事案第十九号「正誤判定」(2)
ひょっとして図書館、日曜日はやっていないのかと疑うほど薄暗く、静かだった。
顔馴染みになった司書さんが、カウンターの奥にいたので少しだけ安心。
「いらっしゃい、綾街さん」
名前を覚えられると気恥ずかしいけど、しっかり会釈を返す。
品行方正に生きなければ。最近のわたしは嫉妬心で煮えたぎっていたり心を乱されていたりしてばかりだったから。
風紀規定とかに引っかかって特待生資格剥奪なんてことになったら、つらい。
そういえば。
白瀬先パイ、この間、さらっと言ってた気がするな。
特待生だったとか。
今は違うってことだよね。
どうして?
「今日は何を探しに来たのかな?」
唐突。
司書さんが真横にいたから、思わず飛び跳ねてしまった。
「えっと」
喉元まで出てきていた心臓を飲み込んで、
「木滝さんという方と、種生さんという方の手記を探しています。明治三十年代の」
違うって。
模試対策に来たんだって。
北狐にあてられたうえにびっくりして、違う目的を言ってしまった。
……ま、いっか。どうせ午後からそのつもりだったし。順番が入れ替わったって勉強はできる。
「ニッチなところを。相変わらずだね」
司書さんのたおやかな笑みが眩しい。
「お願いできますか?」
「探してみるわ」
頭の中が郷土史の調査に染まっていないから、ノートを開いて、今まで調べたことを整理する。
ユリギノ女学院には、小さいけれどお社がある。
祀られているのは、揺貴蒔菜比売。明治に入植した屯田兵の娘、種生蒔菜さんが神格化された。
新しく得た情報。揺貴町の防風林に使われているポプラの植樹を主導した。
もうひとつの情報。お雇い外国人の娘、マキナジョーンズさんと親密だった。
このふたつの裏を取りたい。古佐さんの語りは具体性があったけど、一方で一次資料があるから、図書館を当たりなさいとも。
そのために、屯田兵として入植して地域のリーダーであった、木滝常彦さん。もうひとり、種生蒔菜さんのお父さんである、種生守さん。
このふたりの手記があれば、かなり核心に迫れるんじゃないだろうか。
「綾街」
声をかけられて、本の準備ができたのだと勘違いして顔を上げると、
「来ちゃった」
書生風の格好。ちょっと照れたような、白瀬先パイがそこにいた。
ちょっと待ってよ。
ちょっとまずいんだけど。
最低限のみだしなみしか整えてないし、服だって適当。
かわいく見られないんじゃない? え、いきなりすぎ!
「そうですか」
もう、ビックリしすぎて素っ気なく返事しちゃった。
手櫛で纏まってないかもしれない髪を整えつつ、
「ここまで来るなんて、言ってなかったですけど」
会えてうれしいってことを言おうとして、どうしてこんな言い方になっちゃうんだろう。
「午後から図書館って、確かに言ってたけど。綾街ならなんとなくここに居そうだなって思ったんだ」
言いながら、隣の席に座って机の上を見る先パイ。
明らかに模試の準備じゃないことは丸見えで。
「昨日の、古佐さんのお話を纏めてたの?」
「まあ、なんとなく」
「模試対策は大丈夫?」
「総合で偏差値六十は軽く越えると思うので、今回が少しくらい悪くてもいいかなって」
そういえば。
特待生資格を維持する基準を、白瀬先パイに教えたことなんかないのに、まるで共通の前提知識みたいに話をしている。
状況証拠では、白瀬先パイも特待生資格がある、あるいは、あった。
でも、どうしてわたしにそのことを言わないんだろう?
