事案第十九号「正誤判定」(3)
その日の午後から、リリーバーグさんと合流して、貸し出してもらった手記の翻訳に取り掛かった。
「いっちゃん、貴重な体験をありがとう! これが、ママのグランパの、えっと」
韻んじようとしてもわからないくらい昔のひとだ。
整理すると。
ジョンソン・ジョーンズ博士の息子、マキナ・ジョーンズから見ると異母弟が、戦後に日本に来ていたらしい。
その時に日本人の女性と結ばれて、子供とともにオーストラリアへ移住。
その子がドイツ系移民リリーバーグさんと結婚し、孫がイトコ・リリーバーグ。
目の前のプラチナブロンドだ。
「それにしても」
前々から思っていた疑問を差し込む。
「従妹のイトコ、って、面白い名前ですよね」
「ん? イトコのこと、誰の従妹だって?」
「白瀬先パイの」
白瀬先パイとリリーバーグさんは顔を見合わせ、同時に首を傾げた。
仕草まで似るんだな、と思う。
と、
「私とイトコに血縁はないよ。ただのホストファミリー」
「Yes! シラーセの家は、時々、ホストファミリーをするそうですね」
え? と、素っ頓狂な声が出た。
「でも、イトコって、え? ……あ、」
そういえば、血縁関係のいとこだとは聞いたことがなかった気がしてきた。
「イトコって、漢字で書くと愛子。Lovely childよ。いっちゃん、わたくしの自己紹介の時に休んでいたもの、勘違いしちゃった?」
「……綾街、すごい顔してる」
従姉妹同士だからベタベタしてるんだと思っていたんだからしょうがないと、顔に関しては反論したい。
っていうかそれなら、わたしの嫉妬心って、結局どこに置けば正解なのか。
真っ黒な感情が、わたしを包んでいたっていうのに。
従姉妹なんだから、そういうこともあるかと納得していたのに。
赤の他人なのに、あんなにベタベタしていたの?
……人のことを言えない。
わたしだって、白瀬先パイが同じ椅子に座ってきたら受け入れるし、白瀬先パイにだったら肌を見せるし、同じ下着だって着ける。
キスだってしてあげるのに。
……うん。
触りたいっていうなら触らせてあげる。ちょっとだけ。
そんなことを思っているから、どす黒くなってしまった。
共犯者だって言ってくれて、共同正犯だって言ってくれたから、我慢できた。
ああ、そうか。
その過程で、無意識に、いつの間にか、白瀬先パイとリリーバーグさんの近さを許すために、イトコという文字に引っ張られてしまったのか。
「愚かですね、わたしは」
「そんな強い言葉で自分を責めるんじゃないよ、綾街」
やおら白手袋を脱いで、わたしの髪を撫でる白瀬先パイ。
そしてそんな様子を、ニコニコと見つめるリリーバーグさん。やおら立ち上がり、わたしの耳元に唇を寄せ、
「取らないよ」
そんな耳打ちをされた。
「な、なにをっ」
「わたくし、パーソナルスペースが狭いってよく言われるの」
そんなところは白瀬先パイに似ているらしい。
だから血縁があるなんて勘違いをした? いや、勝手な思い込みだ。
「何でも良いです」
腕に絡みついてくる金髪美少女から逃れたくて、種生守回顧録を手に取る。
掻い摘まんで読もうにも、なかなか達筆で苦労する。
でもその中で、おもしろい表現を見つけた。
ジョーンズ博士。彼をジョンと皆は呼んでいた。
だからその娘は、ジョンのマキナ。
蒔菜さんとの呼び分けを、そうしていたらしい。確かに口頭だと、漢字か英語か、わからない。
「ジョンのマキナ……じんのまきな……神野マキナ? いや、考え過ぎだよ……」
「どうした、綾街?」
ぶつぶつつぶやいて考えていたのを、白瀬先パイが心配そうにして止めてくれた。
「……いえ、リリーバーグさん」
「いっちゃん、わたくし、イトコです」
にっこり。
どうやら愛子さんはわたしに名前呼びさせたいらしい。
「はあ……リリーバーグさん」
むう、と膨れた。かわいい顔だ。わたしにはない愛嬌。
「いっちゃん、怖い顔。キレイだネ」
「……はい?」
今、なんと。
いや、動揺してはいけない。
きっと日本語がドヘタクソなだけだ。
白瀬先パイの目の前で、そんな戯言に動じるわたしであってはいけないのだ。
わたしは綾街一香。クラスメートから黒撫子あだ名される孤高の花。
……などと考えていたら冷静になった。なんなの、黒撫子って。
「こほん」
咳払いをひとつ。
「リリーバーグさんのご先祖様がジョーンズ博士だというのは、共通の認識だと思います。では、マキナ・ジョーンズさんはその後どうなったのか、伝わっていませんか?」
はて、と考え込むリリーバーグさん。
「なんでもいいです。組み紐の行方とか……あれ」
言ってる最中に気づいた。
種生蒔菜さんが、マキナ・ジョーンズさんへと贈ったという組み紐は、深い緑と白の絹製。
それって、どこかで……
「制服だ」
平成中期に、リニューアルされたユリギノ女学院の、ループタイ!
