事案第二十号「値踏み」(1)
昼休みのチャイムが鳴った瞬間、さっとお昼を食べたら模試の悪かったところを立て直そうと思っていたわたしに、冷や水が浴びせられた。
『一年普通科、綾街さん。職員室まで』
そんな校内放送が掛かると、教室内の視線がわたしに集中してしまう。
「いっちゃん、何かしたの?」
何やら心配しているような顔のリリーバーグさん。
秋穂家で作られたのであろう色とりどりのおかずが入ったお弁当は、早弁という悪の習慣に染まったせいで、最早空っぽになっているようだった。
「リリーバーグさん、心配は要りませんよ。今の、福飯先生ですから」
「hum...?」
不思議そうな顔。
それだって絵になるプラチナブロンドの仕草に、一部のクラスメートがざわめいていた。
「何かやらかしたの?」
茶化すように言ってくるのが、これまた声の大きい子。芝崎さんだ。
「さあ、なんでしょう?」
わたしの答えに、なんだか微妙な顔付き。
まあ、知ってるんだけどね。
半年以上同じクラスでいれば、どんな人なのかは。
宇和さんや笹芽さんのように、わたしをアイドル視しながら話しかけてくるタイプ。
過半数の遠巻きに観察、あるいは鑑賞するタイプ。
そして、芝崎さんみたいに、わたしが孤立していないことが面白くないタイプ。
実害が無いからどうでもいいけど。
敵対する必要なんかまったくないんだけど、嫌われるのは仕方がない。
品行方正であろうとするわたしは、気に入らない人から見たら、お高くとまって、わたしはお前たちとは違うんだって顔をして歩いているんだろうから。
「ご用事がなければ、職員室に呼ばれていますので」
こういう話し方も癪に障るんだろうな。
変えるつもりは無いけど。わたしはわたしで、クラスに壁を作って生きてるんだし。
そういう面でいうと、とにかく目立つ存在であるリリーバーグさんがわたしに構ってくるのは、防壁であり、火種なんだろうな。
きっと芝崎さんは、リリーバーグさんと話をしたいんだろうに。
「やなやつ」
教室を出るわたしの背中に、そんな声が聞こえた気がした。
いちいちわたしが、気にすると思ってるんだったら、観察が足りないんじゃないかな――そもそもクラスに居場所がないんだから。
一年生の教室から職員室まで。
節電のために薄暗い階段を下り、二階へ。渡り廊下を歩くと、ガラス張りの向こうにお社が見える。
揺貴蒔菜比売が祀られた社殿。
明治三十三年に種生蒔菜さんが風土病に倒れ、数年後に遺品を祀ったという祠が元だという。
古佐さんの話や、種生守の回顧録から読み取るに、元々は宇迦之御魂神を祀った祠だ。
神社統合の流れに乗って宇迦之御魂神が朝日神社に合祀されて空き家になった祠に、せっかく建物はあるんだしみたいな感じで、遺品を納めたとかいう理由らしい。
そんなことある? って思ったけど、良くも悪くも開拓地の思い切りの良さのせいなのかも?
当時の人々が種生蒔菜さんを祀りたくなる理由が、回顧録に記されていたのを思い出す。
蒔菜は、風土病を連れて行ってくれた、と。
大正に入って揺貴女学校が設立されて、そのどこかで大規模な改修があったのか。
それとも、種生蒔菜が女神として崇められる際に建て直したのか。
祠と言うには立派で、神社と言うには小規模で、だから先生方も学院生もお社と呼ぶ絶妙な設備になったんだろう。
「……職員室、急がなきゃ」
福飯先生は何か知ってるかな。
ざわ、とポプラが騒いだ気がした。
種生蒔菜が生涯を掛けて整備した、防風林からの呼び掛けみたいに。
少し行けば、渡り廊下の先に職員室はある。
人だかりができていた。
「二年商業科の茂生です! 脇谷先生いらっしゃいますか」
「あ、えーこ先生。探してたんですよ、テスト範囲のことで教えてほしくって」
なるほど、中間考査前だったと気が付く。
二週間前になると生徒たちの入室が禁止されるから、入り口で用事のある先生を呼んだり、通りかかったところを捕まえたりするせいで、混み合うんだ。
試験範囲の質問なんてしたことが無かったし、呼出でもされなかったら職員室に来ないから、そんな発想がなかった。
どうやら先生を呼び出すのにはお作法があるらしい。
所属を名乗って、用事のある先生に聞こえるように声を張る。
無茶なことを要求されてない?
