揺貴の蒔菜、ジョンのマキナ(2)
十八歳を迎えた種生蒔菜は、相変わらずマキナ・ジョーンズとの仲睦まじく過ごしていた。
周囲からは特異な存在として見られるようになっていたが、蒔菜本人は一切気にすることなく、ジョーンズ博士の持ち込んだ、あるいは取り寄せた文献を片っ端から読みあさり、開拓に必要そうな資料はすぐさま翻訳していく。
一方のマキナ・ジョーンズも、種生蒔菜の翻訳を手伝いながら、お雇い外国人と現地民の間に立つ通訳として、活動を始めていた。
ある夏、種生守と木滝常彦は、揺貴屯田兵村の外れにお堂をたてた。
少し離れたところに、開拓三神を祀る神社が建立されたのをきっかけに、
「我々が詣でるには、ちっと遠いな」
「かといって神宮は余計に遠い」
「じゃあ」
「建ててしまおうか、お堂を」
などという軽いノリで、大人の背丈ほどのお堂がサクッと建立された。
「空っぽというわけにもいくまい」
種生守の発言に、村内の有識者が一堂に会した。
「やはり神宮から分祀いただくのが……」
「距離的には朝日じゃろう」
「開拓三神というのもよいな」
「ジョン、どう思う?」
急に話を振られたクリスチャンは、日本の神に思い入れなどないばかりに素っ頓狂なことを言ってしまいそうになるのをおそれた。
「せっかくなら、男たちが気合いを入れる理由がいいと思います」
作法など知らない男たちはついに悩み、どうしたもんかと首をひねった。
そこへ、茶菓子の差し入れに来たのが、種生梅であった。
「食うのに困らなくなってきたんだ。お稲荷さんにでも感謝しなきゃいけないよ!」
威勢の良い発破に応じるように、外から北狐の鳴き声がいくつか続いた。
開拓民たちは、北狐の食害などにも悩んでいた。
憎いはずだが一方で、その毛皮も貴重な防寒具となっている事実もある。
「荒れ神を祀るつもりで、お稲荷さんにお越しいただこうか」
種生守の判断により、そのお堂には宇迦之御魂神が祀られた。
「蒔菜、これは物干し竿?」
新たに作られたお堂の前を通ったとき、マキナ・ジョーンズは異国の異文化に食いついた。
「ふふ。違うわよ、マキナ。これは鳥居。神様の通り道を示すのよ」
「貴重な資材を使ってまで、vermilion... ah... 赤い門が必要なの?」
「日本の神様の考え方は、マキナの信仰とは大きく違うものね。これは、狐を眷属とする女神様で、朱色の鳥居が目印なのよ」
あやふやな知識で解説する蒔菜に、マキナは目を輝かせる。
「Amazing! 日本には女性の神様がいるのね!」
「そこから? ふふっ。太陽の神様も、女性よ。なんなら、裸踊りする女神様だっているわ」
「oh...」
マキナが引いている姿にカラカラと笑い、蒔菜はお堂に向いて柏手を打った。
「開拓が順調でありますように!」
「蒔菜、それは?」
「神頼みよ。必死な乙女の神頼みは、女神様にとって極上の甘露に違いないわ」
マキナはよくわからないというような顔をしていたが、しかし、彼女はそれでも、蒔菜の親友だった。
見よう見まねで柏手打ち、そして、異教の神に祈りを捧げる。
『病めるときも共にあらんことを』
マキナ・ジョーンズの願いは切実なものであった。
開拓地に蔓延る風土病は、猛烈な風雨、あるいは風雪が運ぶ。
揺貴屯田兵村においてもその猛威は襲いかかり、年に数名以上が病に倒れた。
種生家も、その猛威に曝されたひとつであった。
蒔菜のみっつ下である長男、芽吹が倒れたのは、入植から七年目の冬であった。
◇
種生芽吹は決して身体が弱い子ではなかった。
むしろ、一年のうち四分の一が氷点下の気温になるがため、寒雁と当て字された開拓地においては健康優良児であり、姉とは違い野良仕事が好きすぎて、止めるまで薪を割り、土を耕すような少年であった。
入植時には八歳だった彼も、十五歳を迎えた。
これから大人に混ざって仕事に精を出すんだと、場合によっては清との戦に備えて銃の扱いを覚えたいとも言っていた。……それは姉の蒔菜に殴られて目を覚ましたが。
ともあれ、それまで壮健であった少年は、家中のありったけの布を被らせても寒い寒いと震えるばかり。
「いったいどうしたことやら」
