参考メモの三 副担任・福飯教子
福飯教子。二十九歳。
今夜は勤務先であるユリギノ女学院から、バスで二十分のところにある朝日神社に来ている。
立て看板には夏休みの課題とした郷土史のレポートの参考になる情報が記されていて、朝日神社、あるいは朝日稲荷の来歴が簡潔にまとまっている。
なるほどあの子は丸写しにしたのねと納得したりもする夜。
秋の例祭によって賑わう一角から離れ、福飯教子は出店で買ったラムネで喉を鳴らす。
甘く、強い刺激だ。
まるで教鞭を執る日常とは、正反対の刺激。
学院の生徒等も、この刺激に身を踊らせたいことだろう。それゆえに生徒指導として送り込まれたのだ。
福飯教子勤務先であるユリギノ女学院には、敷地内に古くからあるお社がある。
彼女が学院生だった頃には自然に存在していた。来歴を調べると対象元年まで遡れるらしい。
建立された当時は、現在で言う揺貴町の開拓が進んだ頃。屯田兵村が、寒雁の中心部と容易にアクセス可能となった時代。
……というのは、生徒たちが提出した夏休みの課題レポートである、郷土史を添削していると自然に身についた。
そんな中、福飯教子すら知らない内容をまとめた、とんでもないレポートが提出されたのが、今年の夏休みだった。
綾街一香。
普通科特進クラス、福飯教子が副担任を努めるクラスの、物静かな優等生だ。
どちらかと言えばクラス内で浮いた存在で、しかしそれは腫れ物ではなく特別視。
同性の教師こと福飯教子も息をのむ美しい黒髪に、整った顔立ち。だというのに背が低く、華奢で、春頃などは制服に着られているような子だったが、最近は胸を張り颯爽として、ひとりで歩く姿をよく見かける。
あれは恋をした少女の変貌だと、福飯教子は睨んでいる。
芸能人の母と離れて暮らす少女が突然あか抜けるには、恋しかない。
しかし悲しいかな、彼女は特待生。
不純異性交遊を禁じる校則に抵触してしまえば、どうなることやら。
あやまちをおかさないよう、自分がサポートしてやらねばならんと、福飯教子は意気込んでいた。
ラムネを飲み干す。
刺激は、足りぬ。
◆
制服姿で朝日神社祭に姿を見せる学院生はそこそこいて、先ほどまで福飯教子が眺めていた看板を見ながらノートにペンを走らせていた綾街一香もそのひとり。
そして、もうひとり。
福飯教子が受け持ったことはないが、存在を認知している生徒が現れた。
二年生の秋穂白瀬だ。
「あなた、制服で来てるけど、寄り道は校則違反よ。届け出はしているの?」
「え、私ですか? 届け出してませんけど」
あら。
福飯教子は内心、来た甲斐があったと舌なめずりだ。
「よく見たら第一ボタンも外しちゃって。品位を損ねちゃうし、着崩すのは御法度よ?」
「すいません、急いで着たもので」
そこは素直に、言うことを聞いた。
悪い子ではないのだろうと、福飯教子は満足を覚える。
「届け出されていない以上、先生の立場としてはあなたを帰らせないといけないわ」
「寄り道じゃないから、大丈夫なはずですけど」
おや。
そこは抵抗するのかと。指導力の見せ場だと、福飯教子は内心、腕をまくり上げる気分。
「一人で来たのかしら? あなたを捕まえておけば、一網打尽にできそうね」
「大丈夫だと思いますけど。ちゃんと届け出して来るって言ってたから」
「じゃああなたひとり、ここを通すわけにいかないわねえ」
「届け出いらない思うんですけど」
「あなた、二年生よね? 担任の先生からお達しがあったはずよ」
「担任からも聞いてますよ。そのうえで、一度帰ってシャワー浴びて来たから大丈夫って判断なんです」
福飯教子はピンと来た。
彼女は、昨年まで特待生資格を有していたが、成績の加工と学業外の功績点が足らずに資格を喪失した生徒だ。
「あなた、不良って程じゃないけど、あまり真面目じゃないって評判よ、秋穂さん。だから目を付けてるってわけじゃないんだけど」
すると、秋穂白瀬は一瞬だけ表情を崩した。
唇を噛むような、痛みをこらえるような顔だ。
一瞬だったがそれは、福飯教子の教師魂が警報機となって鳴動する。
踏み込むのを止めろと。
「じゃあ、秋穂さん。誰と来たの?」
問いに、秋穂白瀬は最初と同じ表情に戻り、
「一年普通科特進クラスの綾街一香さんです」
「綾街さんならもう来ているから、挨拶くらいはいいわよ」
ほら、と指を指した向こう。
足下に白い狐が来ているのに気を取られ、小豆色と千歳緑のタータンチェックのスカートを揺らしている小柄な少女。
「絵になるなあ」
あらあら?
