事案第3号「サイズ」(2)
「お待たせ、待った?」
ベンチに腰掛けたわたしの頭の上から、耳になじんだ優しい声。
視線をあげる。
ゆったりとした黒いロングスカート。
絞られた腰。
白いシャツ。
アンダーリムの細い眼鏡。
カンカン帽。
どれもが、しらせ先パイをたらしめているくらい、先パイに馴染んでいた。
付け焼き刃のわたしとは、全然違う。
「どうした?」
「いえ……お召し物が素敵だなって」
「へへっ。書生風。どう?」
「お似合いです」
心からそう思った。
素直な賞賛が照れくさかったのか、先パイはほほをかいて。
「そういう綾街だって」
そこで。先パイ言葉に詰まった。
「……まあ、買い物に行こうか」
わたしに手をさしのべてくる。けど、
「気になります。全部言わないと、ここから立ちませんよ」
ええと、なんて。言葉を選んで、選んで、先パイは一度天を仰いだ。
「気を悪くしたらごめん」
「何ですか」
「私にコーデ一式、任せてほしい」
「? 昨日、この一式を揃えたんですけど」
「うーん……端的に言うと、合ってないんだよ」
なんですって。
「黒いロングにさ、へそ出しショーパンが悪い訳じゃないんだけど、なんか着られてる感があって。どうやって選んだの?」
「マネキンが着ている服を、とりあえずSサイズで……150サイズが無かったから」
「ああ~。綾街の体格だと多分XSなんだよなあ」
聞いたことがない単位が出てきた。
それじゃあわたしは、礼ちゃんに煽てられてた……?
「服自体はかわいい。綾街がそういう路線で行きたいなら、それもいい。だけど、綾街は自分に合うサイズ選びを覚える必要があると、私は思う。むしろイケてる女子高生に仕立てようって、決意した」
一息。
「さあ綾街、付いて来な! たかが布一枚で劇的改造してやるよ!」
涼やかな風が吹き抜けていく。
いつもクールな先パイが巻き起こしたつむじ風みたいに、ポプラの綿毛がくるくるりと舞った。
◇
朝日駅は地下鉄の始発駅で、JRとの乗り換え、バスターミナルもある。寒雁市北部の主要駅。
駅ビルは、昔はプロ野球チームの親会社でもあった総合スーパーで、婦人服売場もある。
「綾街はこんなところで買っちゃダメ」
先パイはそんなふうに言って、わたしを地下鉄に乗らせた。
そうして連れてこられたのは、寒雁駅。
駅舎は朝日駅なんて比べられないくらい大きくて、ちょっとした展望台にもなる。
地下も広い。
飲食店、雑貨屋、ドラッグストア。そして、
「下着専門店……って、あるんですね」
「靴下とか帽子の専門店と一緒だよ」
先パイはそう言うけど。
華やかな生地。
スタイルのよいマネキン。
煌々と照らす照明。
思わず、後退ってしまった。
気圧される。
こんなの、ファッションセンターのちゃんとしたコーナーと、世界が違う。
「わたしには、場違いなんじゃ……」
声が震えるわたしに、アンダーリムの向こうの瞳がうっすらと細められた。
「大人への階段ってわけじゃないよ。ここは、ティーン向けだから」
先パイは事もなげに言う。
デビュー時にはこのお店のお世話になったらしいけど。
「私は小学校の時に、胸がおっきくなりはじめてさ。今の綾街くらいのサイズのときに、姉ちゃんと一緒に来たんだ。中学二年くらいからサイズは変わってないけど。半年に一回は測って、新しいのを買ってるよ」
常連さんらしく、先パイは顔馴染みの店員さんを見つけるとにこやかに挨拶を交わして、わたしに向き直った。
「今日は、友達を連れてきたんだ。最近、スポブラやめようかなって悩んでたみたいで」
「あらーそうなんですねー」
にこやかなお姉さんは、細めた目の奥をキラリと光らせた。
「まず、お測りしましょうかー」
促されるままに、試着室みたいな部屋に通された。
先パイはにこやかにガッツポーズ。タスケテ。
◆
あれよあれよと、サイズが出た。
AA65。これがわたしらしい。
「ふーん。やっぱりねえ」
「十センチも大きいのを着けてらっしゃったら、違和感があったかもですねー」
「このデザインのでサイズあります?」
「それかわいいですよねー。試着しますよねー?」
「させてあげてください」
なんとこの会話に、わたしは入っていないのだ。
でも、それでもいいと思っちゃう。
