事案第3号「サイズ」(1)
六月中旬。
高校に入学して初めての定期テスト――中間考査が終わった。
直前の体調不良に見舞われたわたしは、日頃の努力の成果が出たのか、不調の影響が出たのか分からない微妙な順位になった。
普通科、百五十人。うち、特進コース三十人。
順位は、四位。
「ユリギノさん。特待生としては、なかなか厳しいですよね」
お社に向かって手を合わせて。
ため息がついつい深くなる。
だけど。
ちょっとした解放感もあった。
ユリギノ女学院は、大正の頃に開校した伝統校。
現在の制服は、母が通っていた頃に採用されたもの。
家政科OGのフクイモモノがデザインした制服は、身体のラインをしっかりと拾って、かっこよく見せる上質な生地が使われる。
つまり。伝統的かつ。
暑い。
だけど、それも昨日までの話。
今日からは――夏服移行期間!
最近の異常気象めいた暑さのおかげで辟易していたけれども、やっと、この時期がきた。
夏服は、軽やかだ。
平成中期に採用されたせいで、当時の流行が取り入れられている。例えば、スクールカラーの小豆色と補色の千歳緑によるタータンチェック。差し色の生成りは、冬服のブレザーと同じ色。
憧れた制服の、夏バージョン。
テンションが上がるってもの。
「心機一転、頑張ります。期末に巻き返しますから、見ていてくださいっ」
ユリギノさんにそう誓って、スキップでもしたい気持ちで、校舎に向かった。
◇
なんだか視線を感じる一日を過ごした。
相変わらず、笹芽さんと宇和さんは遠巻きにこちらを見て、ひそひそとささめきあっている。
この間の体調不良のときに、悪いひとたちじゃなさそうだなって思ったけど、何を話しているんだろう。
気になるけど、気にしないでおく。
どうせ、自意識過剰なのがオチだと思うし。
そんなこんなで、お昼時。
わたしはちょっとだけ、心が躍っていた。
『お昼、一緒せん?』
先パイからの短いメッセージがあったからだ。
お誘いされたのは、図書準備室。
図書委員の先パイが、特権を使ってお招きしてくれたんだと。
そんな特権があるなら、わたしも図書委員になろうか? ……なんて、きっと先パイが喜ぶだろうから、言わないけど。
「お邪魔します」
遠慮しながら扉を開くと、先パイがすでに待ち構えていた。
「綾街、夏服だ!」
先パイはまだ冬服。小豆色のロングスカートだった。
「冬服、暑くないですか? 生地も厚いし、ハイウエストだし」
夏服だってハイウエストだけど、生地の厚さが違う。
「クリーニングが間に合わなくてさ。本当は汗っかきだから早く夏服にしたいんだけど……ま、上を脱いで過ごせばいいし。今日はそこまで暑くないしね」
そう言う先パイは、ブレザーではなく薄手のカーディガンを羽織っていた。
校則が厳しいわりに、生徒の裁量に委ねられる部分が多い。
おかげで先パイの新たな一面が見られるので、眼福。
……ん? なぜ眼福?
疑問が浮かぶ。
けど、汗拭きシートの匂いに、意識が戻された。
「汗対策って、大切ですよね」
首筋を拭う先パイは大きくうなずく。
「ほんっっと。そう! 制汗スプレー足りないわー」
先パイの隣に座ると、ふわっと、シトラス。
「良い匂いしてますけどね」
「え? え、へへ。ま、ありがと。デレ街じゃん」
「変な略し方。さ、食べましょう?」
先パイはコンビニの袋から、五百ミリリットルのカフェオレと、ちぎって食べるチョコクリームパンを取り出す。
「粗食ですね」
「今日はお弁当がなくてさ。綾街は?」
「お弁当です」
「えらいねえ」
褒められるのは悪い気がしない。
けど。油断した。
「……何それ」
蓋を開けたわたしの手元に、ピンクのレンズ越しの瞳が釘付けになっていた。
失敗したなあ。とは思うけど、開き直る。
「お弁当です」
「弁当箱の中、九割が緑じゃん」
「はい。ブロッコリーですから」
そう。
冷凍ブロッコリーと、シウマイだけ詰めてきたんだった。
もちろんご飯は、入ってない。冷ますのが手間だったから。
「最近暑いし、自然解凍で食べられて栄養があるものを考えました」
「やり過ぎだろ……」
先パイが深いため息をつく。
わたしもその意見には同意する。
「自分ひとりのために、卵を焼いたり、お米を炊いたりって、面倒じゃないですか」
「それもそうなんだろうけど……」
明らかに困惑している先パイが面白くって、ついついからかいたくなってしまう。
「先パイだって、菓子パン。栄養が偏りますよ?」
「パンはいいんだよぉ」
「食事はみんなで美味しく楽しく。栄養第一、味も第一。母から、わたしはそう教わってますから」
「絶対に、綾街のお弁当は味第一じゃないでしょ」
解せないことを言われたなあ、なんて思う。ブロッコリー美味しいのに。
とりあえず食べる準備を進める。
今日は髪を下ろしてきちゃったから、輪ゴムでさっくりとポニーテールにまとめる。
と。
先パイがまた、固まった。
「どうかしました?」
「……あ、いや。綾街。気を悪くしたら申し訳ないんだけどね」
言いづらそうに。
先パイは、目を泳がせながら、口を開いた。
「ブラのサイズ、合ってなくない?」
「へ?」
「いや、ごめん。ほんっと、スケベな気持ちじゃないんだけど、さ。脇の下から……っていうと変態っぽいな。えっと、袖口からさ、見えちゃったんだよ。胸元」
「えっち」
「ほんとごめん! だけどさ! ……胸に、カップが沿ってなくて気になっちゃって!」
胸元に視線を落とす。
深緑の飾りが付いた、ループタイ。
真っ直ぐに、おなかのあたりまで見通せるブラウスの落ち込み。
「ちょっと、ごめん。触る。嫌なら言って」
そう言いながら、先パイはわたしの手を取って、持ち上げる。
脇腹が露わにされた。
そこに、遠慮がちに指が宛がわれる。
「くすぐったいですよ」
「うん。だろうけどさ……ねえ、下着、緩くない?」
問われて、考える。
「最近、ちょっとすれて痛いな、とか。かぱかぱするな、とか?」
「そうそれ」
「サイズが合ってないから、なんですか? 大人のってこういうものなんだと思ってました。触ってもらってる場所と、乳首がちょっとすれてて痛いのは、嫌だなあって」
先パイが吹き出した。
なんだってんだ。
「ご、ごめん。真面目に悩んでるよね……でもそっか、擦れて痛いなら、やっぱりだめだよ。お母さんとかには相談したの?