考えられる可能性は、気遣いか。
もしもわたしが遠慮するとか考えてるんだったら、わたしたちの絆を、わたしからの信頼を、見くびるなって話なんだけど。
だけどそうじゃなくて、白瀬先パイの、秋穂白瀬のアイデンティティに食い込むささくれなんだとしたら、触れないのが優しさ。
「どうかした?」
おしゃれ用のアンダーリムが、わたしを覗き込む白瀬先パイの瞳を遮る。
「っていうかさ」
急に、白瀬先パイはわたしの目元に指をあてがった。
暖かく、柔らかい。しなやかな手振り。
「綾街て、目の色面白いね」
「はい?」
「ヘーゼルブラウン、っていうんだっけ」
ヘーゼルナッツの、黄色みのある薄赤茶。緑っぽくもある色。
いくつかの小説の表現でしか見たことがない表現を、本を読まない図書委員である白瀬先パイの口から飛び出てきたのが、意外だった。
「どこで知ったんですか、そんな表現」
「ん、ロミオとジュリエット。あとは、千年に一度の美少女ってアイドルとか」
「戯曲を読んだりするんですね。わたしはシェークスピアなんて、リリーバーグさんに言われるまで、手出ししたことありませんでした」
素直に感心したつもりだったけど、白瀬先パイはちょっと言いづらそうな顔をして、「うーん」と唸った。
「………ま、いっか。私がロミオとジュリエットを知ったのは、バレエの演目だよ」
さすが社長令嬢、バレエを嗜んでいるのか。
「縁遠い世界です」
「うん、まあ。賞を取ったこともあったよ」
「すごいじゃないですか」
そういう特技があれば、わたしだって郷土史の研究なんて深入りしなかったのに。
……そっか。
特待生資格の維持する条件って。
「すごく失礼なことを聞きますけど」
学年で上位五パーセントの成績か、全国模試で偏差値六十以上。
それに加えて、国家資格だとか、全道以上の大会で表彰されるとか、顕著な功績だとか。
「バレエに打ち込みすぎて、成績が落ちちゃったんですか? だから特待生資格を……」
我ながら、直球勝負になってしまった。
いつだったかテレビで見た、今や米国で活躍する大エースの投げるボールみたいに、唸りを上げる一球だろう。
白瀬先パイの立場だったらイヤだろうな。
ちゃんと成績を取ってる、ひとつ下の生意気なちんちくりんからこんなことを言われるのって。
なのに、
「惜しいね」
どうやら、投げ込んだボールはゾーンを外れていたらしい。
「綾街さん、準備できたよー」
カウンターからの呼び出し。
お願いしていた資料の準備ができたんだ。
「行ってきなよ」
クールに言う白瀬先パイ。
だけど。
なんだか無理して表情を取り繕っているみたいだった。
気になるけど、司書さんを待たせるわけにもいかなくて、席を立った。
カウンターに向かいながら、白手袋を履く。
「お待たせしました。たぶん綾街さんが探している、木滝家と種生家の方の手記よ。……手袋、用意良いわねえ」
「いつものことですので」
お褒め頂いた。うれしい。
あまりお仕事の邪魔をできないので軽くお礼を言って、手記を三冊、手に取る。
あれ?
「これは、英語の手記ですよね?」
「ええ。昔に、同じテーマで研究している人がいたらしくて。同じタイミングで、セットで借りていたみたいだから。関係あるのかなと思って」
昔の人特有の筆記体。そもそもの文字が読みづらいし、わたしの語彙では翻訳しきれないだろうことは想像に難くない。
白瀬先パイも、きっとわたしを手伝うつもりで来てくれたんだろうから、助けてもらえるかな?
改めて司書さんにお礼を言って席に戻る。
白瀬先パイはわたしのノートをペラペラとめくり、ほうほう、だなんて唸っていた。
「綾街の字、やっぱ好きだなあ」
なんか独り言言ってる。
「性格出るよなあ、文字」
これは誉めているのか貶しているのか。後者だろうけど。イヤな性格が滲んでるなら、キスなんてしないはずでしょう。
「白瀬先パイ、お待たせしました」
「おっ。相変わらず古そうなノートだ」
「手袋持ってきてます? これ、たぶん英語なんですけど、筆記体で読み辛くて」
に、と笑みながら白手袋を取り出す先パイも、わたしの手伝いで準備が良くなってる。
書生風の格好に白手袋は、とてもよく似合う。
そっと帳面を手にして、表紙をめくって、
「ジョンソン・ジョーンズ」
ルーズリーフに、読みとった概要を書き取り始めていく。
「お雇い外国人のジョーンズ博士のもでしょうか? 古佐さんの話に出ていた」
「そうだろうね。一八九〇年、明治で言うと……」
携帯電話で変換。
明治二十三年だ。
「揺貴屯田兵村の入植が、明治二十二年ですね」
「一ページ目は、これから寒雁に赴任するって書いてるみたいだ」
さらさらと走り書きしていく指先。白手袋が汚れないように用意した油性ボールペンで、ルーズリーフに書き込んでいく。
わたしも負けてられない。
まず開いたのは、木滝さんの手記だ。
彼も、かなりの癖字。読み解くのに苦労しそうだけど、頑張ろう。
内容は今まで調べたことを一次資料として裏付けがされていくような感じ。
あまひとつのエピソードに対して細かく書かれていなくて、一気に年代が進んでいく感じだった。
帳面の半分くらいで、明治三十年まで進んでいく。
客観的な、だけど近くから見守る視点で、種生家に襲いかかった悲劇が記されている。
「ジョーンズ博士は一日一行日記みたいな書き方をしているね」