先パイが、アンダーリムの奥を光らせて真剣に考えてくれる。
わたしに似合う物を。
「綾街も選びなよ。私の好みになっちゃうぞ?」
「先パイがトータルコーディネートしてくれるんですよね? わたしのサイズをあやまらないように」
苦笑。その顔がちょっとだけ誇らしそうに見えたのは気のせいじゃないと思う。
◆
とにかくもう、付け替え付け替え。擦れて腫れるんじゃないかっていうくらい、わたしは頑張ったと思う。
一方で先パイもノリノリで、次々に新しいのを見つけるものだから。
「へへっ」
先パイがだらしなく笑う。
「お揃い、買っちゃったねえ」
そうなのだ。
わたしは最終的に、店員さんがお勧めしてくれたものを二枚買った。
そして先パイも、一枚お勧めを選んでくれた。それはなんと赤だったけど、意外と透けないという先パイの言葉を信じて――気付くとお揃いを買っていたというわけ。
「店員さん、何か勘違いされてませんでした?」
「何かって何さ」
「わたしと先パイの関係を、です。お揃いにするくらいの間柄だと、勘違いされたのではないかなって」
どこか暖かい目で見送ってくれた店員さんの顔を思い出す。
たぶん、きっと、勘違いされた。
「いいじゃん」
先パイはあっけらかんと言い放って、わたしの手を取る。
「ほら。次は洋服。綾街に合うのを見つけに行こう?」
「はいはい。わかりました」
なぜだかわたしよりも楽しそうな先パイに手を引かれて、わたしは駅ビルを歩く。
ファストファッションのお店でも、デザインはかわいいのに値段がかわいくないお店でも、先パイはわたしい服を着せてはかわいいかわいいと褒めてくれて。
……やっぱり、かわいいって言われたら、悪い気はしないね。
でも結局、高校生が無理なく揃えられる全身コーディネートは、プチプラファッションらしくて。
「綾街に似合うのは、やっぱりシンプルなものだと思うんだよね。でも大人っぽくありたいんでしょ? だから、ヘソ出しなんて選んでしまったわけだ」
「失敗だと言いたいんですか」
「似合う似合わないの話」
そう言って、先パイはおへそのかわりに肩を出すスタイルを提案してくれた。
「これなら似たようなものはいつも行くお店にもあると思うし、サイズをしっかり選べば大丈夫だと思う。ブラを変えたら背筋も伸びるだろうし、そしたら胸がなくたってラインが綺麗に出るよ」
言われるがままに買ってみた。
ブラジャーもサイズが合わないかぱかぱをやめて、まだフィットしてるスポブラに変えた。
「いいじゃんいいじゃん! さっき買ったやつは体育のある時みたいに、人に見られるときに限定して、そうじゃないときはスポブラで過ごすといいよ。痛みもないんでしょ?」
「そうですね。乳首が擦れて痛いってことは、ないと思います」
「……言葉は選ぼう。聞かれたらどうする」
先パイは頬を染めながら、そっぽを向いた。
身体のパーツを口にするのが恥ずかしいという感覚は、いまいちわからない。男子がいるわけでもないのに。
まあ、でも、先パイが嫌がるなら控えよう。
それとも。
「……この間、わたしの胸を見ちゃったの、気にしてる?」
顔を覗き込むと、まるでフェノールフタレインみたいに真っ赤に染まった。
「い、いやあっ! そんなこと! あはは!」
カンカン帽で顔を隠して、足早に歩く先パイ。
ごまかすのが下手だね。そんな姿が妙にかわいく思えちゃって。
「別に、先パイならいいのに」
言って、意味に気付いた。
先パイにだったら、胸を見られたっていいって意味だ、と。
「……んもうっ。何を言わせるんですか!」
小走り。先パイに追いついて、腰にパンチ。
んぐっ。とくぐもった声を上げて、先パイは振り向いて、笑ってくれた。
◇
週が明けて月曜日。
店員さんが言うとおり、しっかりとお洗濯をしてから身につけたジュニアサイズのブラジャーは、今までにないくらいしっかりと包み込んでくれて。
背筋を伸ばしても、身体をひねっても、なんならラジオ体操しても、ずれるようなことがなかった。
「これは、いい……」
思わず着こなしを写真に残して、先パイに送った。
『ばか!』
一言だけ返ってきた。
実に、心外である。
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