに相談したい相手が、白瀬先パイなんだけどな。
買った服を似合ってる、かわいいねと言わせたい相手も白瀬先パイなのが困る。二度と中学生にも満たないなんて評価をさせてなるものか、なんて無意味に肥大化した自己顕示欲に支配されているのが、わたしだ。
なんとなく婦人服売り場に立ち寄る。
サイズ感だけで選んだらジュニアがちょうどいいんだけど、ユリギノ女学院の制服に合わせる、っていうのは難しいテーマだ。
短い丈の白いブレザー。小豆色のハイウエストのロングスカート。
合わせるなら、ブレザーが見えない前提で、黒いジージャンとかありなの?
わからない。マネキン売りしてほしい。制服とセットで見せるのは無理か。
考え込むこと、五分。
携帯電話が鳴っていることに気がついた。
『あ、綾街。もう朝日駅から出た? なんか、ねーちゃんが綾街を拾っていきたいって言ってるんだけど』
「なんと、そんな、畏れ多いです」
『どうせ医療大だから、通り道なんだよ。綾街の家も覚えてるって言うし、北藍駅でも朝日駅でも大丈夫だとさ。むしろ断ると、後が怖いよ』
どんな脅しだ。
白瀬先パイのお姉さんには随分と気に入られているんだろうけど、それにしたって何回もお会いした訳じゃないし、気が引けるっていうのは分かってほしい。
だけど。
「じゃあ、朝日神社まで来ていただけるんでしょうか」
わたしが提示した伺いには、白瀬先パイの苦笑が返ってきた。
『隙間時間でも調査するの?』
「そうですね、なんとなく、悔しいから」
いまいち掘り下げきれていないところを、ついでに攻略してしまおう。
そんな浅い考えで朝日神社に向かったところ、あと十五分くらいでお見えになるということだった。
できることは限られる。
神社の方に資料を見せろだなんてことは迂闊に言えないから、立て看板を眺めることくらいしかできないだろうけど。
時折現れる白い北狐。
あの子は本当に、開拓時代の木滝常彦さんなのか、確定したい。
荒唐無稽にもほどがある。
だけど、開拓時代の信仰心っていうものが、人を神にしたのなら、同じように、ユリギノさんも、本当に存在している証拠となるんじゃないだろうか。
水銀灯の明かりの下、参道を歩く。
石畳を、ローファーのソールが叩く音。
玉砂利を蹴ってしまい、カラコロと響く音。
北風が、葉を散らした枝が切り裂く甲高い音。
地下鉄の始発駅に近くて、車もひっきりなしに通る道に接しているのに、耳に届く音は境内の中からしか聞こえない。
そっと息を吐くと、白く煙る。
弄ばれる髪を押さえつけて、ストールの前を合わせなおして、人造の自然に身を置いてみると、
「息吹を感じる、っていうのは違うかな」
独りごちる。
口唇から漏れる音に合わせて、白煙が散った。
思いを巡らせる。
手つかずの自然を切り開いた屯田兵村の人たちの思いは、どこにあったのか。
十二月にもなれば、今よりも厳しい風を、断熱材もろくにない薄い壁で凌いで、狐や熊や鹿の毛皮で身を守った時代。
そんな折に、開拓三神ではなく、豊穣の女神を迎えようと発案した木滝常彦さんと、種生守さん。
故郷から離れ、神への祈りを力と変えた彼らの思いは、どこにあったのか。
きっと理解しきれない。
世間的には豊かな家庭で育ち、ヘンテコで奇抜な、ともすれば食材で遊んでいると批判されるような料理研究家の母がいるわたしには、寄り添えないであろう感覚のはず。
参道の奥、本殿には屯田兵たちの心のより所だった神々が鎮座されている。
わたしの中に、敬意はあると思う。
だけど実感として寄り添えないのは、神様というものを実感したことがないからかな。
気がつくと足下に、白い北狐が寄り添ってきていた。
「君、前もいたね。木滝常彦神のお社まで連れて行ってくれた」
声をかけると返事をしたみたいに、コン、とワン、の間みたいな鳴き声。
そしてまた、とっとこ歩いてはこっちを振り向く。
今度はどこに連れて行くつもりなんだろう? 興味津々で付いていくと――
「一香ちゃん!」
意識外からの大声に、思わず身を竦ませてしまった。
強く捕まれた肩。
破裂しそうな心臓。
見下ろしてくる白瀬先パイ――そっくりな、ロングヘア。
「あ、お姉さん……こんばんは」
「こんばんは、じゃないでしょう。どうしたの、こんな寒そうな格好でぼうっとして!」
言われ、気が付く。
いつのまにかストールが足元にずり落ちていて、指先の感覚がなくなりかけていた。