人だかりをすり抜けて、職員室の中をのぞき込む。
「一年特進の綾街です」
大きな声なんて出ない。
見える範囲にも福飯先生はいない。
呼び出したんだったら、すぐ分かる場所にいてくれたっていいのに。
「あ、ごめんね綾街さん!」
悪態を付いていたら背後から声をかけられた。
ひ、と声が出そうになったところを堪えて振り向く。
「居ることに気づいてなくて。人混みに紛れちゃってたわよ」
わたしが小さいから言いたいんだろうな……。
「いえ、わたしも外にいるなんて想像してなくて」
「ちょっと、渡すものがあってね。こっち来てくれる?」
移動するならそこに呼び出したらいいのに。っていう思いはあるけど、飲み込む。
職員室目の前の階段を下りて、そこは事務室の前。
職員用玄関のベンチで待っているように促されて、そこでおとなしく待つことにした。
防風林の一部として植えられた、卒業生たちの記念植樹のポプラ。寿命を迎えたものが加工されたと、ラベルされている。
防風林の穴は、卒業生たちが埋めて守られていたんだ。
明治の頃の仕組みが自然に維持されて、ユリギノ女学院の伝統となっている。
誰が仕組んだのか。
誰かが歴史を掘り起こしたのか。
それとも、全くの偶然なのか。
「どれなんでしょうね――神野先輩?」
虚空に向けて独りごちるように発した言葉に、ぱたんと止まる足音を響かせたのは、神野マキナそのひと。
まるで異次元から染み出してきたかのように、いつのまにかそこにいた。
「いると思いました」
「そう。どうやら、順調なようね」
わたしに郷土史を調べるよう焚き付けた本人だ。
そして、いちいちわたしが何を突き止め、何に突き当たっているのかなんて報告していないのにも拘わらず、その進捗をかなり正確に把握していて。わたしが何をしたらいいのか、ヒントを与えてくる。
「あなたが、女神様ですか?」
問いに、神野先輩は明確に首を振った。
「そもそも女神という存在が、神様というものが、こんな小さな社に宿るわけがないでしょう」
「それは、わたしの質問への答えじゃないですね?」
「ふふっ。煙に巻けないわね」
笑みを浮かべ、神野先輩はわたしに一歩、二歩と近づいてくる。
ふわりと舞う、小豆色のロングスカート。
胸元で揺れる千歳緑と生成りの編み紐のループタイ。
ポプラの枝を思わせる、重たい前髪。
「もう一息で、全てにたどり着けるのかしら」
「さあ、どうでしょう。掘り起こし甲斐のあるテーマなので、途中で脱線しちゃうかも? 例えば、木滝常彦神がなぜ、朝日神社で神として祀られているのか、とか。神社本庁のホームページには、名前がありませんでしたけど」
「あらあら。枝葉にこだわるのは、よろしく無いわね」
「好きにさせてくださいよ。わたしはわたしが気になったことを調べているだけですから。――貴女がもしも女神様だったとしても言いなりになんてなるもんですか」
わたしの、不遜と言ってもいい言葉。それを聞いた神野先輩は、「あはっ」と楽しそうに笑った。
声を上げて笑う顔は、年相応に見える。けれども、今となってはこの人が、一体何者なのか、わたしには想像もつかない。
「ああ、常彦さんに怒られてしまいそうだわ。それじゃあね、綾街一香さん。歴史の転換点を記憶するのは、いったい誰なのか――突き止めてみて」
そう言い残して、神野先輩は小豆色のロングスカートを翻して立ち去っていった。
入れ替わるように、事務室の扉が開く。
福飯先生が、小包を持って戻ってきたんだ。
「誰かいたの?」
「はい。二年の先輩、だったと思います」
「あまり生徒が来ない場所なのに、珍しいわね。綾街さんの仲良しの子?」
誰を念頭に置いた質問か。
福飯先生の観測範囲だときっと、白瀬先パイなんだろうから、
「違います。通りすがり、というか、図書室でたまに顔を合わせる方です」
そう濁しておくことにした。
「そう? ああ、そうそう。あまり時間が無いから端的に言うわね」
切り替えも早く、福飯先生は小包をわたしに突き出してくる。
宛先は、ユリギノ女学院。備考のところに「一年特進綾街さま」と記されている。
「わたし宛てのものが、学校に?」
「ええ。叔母さんから」
叔母。
福飯先生から見た叔母は、デザイナーのフクイモモノさんのことを指す。
このユリギノ女学院の制服をデザインした、生きる伝説となっている家政科OG。