「母には相談できませんから」
あ、と思った。
気を使わせちゃう。
「でも、先パイ。高校生にもなったら、ちゃんと大人用にしなきゃっていう意識で、選んだんですよ」
「大人用って……いや、綾街の体格的にまだ、ジュニア用でよさそうだけど……どこで買ったの?」
わたしは、近所のファッションセンターの名前を挙げた。
ワゴンセールで、五枚で四千円。お買い得だったと思う。
「サイズは……?」
「Aが一番小さいんですよね。恥ずかしながら発育が悪い自覚があるので、Aサイズにしました」
「一緒に数字書いてなかった? 70とか」
「75だったかな」
「サイズの意味は?」
「胸囲を図ったら、72だったので。小さすぎると苦しそうだなって思います」
「……中学までは、どうしてたの?」
「スポブラっていうんでしょうか。Sサイズにしてました。大きくなくていいからって」
先パイは深く吐息した。
そして、天井を仰ぐ。
そんなに変なことを言ってしまっただろうか。
「……とりあえずさ。今日は、私のカーディガン貸すよ。体育とか、ないよね? なら、袖口を隠す意味でも、着てた方が良い」
そう言いながら、先パイはわたしにカーディガンを羽織らせた。
強く香る、柑橘の香り。レモンのような爽やかさの奥に、先パイの香りが移ってる。
「いいんですか? 先パイ、寒くないですか?」
「……綾街が変に見られるより、いい」
どうやら今日のわたしは、変だったらしい。
だから、噂されていたのかもしれないと気が付く。
「先パイが教えてくれないと、ひょっとして、恥ずかしいまま過ごすところでした?」
「そうかもしれない。ねえ、綾街。私は綾街のことがちょっと心配だよ。だからさ――土曜日、駅前集合。お年玉とか貯まってるならそれ全部持ってきな」
「はい?」
◇
果たして。
わたしは土曜日、先パイとデートをするらしい。
そんな事実とカーディガンを抱えながら教室に戻ると、宇和さんたちがまた、わたしを見てひそひそとささめきあっていた。
何が気になるんだろう。
気にしないつもりでも、やっぱりわたしのことを言ってるんじゃないかと疑心暗鬼に陥ってしまう。
でも。
先パイの匂いに包まれていると、ちょっと安心する。
離れていても、先パイが守ってくれているみたいで、すごく、高揚する。
すん。
柑橘の、多分柔軟剤。
あと、先パイの制汗剤と。先パイそのもののにおい。
へへっ。
借りちゃったな……なんて、頬が緩みそうになる。
あぶないところだった。
◇
六月最初の土曜日。
朝晩の冷え込みはあるけど、最高気温は二十度を上回るくらいというお出かけ日和だ。
わたしは、ちょっとだけ気合いが入っていた。
金曜日の学校帰りに、朝日駅のファストファッションのお店に寄って、新しい服を新調しちゃうくらいに。
大人っぽい服を選べたと思う。
その証拠に、
「いっちゃん、久し振り!」
駅で偶然、中学のときの友達、誉枝礼ちゃんと会った。
「めっちゃ垢抜けたね!」
礼ちゃんは中学校でいつも一緒だった友達。
陸上部の強い私立に進学するからと、袂を分かつことになったけど。
元気そうだ。こうして偶然会っても、おまえ誰? なんて言われなくて、ちょっと安心。
そして、わたしも礼ちゃんの言葉には素直になれる。
ふふんと胸を張る。そうでしょう、そうでしょう、と。
「昨日、買ってきたの」
「いいなー。あたし、休日も部活だから、かわいい服いらないんだよね」
確かに、彼女はジャージ姿。
高校の陸上部は、とてもスタイリッシュなジャージなんだ。
「いっちゃんは彼氏でもできたの? 攻めたカッコして」
「ううん。学校の先輩とお買い物だよ」
「さすが、ユリギノは違うなあ。うちの学校じゃそんなことないよ」
「無いことは無いんじゃない?」
少しだけ曖昧に笑った礼ちゃんは、時計を見て「行かなきゃ」とバッグを担ぎなおした。
「今度、りなちと三人で集まろうね」
「うん。楽しみにしてる」
手を振って、礼ちゃんはバス停へ。わたしは改札を通って。
ひさしぶりに会えた友達の姿や声は、心の滋養になってくれそうだ。
……けど。
ウキウキした気持ちだったのに、待ち合わせ場所に着いたわたしは少しだけ、恥じらうことになった。
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