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事案第十六号「翻訳」(3)

 放課後になり、手早く荷物をまとめて席を立つ。

 誰かに声をかけられないように、どこかに逃げられないように。


 向かうのは、二年生の教室。

 各クラスから、生徒玄関なり部室なりへ行くのには、階段前を通らなければいけなくて、わたしはそこで待ち伏せをしたのだ。


「白瀬先パイっ」

 クラスメートさんと一緒に歩いてきた先パイは、野暮ったい銀縁眼鏡の据わりを直して、微笑した。

「珍しいね、綾街」

「白瀬。これが例の?」

 隣のクラスメートさんが、これ、と言う。


「そうそう。綾街、イトコと仲良くしてくれてるんだね」

「はい? イトコとは」


「ナカヨシヨー」


 カタコトの相槌、ビックリしすぎて声が出かけた。

 すぐ後ろに、ブロンドの美少女がいた。


「シラーセ、かえるの?」

 心臓がバクバク鳴っているわたしを尻目に、リリーバーグさんが白瀬先パイの腕に絡みつく。

「仲いいんだねえ」

 クラスメートさんもそれを止めない。


「図書委員の仕事があるけど、私は図書室の前に職員室に行かなきゃいけなくてさ。綾街は図書室にすぐ行くでしょ?」


 咄嗟にうなずいたけど、すぐにそれは失敗だったと気付く。

「じゃあ、綾街。悪いんだけどさ」


 腕からリリーバーグさんを引き剥がした先パイは、

「イトコ、ちょっとだけ相手しててよ」


「……いとこ?」


 四親等の?

「似てませんね」


 なぜかそんな感想が出た。


 なぜだか先パイのクラスメートさんである多田野先輩と、フルネームをイトコ・リリーバーグという留学生と共に、図書室前のカフェテリアへと移動してきた。


 まだわたしは混乱中で、遠慮なく白瀬先パイに絡まり付いていた留学生は、なぜだかわたしのことを盾にするように、多田野先輩を遠ざけている。

 そして多田野先輩は、留学生よりもわたしに興味があるのか


「綾街ちゃんは普段何してるの?」

「ちっちゃくてかわいいなって思うけど、誉めて大丈夫?」

「っていうか髪、めっちゃ綺麗だね」


 質問責めだ。

 わたしのことを根ほり葉ほり聞くつもりではないか。


「どうしよう、あたしも綾街ちゃんのこと気に入りそう。連絡先交換しようよ」

「え、いやです」

「超クールじゃん! おみやげ買ってくるね!」

「別に、いりませんけど」


 なんだなんだ……このテンションは。

「あの、そろそろわたし、図書室に……」

「あっ、引き留めてごめんね! 噂の綾街ちゃんと話せてテンションあがっちゃった! またね」


 何やら激しい人が、去っていった。

 わたしの後ろに隠れていたイトコ・リリーバーグさんもまた、胸をなで下ろしている。

「……それで、リリーバーグさんはどうしてここに」


 仕方がなく話を振る。

 図書室まで付いてこられると、話をしづらい。

「イッチャン! は、わたしにキョーミない。なにもきいてこない」

 興味がないか聞かれたら、別に取り立てて問い詰めるほどの興味はわいていない。


 せいぜい、白瀬先パイと距離が近いくらいだ。

「イッチャン! やすんでた。だからキョーミある」

 わたしを呼ぶ語気が強いのはなぜだろう。

「何か知りたいのでしたら、どうぞ」

 わたし自身を知ってどうしようっていうのかはわからないけれども、無碍にするほど不快でもないし、無駄に敵対する必要もないので、促しておく。

 本音を言えば早く図書室に行きたいのだけど。


「Are you and Shirase a thing?《君と白瀬はいい感じなの?》」

「えっ。しらせは、もの?」

 リスニングが苦手だ。でも先パイはものじゃないと、リリーバーグさんも承知のはず。


 つまり?

「何を訊きたいのかわからないです」

 答えない。いや、答えられなかった。

「mm...」

 リリーバーグさんも同様、どうしたらわたしに伝えられるか悩んでいる様子。


 ふと思い立ち、鞄からノートを取り出す。

 そこに英語で、何を訊きたいの? と記すと、彼女は目を丸くした。

 ペンを差し出す。すると、癖の強い字で、質問が綴られる、


『イチカは耳が悪いの?』

 いきなりパーソナルなところを訊かれたものだ。

 名前を間違えられているけれど、そこは無視しておく。

『いいえ。聞き取りは苦手です』

『私はドイツ系移民の父と、オーストラリア人の母がいます。発音にドイツ語の訛りが混ざることもあって、聞き取りが難しいですか?』

『はい。スラングもあると、教科書どおりじゃないので正しく理解できないかもしれません』

『さきほどの質問を丁寧に書きますか?』

『わたしはそれを望みます』


 筆談は名案だなと思っていると、リリーバーグさんはさらさらと、先ほど訊きたかったことを書き始めた。


『イチカは、シラセの恋人ですか?』


 ……さあ? わたしが知りたい。


『そのような約束、契約は、わたしと彼女の間にはありません』

『もったいない!』


 それはどういう意味だと思っていると、続きが綴られた。


『イチカは美人です』

 そうかな。ありがとう。

『シラセがいらないって言うなら、私があなたを求めたい』

 ペンを受け取る。


『いやです』


 リリーバーグさんがわたしの返信を読むと、まるでひまわりが満開になるような笑顔が帰ってきた。

 わたしの訳し方に問題があるのかはわからないけれど、どうやら気分を良くしたリリーバーグさんはとにかく朗らか。


 よくわからない人だと思う。


「あっ、シラーセ!」

 職員室の方から歩いてきた白瀬先パイに、まっさきに気が付いたのはリリーバーグさんだった。

 駆け寄り、飛び付いて腕に抱きつく。


 そしてこっちを見て、


「……楽しそうですね」

 そうこぼしてしまうほど、満面で嫌な笑みだった。


 ああ。醜い。

 俯いてしまったわたしの顔は、うまく髪で隠れただろうか。


/◆◆◆


 神に縋りたい生徒が、そこにいる。


 自覚のない嫉妬心で生まれた毒の湿地に、その心を沈めてしまうような、汚泥にまみれた身体を抱いて静かに泣くような、そんな激しさとは正反対の少女。


 薄い膜の張ったような白貌。

 遅れてやってきた秋穂白瀬を出迎える綾街一香は、まさに無表情の微笑を湛えている。


 一部始終を見守る女神は、にまりと微笑む。


「これで、展開するとよいのじゃが」


 下校準備を始めた、三人分のスカート。


 明日からの修学旅行を控えて、ひらりふわりと舞うロングプリーツと。

 無邪気に絡みつく、真新しい厚手の生地と。


 すとんとまっすぐに、綺麗なひだを崩さない少女の


「しかし、可哀想になるの……どれ」

 パチンと指を鳴らす。


 不意に吹き付ける風。

 少し遅れて歩くロングヘアが、背からの風を受けてばさりと舞う。


「ふむ?」


 動じない少女。

 女神の手にはペンとメモ帳。


   心を覆う熾火の灯り 黎明の訪れはいつか


「ふむ。報告書を認めるとしようかの」


 小豆色のロングスカートを翻した女神は、まだ下校していない学院生たちの中に溶けていった。


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