秋穂白瀬の何気ないつぶやきに、福飯教子のアンテナが何かを受信した。
「秋穂さん。早く綾街さんと合流したい?」
「もちろん」
「ここで届け出を書けば、見逃してあげてもいいわよ」
もちろん本来はそんなことは許されない。
だが、まだ若く、刺激に飢えている福飯教子には、その提案を通すだけの伝手がある。
だが。
「一回帰ってシャワー浴びてきたら、制服着てきたっていいんじゃないですか?」
強い視線だった。
ゆえ、福飯教子は聞き流し掛けた。
実際には一度、スルーしてしまっていたが。
「そ、そう帰ったの……あ、証拠が有れば、いったん、不問としますね……」
言いよどんだ福飯教子に、秋穂白瀬は己の湿った襟足を見せ付けた。
「いいですか」
「ハイ。ゴメンナサイ」
何も言えない。
綾街一香のもとに小走りで向かう秋穂白瀬。
合流して二言くらいの言葉を交わして、そして福飯教子にむかって会釈をして、屋台へと向かっていった。
確かに言われてみれば、綾街一香は鞄を持っていて、秋穂白瀬は手ぶらだった。
「駅に置いてきたかもじゃん……」
誰に向かって言い訳しているやら。
福飯教子は己の不徳を恥じた。
◆
福飯教子は熱心な教師だった。
自身は首都圏育ちながら、世界的デザイナーの叔母から影響を受けて育ち、叔母の母校であるユリギノ女学院を選び、そのまま寒雁市の教育大からユリギノ女学院の教師となった。
それゆえに、ユリギノ女学院を取り巻く独特の風習を理解している一方、学院側の掲げる理想も理解している。
校則が掲げる服装規定なんかも、学院生の立場で変えようと先頭に立って旗を振ったことだってある。リボンは長い方がかわいいからだ。
そんな福飯教子だからこそ、特待生である綾街一香には期待をしているし、彼女を惑わせる諸々を遠ざけたいとも思っている。
秋穂白瀬がそうでなければいいと信じつつ、目下の課題は別にあった。
彼女の目の前には、浴衣姿の二人組が、仲睦まじくカキ氷を食べさせあっている光景がある。
少し着崩れているのは気付けの悪さか、着崩れたのか。
ともあれ友情と言うには近すぎる距離感の二人組は、宇和早月と笹芽紀子。
一年普通科特進コース所属、成績は中の下のふたり。
綾街一香のクラスメートだ。
彼女らは数日前にトラブルを起こしたと報告を受けている。
副担任として受け持つクラスで起きたことなので、概要は聞いているのだが。
笹芽紀子は、制服に採用されている濃く暗い緑のリボンで髪をまとめていて。
一方の宇和早月は、深い臙脂のリボンを手首に巻いている。
福飯教子が在学中とは形は変わっているが、あれはまさしく親愛の契りの証。
いわゆるエスの相手が居るというアピールのリボンだ。
あらあらあらあら!
興奮を覚えつつ、しかしこのふたりが組み合わさっているとは限らないと、冷静な観察に努める。
まず、風紀規定に違反はしていない。
・本学院の生徒である自覚を持ち、いかなる場合においても品位を損なう振る舞いを慎むこと。
仲睦まじくしているのは、品位はあるだろう。
・不純異性交遊は、学院内外を問わず一切を禁じる。
同性。問題なし。
・放課後は部活動、委員会活動および地域奉仕活動並びに学習塾等自己研鑽に掛かる活動を除いて、速やかに帰宅すること。
浴衣なんだから一度帰っているはず。余計なことは疑わないと学んだばかりだ。
おやおやおやおや!
非常にクリアで清い関係だこと!
福飯教子は興奮半ばに、学院生達を影ながら観察する。
ちょうと、笹芽紀子が宇和早月の手首をつかんで、カキ氷を自分の口に運ばせたところだった。
実に。
実にありきたりだ。
だがそれがいい。
「仲良きことは美しきかな」
満足げに呟き、福飯教子は見回りへと戻っていった。
仕事はまだ、残っている。
/◆◆◆
白い北狐が、ふらふらと刺激に酔いしれる教師を見送った。
「あれが綾街一香のクラスを受け持つ教師よ、常彦さん」
揺貴蒔菜比売は背を向けたまま、別の番の監視を続けている。
『今年の対象をあれにしなかったのは、正解だったようだな』
「ええ。ありきたりな話は、去年、不評だったもの」
『貴様もまるで創作家のような苦労をしているな』
しみじみと呟く木滝常彦神に、揺貴蒔菜比売は嘆息で答えた。
「思うとおりに行かないから面白いとは言え。もうちょっと、踊って欲しいのにな」
小豆色のロングスカートが翻る。
「今宵はそろそろお開きかしら」
祭りの明かりが、僅かに和らぐ。
夜も更けて、
『これよりは我ら神の時間よ。のう、お主もこちらで』
「残念、合祀されていないの」
肩をすくめて、女神はポプラの木々に消えていった。
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2026/9/30 章タイトルを修正(参考メモの四 → 参考メモの三)




