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事案第十七号「キャパシティ」(2)

 図書室は静かだ。


 廊下の反響でくぐもったブラスバンドのハーモニー。

 カウンター向こうで返却本を整理する音。

 パソコンのキーボードを打つ音。


 そして。


 テーブルの向かい側で本を開く、プラチナブロンドの留学生。

 読んでいるのは、童話全集。

 日本の物語を知りたいという彼女に、わたしがお勧めした一冊だ。


「いっちゃん」

 はじめの頃みたいな強烈なイントネーションは、口が馴染んできたらしく自然な発声だ。

「どうかしましたか、リリーバーグさん」

「ムー、まだなかよしなれない?」


 不満そうに頬を膨らませる。

 同性の自分から見ても、美少女だと思う、愛嬌のある相貌。

 クラスメートたちが白百合に準えるのが、理解はできる。


 祖父母の世代の誰だったかが、オーストラリアに渡ったという。身の上語りを聞くに、ドイツ系と、イギリス系が多くて、そこに件の日本の血が綯い交ぜになっているんだとか。

 ヘーゼルナッツ色の瞳が、にまっと細くなった。


「なんですか」

 警戒色が、言葉に混ざってしまった。

 わたしが感じている黒いもやの正体はなんだろう。

「いっちゃん。この本、おもしろいね」

「気に入ったお話はありましたか」

「ぜんぶおもしろいよ。いっちゃんがえらんでくれた、全部」


 そうでしょうとも。

 宮沢賢治はいいものなんだから。


 ……わたしがジョバンニの物語を書いたわけでもないのに、むくむくと自己肯定感が沸き上がってくる。

 単純なやつ。いやなやつ。


「イトコは、いつもシェークスピアを読みます」

 わたしの内心などお構いなしに、リリーバーグさんは話し続ける。

「シラーセと、いっちゃんは、どっちがジュリエットですか?」

「さあ。シェイクスピアの登場人物ですか?」


 ロミオとジュリエットはタイトルを知っているけど、その内容までは知らない。

 だからどう準えられたのかはわからなくて、素直に、でも嫌味みたいに返してしまった。


「いっちゃんは、ホンノムシだってシラーセが言ってた。きっと、話が合うよって」

「そうですか。わたしは本なら何でもいいので、シェイクスピアにはたどり着いてません」

「そうなの? 全く? シラーセのママは、ガラカメで読んだって言ってた」


 ガラカメ。

 昭和の頃の少女漫画のことか。だとしたら、

「真夏の夜の夢か、ふたりの王女のどちらかでしょうか」

「えーっと。A Midsummer Night's Dreamって、日本語にしたら」

「真夏の夜の夢のほうですね。それだったら、わたしも読みました。ガラカメで」


「Excellent!」

 立ち上がり、快哉を叫ぶリリーバーグさんに、わたしは思わず顔をしかめた。

「いっちゃん? 何か悪いことした?」

「Please keep silent. Here is library」


 リリーバーグさんの目が輝いた。

「Oh, sorry mate! I was having so much fun talking with you, I totally forgot we're in the library. Ach, and it made me so happy that you tried speaking English to me! We're definitely going to be great friends. Natürlich, I'm totally rooting for your romance with Shirase, too!」

「えっ、なんて?」


 興奮気味にまくし立てられたって、半分も聞き取れない。リスニングは本当に苦手だ。


 でも。

 そう言えば彼女と初対面だったとき、彼女が白瀬先パイになにやらまくし立てていたのと似た構図のような気がする。


 ……まあ、白瀬先パイは英文科に語学力を遺憾なく発揮してたけど。

 コミュニケーション方向が一方にしか向けられない、不器用さが、とおおっっても! 苛立たしいんだけど!

 なんなの! キスしたくせに!