母の梅などは付きっきりで看病し、真冬だというのに額に汗をしながらくるくると働き甲斐甲斐しく世話を続け、そうして彼女もまた熱に冒された。
そして。
梅と芽吹の通夜は猛吹雪の夜、僧侶もなく見様見真似で執り行われた。
白銀の世界に立ち上る、最果てへとたなびく黒煙。
共同墓地に増えた一基の卒塔婆。
「蒔菜」
日頃、底抜けに明るく振る舞っている親友が憔悴した姿を見て、マキナは声をかけずにいられなかった。
マキナ自身も幼少の頃に母を亡くしたのがきっかけで、この地へとやってきたのだ。
家族を喪う辛さは、わかっているつもりだった。
だから、
「マキナのことは無鉄砲だけど頑張りやの芽吹のお嫁さんにって、思ってたのにな」
蒔菜のその言葉に、先に堪えられなくなってしまった。
暴れ川が溢水したかのように、マキナの薄緑の瞳から滂沱の涙が止まらない。
「あれっ。おかしいな……なんでわたしがっ」
「ねえマキナ。わたくしより先に泣いちゃうのは、反則じゃない?」
呆れたように眉尻を下げる蒔菜もまた、瞳を潤ませる。
ひとしきり、マキナが泣き止むまでの間、蒔菜はマキナの頭を胸に埋めさせた。
洋服の胸元に染み込んでいく涙の暖かさに、蒔菜は一筋だけ無念の意をこぼし、そしてすぐに「よし」と意気込んだ。
「常彦さんに相談に行こう」
「蒔菜、何を?」
その疑問に、蒔菜は笑顔を返す。
「開拓計画の見直しよ」
木滝常彦は入植から七年を経験し、ジョーンズ博士から吸収した技術と知識をふんだんに生かし、今や政府と直接議論を交わすほどの立場になっていた。
そんな彼が、なにやら覚悟を決めた種生蒔菜の姿を見て驚かないわけがなかった。
「嬢ちゃん……平気か? 種生先生だって、だいぶ参ってるだろう」
「そんなことを言っている場面ではないわ! 常彦さん、切り開きすぎた農地には、村を守るための防壁がないのよ」
「防壁だ? ……詳しく聞かせろ」
「この吹き荒ぶ吹雪! 乾いた田畑から土埃を舞い上げる北風! 原生林を切り開きすぎてしまったのよ!」
まくし立てるような勢いで、蒔菜は食ってかかった。
泣きはらした目のマキナもその剣幕に驚きながらも、常彦から親友を引き剥がそうとする。
「嬢ちゃん。俺たちの七年を、真っ向から否定すんのか?」
「そんなことは言っていないわ。だけど、この土地の過酷さは、文字通り骨身に染みたじゃない?」
一息。
「試したいことがあるの。そのためには、常彦さんからも、ジョンに話を通して欲しい」
戸惑ったのは、マキナであった。
「どうして、蒔菜。パパにお願いなら、わたしからするよ」
「マキナからじゃダメなのよ」
「だからっ」
マキナは詰め寄ろうとした。
だが、対する蒔菜の表情に、それ以上の言葉を重ねられない。
「マキナを通じてジョンにお願いしてもらうのは、わたくしの個人的な頼みになっちゃうでしょう。だけど、父様や常彦さんを通して、ジョンソン・ジョーンズ博士へ相談するのは、この村から、国を通じた正式な依頼になる可能性もある。そうしたら、大規模な計画名変更を伴うかもしれない。そうでしょう、常彦さん?」
「……うむ。まあ、そうだろうな。種生先生にも相談せずに来てるんだろう、どうせ」
「今の父様に頼るのは酷だもの」
「その肝の座り方、梅さん譲りなんだろうな」
常彦の感極まった言葉に、流石の蒔菜も一瞬声を詰まらせたが、しかしすぐに胸を張る。
「当たり前よ。それが、種生家の女! これが空元気じゃないことは、これからの活動で知らしめてやるんだから!」
そう断言した蒔菜は、すぐに計画作りに奔走し始めた。
切り拓きすぎた開拓地を、面積優先から土壌の改良へと舵を切ることを提案。
続いて、すでに防風林として植樹されている樹種では、育成に時間が掛かることを、ジョーンズ博士の持ち込んだ文献から読み取り、まとめ、計画を作成した。
雪が解け、水芭蕉の咲く頃。
失意の底にいた種生守も娘の思いを受け止め、政府との折衝に奔走し始めた。
娘が計画を立て、父が政策的に。
協力者として木滝常彦という技術者と、ジョーンズ博士の権威。