「しーちゃんから、駐車場あたりで待ってるはずだよって聞いてたけど、なかなか来ないからさ……探しに来たら、ずっとぼうっとしてたんだよ?」
「……あはっ。すみません、ゾーンにでも入っちゃってたみたいです」
とかなんとか、適当なことを言って、適当にごまかさせてもらう。
ストールを拾って土埃を払い、肩に巻く。
冷えた空気を孕んだ生地は、それでも吹きさらしになるよりも暖かさを得られる。
「疲れてるんじゃ亡いの? ね、お家まで送ろうか?」
「そんなっ。急にキャンセルとか、送らせるとか、そんなことできません」
「そう? じゃあ、大丈夫なのね?」
わたしの額に手が宛がわれる。暖かいのは、きっと逆説的にわたしが冷えてるんだろう。
「……まあ、大丈夫そうだけど。ちょっとでも何か、へんなところがあったら教えてね?」
念を押すように言われて、わたしは頷くしか出来なかった。
◆
白瀬先パイのお姉さん――秋穂輝美さんは、様子がおかしいわたしのことを心配するだけでなく、普段何をしているのかというところまで興味があるようだった。
「どうして神社で立ち尽くしてたの」
「そんなつもりがまったく無いのですけど、白い北狐が足下にいて、どこかに行こうとしたんです。追いかけようとした矢先に、お姉さんに呼び止められました」
「私が行ったときには、そんなのいなかったけどなあ」
その言葉に冗談やからかいが混ざっていないのは、その声音だけで明白に伝わってくる。
「まあ、いいけどさ……身体の調子が悪いとか、ないんだもんね?」
「大丈夫です。ご心配お掛けしてしまってすみません」
「いいんだよ。私が一香ちゃんとご飯食べたかっただけだし」
そう言いながら、輝美さんはアクセルを踏み込んだ。
大げさなエンジン音。座席まで伝わる振動。ゆっくりと前に出る車体。くるくると回されるハンドル。
「っしゃ! 行こう!」
ハンドルを握ると性格が変わるタイプなんだろうか。
威勢の良いかけ声とは裏腹に、慎重に通りへと出る軽自動車。
「ねえ、一香ちゃん。私って一香ちゃんのこと、一香ちゃんって呼んでた?」
思わず「え?」と素っ頓狂な声を出してしまった。
どうだろう。
「ごめんなさい、お姉さんとあまりお話をした記憶がなくて」
「そうだよね。お姉さんはやめてよ、って言った記憶ならあるんだけど」
そうだっけと思いつつ、
「ごめんなさい、輝美さん」
唇に乗せて、わたしの表情筋がその響きを覚えていたことに気が付いた。
「そういえば一香ちゃんは、身長いくつなの?」
急な質問だった。
「見た感じ、百五十ないくらいだけど」
「え、どうしたんですか? 公式記録は百五十ちょうどですけど……」
嘘は言っていない。
公式記録は、そうなんだから。
朝より夜のほうが数値が低くなるとか、そういうのはこの際どうだっていい。公称値が大事なんだから。
「よかったわ。高校生にジュニアシートが必要って言うの、かなり気を使うなって思ってたんだ」
「ジュニア……シート……?」
「そうそう。百五十センチ未満だと安全性に問題があるから、お尻の嵩上げね。一香ちゃんは座高低いから、ひょっとしたら警察に言われちゃうかも」
「座高が……低い……」
「昔は座ったときの高さを測ってたらしいよ。意味がないって廃止されたけどそりゃそうよね。お尻が小さくて足が長いと、座高が低くなるんだから。あ、これ誉め言葉ね。足長くって、お尻が小さくって、細いなんて本当に羨ましいわ」
ジュニア……サイズを……たしかに着てるけど……。
まさか車とかいう工業製品にも、そんなアイテムがあるなんて。
背が低いのをコンプレックスだと思ったことは無かったけど。
不便なだけだと思ってたけど。
ああ、成長痛よ。
早く治まれなんて思ってごめんなさい。今から痛くなったっていいから、あと二センチください。
そうしたら、自称でもなく時間帯とかも関係無く百五十センチと名乗れるのに……。
「どうしたの?」
「いえ、もう少し、背丈がほしかったなと……思ってました」
輝美さんは「本人はそうよねえ」とひとしきり笑って、それから右折レーンで停車した。
ウインカーのリズムに合わせて、鼻歌を奏で始める輝美さん。
金平糖だったか花にワルツだったか、そんな感じのクラシックだ。
「くるみ割人形、でしたっけ」
「お? 一香ちゃんクラシック聴くの?」
「少しだけピアノを習ってました」
「へえー。それじゃあしーちゃんともクラシック話できるんじゃない?」
はて、どうしてそうなるやら?
