事案第十八号「共同正犯」(2)
「何を飲みますか? 注文まだですよね」
なんでもなく話し始めたわたしに、不満そうな顔をしながら「アメリカン」と端的に答える。クールなのか照れ隠しなのか、なんて。伺い見る必要もない。
頬が赤いのは、寒いからだけじゃないですもんね?
「モバイルオーダーのアプリ?」
「便利ですよ。席で注文して、支払いまで終わります」
「クレカが必要なんじゃないの?」
「ふふっ。先パイ、お忘れですか? わたしって、売れっ子芸能人でレストランをプロデュースするくらいの母がいる、お金持ちの娘なんです」
こんな冗談、言ってて空しくなる。
食費用だと持たされているデビットカードと連携しているだけなんだけど。
「じゃあ、アメリカンもらおうかな。後でお金払うね」
「いえ、いいですよ」
「後輩に奢ってもらうなんて、先輩として恥ずかしいじゃん」
「じゃあ、お昼ご飯をごちそうしてください。わたし、いっぱい食べますから」
「一杯?」
「いっぱい」
「多少は加減してよ」
少しだけぬるくなったココア。
舌の上に、苦みを残す。
ため息。
「わたしって、嫌みな、くそがきなんです」
「それが、私に話したかったこと?」
がた、と。椅子を寄せられる。
肩と肩。膝と膝。吐息と吐息。
シトラスの香りが、久々に、肺に満ちた。
「……先パイとお話をしたかっただけです」
冷え切った指先が、白瀬先パイの手のひらに包まれる。
「うん。私も、綾街と話をしたかった……ずっと」
横目で窺い見た白瀬先パイの瞳――アンダーリムのレンズが、鈍く景色を反射していた。
「ねえ、くそがき……じゃなかった、綾街」
「なんですか、失礼ですね。人のこと捕まえて」
む、とむくれて見せると。白瀬先パイは飲もうとしていたコーヒーでむせた。
「自分で言ったんじゃん」
「ええ。自分で、自分の言葉で、言いましたね」
白瀬先パイの指が、わたしの親指の爪を、もみ、もみ、と。
もみもみされる。
「ねえ、綾街。言い忘れてた」
「あ、はい。なんでしょうか」
「ただいま」
包まれるだけの手を、返す。
手のひらが触れあった。
「おかえりなさい。寂しかったです」
「そんなに?」
「だってわたしからメッセージ送っても返事が返ってこないし芸術鑑賞会の時の謎の金髪美少女が留学生としてわたしのクラスにいるし先パイってばずっといちゃいちゃいいちゃいちゃしてるしそうかと思ったら修学旅行だし旅行中は旅行中で写真の一枚もくれないし」
一息で言い切ると、白瀬先パイの肩が、ちょっとだけ離れた。
「あの、ええっと、ごめん」
「許しません。寂しさを埋めてください」
きゅっと、指の股が、きゅっきゅと、締め付けられる。
窺い見たレンズの奥。薄く、細められている。
「デレ街」
「……いじわるな先パイ」
「あはっ。ごめんごめん」
朗らかに笑う白瀬先パイは、またわたしの肩に体温を伝えるくらい、身を寄せてくれた。
「ねえ、先パイ。どうしてわたしのこと、無視したんですか?」
「無視したんじゃないよ」
まるで用意していたみたいな、淀みない返事。
「イトコがさ、ホームステイするからって、急にあれこれ忙しくさせられてさ……でも、綾街にはそのことを言えなかったね。そこは本当に、ごめん」
こつんと、わたしのこめかみに、白瀬先パイの頭が乗っかった。
「修学旅行中は……これも言い訳だけど」
「はい。言い訳、ですか」
「……綾街に連絡しようと、なんどもしたんだ。だけどさ」
そう言って、白瀬先パイはテーブルの上にスマートフォンを置いた。
使い古された、リンゴのロゴ入りの端末。塗装が剥げかけたその筐体の画面には、いくつかの発信履歴。
それは毎晩、わたしあてに電話を掛けようとした形跡。
「メッセージは消しちゃったけどさ。電話のほうは、何度も掛けようとして、そのたびに邪魔が入ってさ……本当に、ごめん」
白瀬先パイの声が、骨伝導で直接鼓膜に届くみたいに、響いた。
「いいです、先パイが暖かいから、そこはもう怒ってません」
「じゃあ。もう一個」
そっと、体温が遠ざかる。
衣擦れの音。白瀬先パイが居住まいを正して、わたしにまっすぐ身体を向けてきた。
思わぬ空気に、こちらも背筋が伸びる。
でも、冷えた空気に冷やされる右半身、とくに右手が冷たくって、きゅっと膝の上で握らなきゃいけなくて、
「綾街、イトコのことをちゃんと伝えてなくて、ごめん」
空気の層が、ゆずの香りを纏う吐息と一緒に、鼓膜を震わせた。