ふう、と白瀬先パイは吐息した。
「こちらとは大違いですね。一文あたりの情報量は一緒ですけど。読んでいて、蒔菜とマキナ、漢字で表記されてるおかげでわかりやすいなって思いました」
「マキナと蒔菜、ジョーンズ博士も表記について差を付けていそうだよ。Machinaが娘のこと、Makinaが種生蒔菜ってところかな」
「当時の人たちも、ふたりのマキナに苦労をしていたみたいですね」
だけど、それ以上に新事実は無さそうだ。
古佐さんの語りが裏付けされていくという意味では貴重だけど。
木滝さんの手記は、明治三十三年に差し掛かった。
ジョーンズ博士がマキナさんを連れて帰国した後の、揺貴屯田兵村の変化が端的に書かれている。
種生蒔菜が、肺病を患ったと。
そして、寒雁の名医が呼ばれた、とも。
切々と祈るような文章に、彼女が幼い頃から十年を共にした大人としての愛情みたいなものを感じる。
そして、そこから二年近く筆が途絶えている。
その空白の後、最初に書かれている文字は、
「あいつの遺言、かな」
「種生蒔菜の遺言?」
「はい。ポプラの管理の仕方と、外国の知識を得る大切さを遺したそうです。それと」
白瀬先パイの顔を仰ぎ見る。
わたしが種生蒔菜だったら、こんなことを言い残せるだろうか。
「マキナには伝えないでくれと。だけど、そのときが来たら手紙は渡してほしいって。どうしてなんでしょう? 手紙のひとつも届かなかったら、マキナさんも心配するだろうに」
「その答えは、これかなあ」
白瀬先パイが、ジョーンズ博士の手記を開いて見せてくれた。
「一九〇〇年、帰国してすぐの書き付け。当時の揺貴町に手紙を出すのはハードルが高かったみたいだよ」
ジョーンズ博士が帰国前に想像していたよりも、当時の開拓地でインフラが整っていなかったこと。
トラクターを送ろうとしても費用が莫大すぎたこと。
「考えが甘かった、十年を過ごして見違えた開拓地だったけど、本国から見たら貧乏な国の未開の地だった。マキナさんの日本語の能力でも、郵便局に配達させるのが困難だったって」
そして、
「良くも悪くも、自分が開拓地にいたから使えた伝手が、今は使えない。ポプラの入手も、政府とのコラボだったから出来たんだって。悔しがってるみたいなことが何日も書いてある」
明治時代の日米に横たわる断絶。
それが、ふたりのマキナの離別を確定的にさせてしまい、種生蒔菜のその後を報せることができなかった直接の原因となってしまったんだろう。
もう一冊の帳面を手に取る。
表紙には崩された毛筆で、種生守回顧録とある。
「蒔菜の父、か」
「そうみたいですね。日付は、大正三年とあります」
前文を読む。
揺貴女学校の開校にこぎ着けられたのも、ひとえに木滝常彦の尽力が合ってこそ、とのこと。
遺児にその功績を伝えるため、揺貴村の開拓の歴史を記そう、という書き出しだった。
「このころには木滝常彦さんも亡くなってるみたいだね」
「それがどうして、狐の神様になったんでしょうか
「神様? どういうこと?」
首を傾げる白瀬先パイに、さきほど朝日神社で起きたことを話した。
古い立て看板に残された、木滝常彦神という神名。
人の言葉を解するような白い北狐。
「思えば、ユリギノさんのお社を開けようとしたときにも、北狐が現れました」
「えっ! お社を開けたのかい?」
民話ものに出てくる村の重鎮みたいな驚き方の白瀬先パイ。
「いや、綾街……勝手に開けたのがバレたらっていうか、鍵は?」
「神野先輩が開けてくれましたけど……」
「神野? えっと……ああ、図書室の番人か」
いつも視界に、あるいはキーボードをたたく音が耳に入ってくるあの人のことを、白瀬先パイは知っていながらも印象にない、といったところなのか。
顔と名前を一致させるのに苦労したみたいだ。
「綾街って、神野マキナと仲良かったんだ」
何気ないその一言。
それが、暴風のハンマーでこめかみを殴られたみたいな衝撃となった。
「綾街ッ!」
「大丈夫です……先パイ、学校に行きましょう」
「えっ、この資料は?」
いてもたってもいられない気持ちが、逸っていた。
「まず落ち着いて話そう。私だってジョーンズ博士の手記を訳し切れていないんだ。急ぐなら、ちょうど良い奴がいる、呼び出そう」
ちょうどいい、って。
都合良く、留学してきている、ジョーンズ博士の末裔。
「リリーバーグさんを……頼る?」
「利害の一致だよ。あいつも、先祖の過ごした土地で文化を学ぶって言うのが、留学の目的なんだ。日本語が不慣れなところは私が一緒に翻訳したらいい」
たしかにそれなら、話は早そうだ。
わたしだって、種生守さんの回顧録をろくに読めていない。
でも。
「せっかく先パイデートなのにもったいないです」
白瀬先パイは、きょとんとして。
「ごめん、急に押し掛けた格好だもんね。綾街、今日もかわいいよ」
顔から火が出た!
「でもおしゃれしてないときに来てごめんね」
鎮火した。
「変……ってこと?」
「え、うん。いや、年相応じゃないなって」
「ち、ちゅうがくせい、みたい?」
「もっと、下かな」
羞恥!
顔面火災事故!
「うわあああ……」
頭を抱える。いや、抱えるべきは服? 違う。
「先パイ、カーディガン貸してください……」
しょうがないなと笑う白瀬先パイは、いつもように上着を貸してくれた。