そして、マキナは農学校へと乗り込み、そこで進み始めていた防風林育成の計画を揺貴村に持ち帰った。
「農学校ではアカマツを使うことを検討しているみたいよ。その一方で、開拓使の敷地で試験しているポプラも、育成が早いという評価だったわ」
「ポプラ……柳の一種だったかしら」
「日本にはない樹だから、費用がかさむわ」
「……大規模な試験には至っていないはずよね。ジョンを通じて、揺貴村で試験しないかと、打診してみよう」
動きは速い。
ジョーンズ博士はすぐに守と常彦に声を掛け、現地の調査を行った。
その結果、開拓時に防風林とするため帯状に残した原生林の大部分が、痛んでいることが発覚した。
「なぜだ……」
「おそらくは、鬱蒼としていた原生林を細長い帯状にしたことで、風が直撃したせいだろうなあ」
常彦の愕然とした声に応えるのは、守であった。
彼は、蒔菜が翻訳した文献を脳裏に描きながら、娘の意図を推察する。
「ポプラとやらを植樹しようと思ったのは育つのが早いから、だろうか。すぐに穴埋めできる」
「技術的にも可能だ。だが、問題は費用だなあ」
ふむ、と唸ったジョーンズ博士は、
『実現性があるなら、交渉をしに行こうか』
守と常彦が異口同音に「え」と言う間に、あれよあれよとジョーンズ博士がコンタクトを取ったのは農学校に残っていたお雇い外国人仲間。
そしてその伝手を使い、防風林の担当をしている役人まで辿り着いたのだ。
「揺貴村で、防風林の実権を?」
その役人は突然現れたお雇い外国人と、開拓の最前線に立つ学者と技術者の組み合わせに、警戒心を抱いていた。
しかし、防風林の重要性を語る種生守という男の目に浮かぶ涙に、役人は天井を仰ぐほかなかった。
「そうですか。奥方と、ご長男を――」
幸運、と言って良いのかはわからない。
だがしかし、その役人にも、かわいい盛りの息子がいたことが、事態を強力に推進する原動力となった。
次の春。
役人が幾ばくか、というレベルではあったが予算を獲得した報告をしに揺貴屯田兵村を訪れた時。
村の入り口にある簡素な祠に手を合わせている少女がいた。
「お嬢さん。ここが揺貴村に相違ないかな?」
「あら。お役人さんかしら、ごきげんよう。いかにも、こちらが目的地ですわ」
「こちらの祠には、何が祀られているのかな?」
見たところ、社殿のようなものもない。
地元の人間だけで建てたのであろうが、各地の村にこうした村民の拠り所めいた祠が作られているので、これもそのひとつだろうと役人は考える。
「お稲荷さんですわ」
「ほう。隣村に三神の神社があるが、こちらにはこちらの……」
「食い扶持優先だった頃に建立されたものですから」
これも、開拓村にありがちな理由だ。
それ故に、地域の中心となる神社には、国が推奨する
「では、そんな神に、お嬢さんは何を祈っておったので?」
「ふふっ。嫌だわ、お役人さま。乙女の必死な神頼みを、簡単にお教えできるとお思いかしら?」
「それもそうか」
からからと笑う役人だったが、すぐに彼の目が丸くなった。
少女の元に、駆け寄ってきたもうひとり。
プラチナブロンドの、薄緑の瞳の、異国の少女だ。
「マキナ! こんなところにいたのね!」
流暢に日本語を話す異国の少女に、なぜか日本人の少女が英語で返している。
役人がこの村を特異だと理解するのには十分な光景だった。
二十歳にも満たない娘が、さらに年若い異国の少女と策を練り、父世代の大人を動かしている。
ポプラ導入も、この娘の発案だという。
「大変な娘さんだ。彼女が男なら……」
そう言い掛けたこともあった。
だが、父である種生守は聞いていなかったか聞かないふりをしたのだか、役人には反応しなかった。
そして、種生蒔菜の快進撃は続く。
あれよと言う間に、役人が確保した予算の倍となる本数の苗木を調達し、村の全員を指揮して防風林の整備を、冬が来る前に終えてしまったのだ。
「あとは、三年。育てば、きっと良い防風林になるわ」
その笑顔に役人はうっかり求婚してしまったが、役人は子持ちであるために一笑に付されて、終わった。
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