「いっちゃん? ごめんね、わーってなっちゃった」

 ヘーゼルナッツ色の瞳が、わたしのことをじっと見つめていた。

 だから、咳払いをひとつ。

「いえ、別に。何を言われたのかわからないのは、気にしませんから」


 本当に。気にしない。

 もっと大事なことを思い出したから。


 修学旅行中だからって放置しないでよね、先パイ……。


◆


 一通りの調べ物をして、図書室を出る。

 ユリギノさんのお社に手を合わせる。

 バスが来るのを待つ。


 その一連、ずっと隣に、プラチナブロンドのクラスメートの姿。


「……まあ、帰る方向一緒だもんね」

「? いえーす!」

 無邪気に笑うリリーバーグさんは、きっとわたしの内心なんて気にも掛けていないのだろう。


 バス停に滑り込んできたバスに乗ろうとすると、彼女は

「あれ?」

 と声を上げた。


「シラーセから、このバスじゃないって聞いてるよ」

「え? いつもこれに乗ってますけど」

「シラーセとはここでお別れ?」

「いえ。朝日駅まで一緒です」


 リリーバーグさんは一瞬考え込み、それから、ぱっと表情を明るくした。

 そして、ばっとわたしに飛びついてきて――

「ふぎゃ!」

 わたしが咄嗟に避けたせいで、ポプラ板のベンチに膝を強打したようだ。


「oh...」

「いたそう……」

 緑がかった瞳に涙を浮かべながら、それでもわたしの肩に手を乗せ、

「いっしょ、のりまーす!」

「……はあ。そうですか」


 変な人だ。

 だけど、確かに。リリーバーグさんは白瀬先パイの家にホームステイしている。北二十条駅のあたり。

 このバス停からは、北二十条行きも出ているのに、白瀬先パイはいつも朝日駅行き――地下鉄で二駅となりだ。


「Oh, mate! Did you notice? Shirase cares about you so much, so you don't need to be jealous of me at all, honestly! Ach, and if my touching is a bit too much and made you misunderstand, I am so, so sorry, Schatzi. Aber, you know, I think you're such an amazing friend to me, too. We've totally gotta be close, alright?"」

「えっ? なんて?」

「ごめーん! 日本語だとなんといえばいいか、わからないの!」


 考えるけど、聞いたことのない慣用句……スラング、がきっと混ざってる。

 そもそも正確に聞き取れているのかもわからない。


 だけど、最後。

 フレンズとかなんとか聞こえた気がする。

 わたしと友達になりたい、ということなんだろうか。

 それなら、わたしの返答は、ひとつしかない。


「なるようにしかなりませんよ」


 リリーバーグさんの頭の上に、はてなマークが十個くらい浮かんだ。

 けれども、それでいいと思う。


 教室で浮いているわたしと仲良くしたって、彼女の留学生活にプラスは少ないだろうから。

 たまたま同じ教室で学ぶ、たまたま共通の知人がいる、たまたま本という共通項がある。それだけで十分。


「いっちゃん、言うことむずかしい」

「わたしには貴女の英語のほうが難しいです」


 ディーゼルエンジンが唸る。

 がたがた揺れながら発車したバスは、朝日駅に向かって走る。


 その二十分。

 わたしは、リリーバーグさんの止まらないおしゃべりに付き合いつづける。


/◆◆◆


 ポプラ並木に囲まれたお社に、ひとつの人影と、ひとつの狐影。


「やり過ぎじゃ」

 苦言を呈するような声に、

「けれども、修学旅行中にスパイスを振りかけるのは、ウカさまの好みじゃないかしら? 余は、結構好きだけど」

「我は知らんぞ、なんと言われても」

「常彦さんは、女の子同士の機微に疎いから」

「お前は明治の女だってのに、よく気が付くものよの」


 ため息をつくように、大きく息を吐いた北狐は、ポプラ並木の中に消えていく。


 ひとり取り残された女神は、社殿へと立ち入る。


 封印されたふたつの桐箱。


「必死な乙女の神頼みは、極上の甘露……よね。マキナ」


 さきほどまで黒く塗りつぶされそうだった少女は、その正体の一端をつかみかけたらしい。


「幾重にも折り重なる祈りを届けるには、流れに棹さすべき時が来る――」


 ふむ。

 女神はひとつ頷いて、桐箱に触れた。


「さて。報告書を認めるとするかの」


 そう言いながらも、女神はその場を離れない。


 ふわりと、小豆色のロングスカートが揺れた。

 風もないのに。


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