「しーちゃんは中学までクラシックバレエやってたでしょ」
「そうなんですね。知りませんでした」
確かに、所作が綺麗だし姿勢もいい。
わたしの姿勢の悪さを看破したのは、バレエの経験によるものだったのかな。
「あの子は成長期に無理して、膝を怪我しちゃったのよね。寒雁の芸術祭
で、オーディションでメインキャストをもぎ取ったくらい有望な中学生だったんだから」
芸術祭は、それだけのために市外からどころか、海を渡って鑑賞に来るひともいるらしいお祭りだ。
「オーディションの相手なんて、若くても大学生ってくらいのレベルだったらしいけど、それを中学二年で突破どころかメインなんだから」
「いまいち、すごさがわからなくて……」
素直な感想はこれだった。
ピアノもそこまで打ち込んでなかったし、バレエも見たことがない。
だから、凄いのだろうってことだけしか、伝わらない。
「うーん。野球少年が中学生で、六大学リーグに挑むようなものかな」
「野球は詳しくなくて」
「中学生が英検一級取るみたいな」
「適切ですか、その例え?」
「わかんない」
これ以上はあまり身が無さそうだから、突っ込まないのが無難な気がする。
だけど、輝美さんはきっと、様子のおかしかったらしいわたしに気を使って、話しかけ続けてくれているんだ。
優しい人だなって、思うけど。
「白瀬先パイに、バレエやってたって聞いても大丈夫ですか? わたし、聞いたことがなかったから、言いたくなかったのかも」
うーんと唸ったところを見ると、良いとも悪いとも言えないんだろう。
それなら、細かいことは忘れたほうが、きっと良いに違いないや。
それから程なく、秋穂家のマンションに到着した。
車を降りると、ちょっとの時間しか経ってないはずなのに風が冷たくなっていて、ロングスカートは大いに暴れる。
ストールだって肩に掛けようとしたけど、難しい。
「早く入っちゃおう!」
輝美さんに手を引かれ、小走りでエントランスに。
そしてそのまま、エレベーターへ。
「しばれるーッ!」
ね、とこちらに笑いかけてくるのは、白瀬先パイそっくりのロングヘア。
つながれた手も、よく知った手触り、形、強さなのに。
走った分の鼓動しか感じないなあ。
「どしたの? やっぱり、調子良くない?」
「いえ。違うんです」
すっと手を引いて、でも触られるのがイヤだったように見せたくなくて、とりあえず乱れた髪を手櫛で均した。
すると輝美さんはにまっと笑い、
「乙女ねえ」
「はい?」
「いいよ。整うまで玄関開けないでおいてあげるから」
よくわからず、「はあ。大丈夫です」なんて気の抜けた返事をしてしまった。
にまにましっぱなしの輝美さんは、からかいの色が濃いまま鍵を開け、
「本当にいいのね? ……ただいまー」
ひときわ明るい声を上げながら入っていった。