「軽い、ですね」
「どうする? 放課後まで預かってもいいけど」
「中身によってはそうしたいです。ここで開けてもいいですか?」
「もちろん。どうぞ」
許可をもらったので、小包を開ける。
ふわっと、新品の生地の匂いがした。
ガムテープを剥がし、袋の中を覗き込む。
赤と緑のチェックになっている、布地みたいだ。
「なんだろう?」
取り出す。
広げると、バスタオルくらいの大きさ。
ガーゼみたいに柔らかい手触りだ。
「あら。夏スカートと同じような柄ねえ」
福飯先生の言うとおりだ。
もしそうなら、小豆色と千歳緑のタータンチェック。そこに、生成りのアクセントのラインが入っている――っていう表現なんだろうな。
「ストールかしら? いいわね、うちの学校ってマフラーとかの規定がないし、カーディガン代わりにも使えるんじゃないかしら」
「いいんでしょうか」
「綾街さんって変に真面目だから、恐れるのは仕方ないけどね。禁止されてないということは、やってもいいってことよ」
それを教員という立場で言っていいものやら。
ともあれ。改めて包みを見直す。
送り主は、福飯桃乃とある。
「桃乃さん、からだ」
「え? 叔母さん? うわ、本当だ! 気付かなかった……あ、だから私が事務さんに呼ばれたのね」
くるくると回していると、中からぽろっと封筒がこぼれ落ちた。
ぱたんっ。と音を立てた封筒は、ノートが入りそうなくらいの大きさ。
「あら。何かしら?」
表書きには、綾街一香さんへ、と書かれている。これもやっぱり、わたし宛てらしい。
中を開いてみる。
「これは――」
パンフレットと、手紙が入っていた。
◆
背景 綾街一香さん。
まちこ こと、あなたのお母さんの風香から、ユリギノさんのことを調べていると聞きました。
何かの参考になればいいなと思って、平成の中頃に、制服リニューアルのために調べた資料を送ります。
うちの事務所で調べたことだから、学生の調査力と桁違いの信憑性だと思って頂戴。ちゃんと、参考文献のメモつきだからね。
まちこの話からどこまで辿り着いているのか、推測しました。答え合わせの時間が来たら、送った資料を見てみるといいわね。
ところで。
OG訪問で会ったときに、綺麗に制服を着てくれていたからうれしくなっちゃった。
なので、うちの事務所で来年出そうとしてるストールの試作品を送るね。
テーマは、夏スカートの柄が好きな学院生が冬でも使える逸品を。
一香さんにはモニターとして、マフラーの代わりにでも使ってほしいんだけど、どこかのタイミングで使い心地を教えて頂戴。
また冬にでも時間が出来たら、寒雁に帰ろうと思っているの。
そのときは、一緒にご飯でも食べましょうね。
フクイモモノデザイン事務所 フクイモモノこと 福飯桃乃
――これは、つまり、母が手を回してくれていたってこと。
まさか大先輩にあたる方からこんな贈り物があるなんて。驚きと共に、驚く以上の衝撃が。いや何言ってるんだろ。
「先生。このストール? 校則違反じゃないんですよね。モニターとして、って書いてあるんですけど」
「大丈夫よ。膝掛けにしてもいいし、コートが要らないけど肌寒い時には羽織ってもいいわね。いいなあ、先生が欲しいわ」
あげませんよと言うわけにもいかないし。ぎゅっと抱いて、身を捩って隠した。
福飯先生はくすっと笑い、「とらないよ」と目を細めた。
「綾街さん、意外とお茶目なのね」
「意外ですか? お堅いつもりはないんですけど」
「真面目な子って印象が強いから、かしら。それで? そっちの本みたいなのは」
先生に促されてぺらっとめくると、平成の中頃に制服がリニューアルされたときの学校パンフレットと、間に挟まれたデザインメモみたいな紙片がいくつも。
その中。
ループタイは、組紐とロザリオをイメージして、とある。
「……ロザリオ? 叔母さん、神道系の学校にロザリオをイメージしたの?」
「そうなんでしょうね」
「あら。何か知ってる顔ね」
「ふふっ。内緒です」
「ええ、教えてよ~」
「いやです。理事長ストップ掛かったらいやですもん」
福飯先生がぎょっとしている間に、受け取ったものをまとめて袋に入れてしまう。
胸に抱いて「失礼します、先生」と挨拶を残して、足早に立ち去る。
お昼ご飯を食べる時間が、もう少ない。
おなか空いたんだ、わたしは。