「リリーバーグさんとは、随分と仲良しなんですね。まるで恋人同士な距離でした」
わたしの言葉は、どうしてこんなに嫌味なんだろう。
きっと漫画の吹き出しならトゲトゲした描き方をされるし、三文小説なら木枯らしが安易に吹き付ける。
さっきでベタベタくっ付いて手を握っていた自分たちを、棚の上の奥にしまい込んだ物言いは、すごくすっごくメンドクサイことだろう。
「ねえ綾街。ひとつ言っておく」
わざわざ、隣にいるのに、あえての「ねえ」という呼び掛け。そのワンクッションの重さは、綿花かと思ったらスチールウールだったみたいに、ずしりと痛い。
顔が上げられない。
はらりと胸元に、幾束もの髪が、落ちてくる。
「私は、秋穂白瀬は、ひとりの女として共に歩きたい相手がいる。だけどそれはイトコ・リリーバーグではない」
俯いて御簾のように垂れ下がったわたしの髪を、白瀬先パイは指先で掬った。
「見ないで、先パイ」
ひどい顔になっている自覚があって、反射的にそっぽを向いてしまって。
背中を向けたわたしに、
熱が覆い被さる。
「見ないであげるけど、このまま伝えるよ」
耳朶をくすぐるような距離の口唇。
産毛を掠めるような吐息。
白瀬先パイの、胸の柔らかさまで、伝わってくる。
わたしはこんなにも身を堅くしてしまってるのに。
だからこそ、先パイに何か言われるよりも早く、わたしの言葉は口唇から零れ落ちる!
「白瀬先パイ。わたしたちって、何?」
いつか、答えをくれなかった問い。
だけど、
「一香」
名前呼び!
「あやまち、いつかは」
蕩けるようなトーン。
すっと身体の力が抜かれていくような甘さ。
「私にとって、共犯者だよ」
「共犯……」
「風紀規定なんか知らない。けど、綾街の特待生であるキツさは知ってる。品行方正であろうとする、その理由を」
一息。
「私は特待生資格を失ったけど。綾街に救われた。だから綾街が何かするなら一緒に歩いていく。なんなら一緒に堕ちていく。だから、共同正犯が成立する」
息ができない。
決して、白瀬先パイの腕が締め付けてくるわけでもないのに。
「私にとっての何になろうだなんて思わなくて良い。綾街は、綾街だからいいんだ。ただ私は、過ちを犯しても、いつか、愛を知らせてやりたい」
思考が追いつかない。
どうしよう。
「白瀬先パイ」
口が動く。
「勝手すぎます。なんですかそれ。……愛なんて大袈裟な……」
振り仰いだ先。
白瀬先パイの顔が、日に照らされている。
シトラスの香り。
「~~!」
顔が熱い。
手のひらに爪が食い込む。
叫びだしたいくらい、身体の中が渦巻いてる。
危なかった。
ここが駅前のカフェでなくて、いつもの図書室だったりどちらかの部屋だったりしてたら、今頃わたしは先パイに襲いかかっていたかもしれない。
瞼に触れる。
少し潤んでいるのはきっと、さっき読んでいた戯曲から妖精が飛び出してきていたに違いない。
「白瀬先パイ。お願いです」
「うん」
「わたしは先パイの特別になりたい」
「もうなってるよ」
「その証がほしいです」
「もう、したじゃん」
手を伸ばす。
白瀬先パイの白い指を取り上げ、胸に抱く。
「な、ちょっと綾街? 時間と場所っ」
「わたし。胸が小さいのってあまり気にしてなくて」
先パイの狼狽なんて気にしない。
「背も低くてちんちくりんだから、大人用が選べないのが不便って思ってるだけだったけど、でも」
手を、胸に押し当てる。
先パイのしっとりした熱が、買ったばかりのブラウス越し。きっと、脈動するリズムが、薄い生地と脂肪を越えて届いているはず。
「白瀬先パイにかわいいって言われたいです」
「あ、う……」
「ほら」
早鐘を打っているのは、わかってるはず。
だって、白瀬先パイの顔まで、秋の気配に染まってるから。
「白瀬先パイに、触ってもらうの、好きですよ」
「それ以上はいけないっ! 綾街、私の理性が限界だッ!」
ガタンと椅子を揺らして、白瀬先パイは飛び上がるように立った。
「ふふっ」
おっかしいの。
わたしみたいなちんちくりんに動揺しちゃって。
「今日のところはここまでにしておきます。……先パイ?」
紅潮させた顔がそのまま凍り付くように、白瀬先パイは窓の外を凝視していた。
なんだろ?
振り向くと。
ガラス越しに、宇和さんと、笹芽さんと、
「イトコに見られた……おしまいだ……」
満面の笑みのイトコ・リリーバーグさんが、そこにいた。
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