「どうして、スクールカラーの小豆色から補色の関係にある色が、わざわざ選ばれたのか……」
「綾街、それじゃあ、デザイナーのフクイモモノも」
「きっと、同じことを調べていたんです。そして、ここまでモモノさんもたどり着いているはずです」
それならば。
フクイモモノと仲の良い母さんか、姪の福飯先生に、連絡を取ってもらおう。
そうしたら、神野マキナにも、白い北狐にも。
手が届きそうな気がする。
「でも、そこまで暴いたところで……わたしは何を求めてるんだろう?」
わたしの自問に、白瀬先パイが「そんなの」と軽く笑い飛ばした。
「自己満足じゃないの? だって、理事長ストップが掛かってるんでしょ? 公表できないことを突き詰めているんだから」
確かにそのとおりだ。
一年生の夏休みで、高校三年間の特待生資格を維持する要件の半分を得てしまった。
あとは、定期考査で上位五パーセントに入るか、全国模試の偏差値を六十以上キープし続けるか。
……あっ。
「模試の勉強しなくっちゃ!」
まずいまずい。今日の分くらいは終わらせないと!
「今日くらいよくない?」
白瀬先パイの、呆れたような顔に。
わたしは、ちょっとだけむっとしてしまった。
「わたしは品行方正に生きたいんです。女神様がいつも見てるんですから」
そう。
明治の時代に、この揺貴町の礎を気付いた女神様が。
そうなんですよね、ユリギノさん?
/◆◆◆
「核心に迫りつつあるようだな」
白い北狐が、古びたお社の前で独りごちた。
いや、そのお社から、からからと笑い声が漏れる。
「常彦さん、結局アシストしてあげるのね」
「ウカ様の寝所を脅かされたくないだけだ」
ふんと鼻を鳴らす北狐に、女神は「へえ」と声を漏らす。
「神世の時間の流れで言うとあっという間だけれども、明治からこっち、人の時間の流れでは気が遠くなる時間が過ぎているのよね」
「お前の縁者までの世代を数えて、五世代か?」
女神は、首を振る。
「余は余。それは、種生もジョンも関係無いことよ」
手のひらを開き、じっと見つめる。
白く透けるような肌。
かつて、英語の本を訳したり、ポプラを植樹した人間にはとても見えない、麗しい肌だ。
ざ、と風が吹き、小豆色のロングスカートを弄んだ。
「常彦さん、必死な神頼みをしている乙女は、結局誰だと思う?」
「ふん。我は知らぬ……だが、お前が随分と引っかき回したせいで、皆必死なのではないか?」
「だからウカ様は、今頃極上の甘露で溺れているころじゃないかしら」
白い狐、木滝常彦神は、こんとひとつ鳴いた。
「まったく……お前の亡き後、管理を引き継いだばっかりに、死んでからもお世話係だ。よく覚えておらんが……」
「なによ。余で童貞を捨てたくせに」
「そんな事実は無いし、故郷で妻に先立たれただけだし、お前とまぐわったことなど無いわ」
「ちゃんと記憶してるじゃない」
ポプラの枝がざわりと鳴き、旋風を生む。
「そういうお前は、結局どっちなんだ?」
問われ、女神のマキナは、唇の端を持ち上げた。
そしてユリギノ女学院の制服である小豆色のロングスカートを翻し、答えを残さずに立ち去った。




