事案第十四号「風紀規定」(3)
お祭りというのは非常に悩ましくて、何が困るのかというとお小遣いが足りなくなるのだ。
リンゴ飴か、綿飴か、両方か。
食い合わせというものも考えなきゃいけない。
長袖のブラウスを汚さないように気を付けながら、生焼けのイカ焼きから垂れる汁を発泡スチロールのお皿で受け止めた。
「お腹、苦しくならない?」
「まだまだ、六分目ですけど先パイが食べないなら、歩くのに邪魔になるし、これで最後にしますよ」
「デザートはかき氷?」
「ふふっ。さすがに寒くなっちゃいます。あ、チョコバナナ! 先パイ何本食べますか?」
「私はいいよ」
「ええっ」
白瀬先パイは早々に食べ終えたので、ひょっとしたら調子が良くないのかもしれない。
仕方なく、イカ焼きのトレイと串をゴミ箱に捨てて、ウェットティッシュで指を拭く。
ふと見ると、薄明かりに浮かび上がる参道と、拝殿が見えた。
じゃりざりと、草履が石畳を蹴る音。
ふたり分の鮮やかな浴衣のシルエット。
「おまたせ」
よく通る大きな声が、それでも遠慮がちに突き抜けた。
「綾街、どうした?」
「聞き覚えがある声が、あっちから」
視線を向けると、黄色い浴衣が、藤色の方に一歩を詰めた。
「いやな態度、取っちゃってゴメン。きーこがせっかく、勇気を出してくれたのに」
そういえば、宇和さんはこのあたりに住んでいるんだったっけ。
もうひとり、きーここと笹芽さんの声は聞こえないけど、彼女も割と近い。
だから、地元の神社のお祭りに、ふたりで来たんだろう。
「笹芽さんたちですよ、先パイ」
「ああ、この間の」
先パイにとってはなじみが薄いけど、わざわざ時間と心を割いてくれた相手なので、
「うまく行ってそうなのかな?」
「きっと」
「ふうん。良かったね」
素っ気ないながらも、優しい響き。
見上げた先パイの横顔は、瞳だけわたしに向いていた。
「先パイ」
ちょん、腕がぶつかる。
「うん、綾街」
擦れ合う手の甲。
体温。
いつものシトラス。
「あの、先パイ」
中指が絡め取られた。
「汗が」
「さっき拭いてたでしょ」
「それはソースで」
アンダーリムの向こうが、反射する提灯の明かりで見えない。
「品位を損なってない?」
「なんですか、急に」
「校則の、風紀規定。ほら」
・本学院の生徒である自覚を持ち、いかなる場合においても品位を損なう振る舞いを慎むこと。
本当に急に。
生徒手帳の風紀規定のページを思い出した。
「……手を繋ぐのくらいは、友達同士でも、しますよね」
わたしの手のひらが、先パイの長い指をまとめて掴んだ。
でも、
「それ以上進むなら、偶然じゃないよと。言ってください」
門を開け放ったうえで、誘い込むような計略。
けれど、そんなはったりは、あっさりと乗り越えられる。
白瀬先パイは臆せず、攻め込んできた。
指という指が、絡まった。
臆せず、というのは、違うみたいだった。
冷たく震える指先。
きゅっと結ばれた口唇。
熱っぽく湿る視線。
何かを言いたそうにしていて、言えないでいるみたい。
「ねえ、白瀬先パイ」
だからわたしが、言わなきゃいけないんだと思う。
「いつか、先パイのお部屋で、ぶつかっちゃった日のこと。わたし、覚えてます」
顔は見られない。
「後悔してます。ノーカウントって言ったこと」
「事故でしょ」
震える声が、頭の上から。
この期に及んで、先パイは退路を確保しようとしてる。
だったら。
繋いだままの手を引く。
薄暗い参道を横切って、人気のない、お堂の裏手。
喧騒と、
ざわめく葉音と、
心音と、
鈴虫の鳴き声と、
「カウントはいつ再開させますか?」
正面に回り込んだ先パイの吐息を、
わたしの背伸びで、消した。
あ。
口の中のソースとチョコが、
◆
お互いの体温は感じている。
ざわざわとうるさいポプラの枝葉。
繋いだままの指先。
その分の距離が、白瀬先パイとの間。
スカート越しの、コンクリートの冷たさ。
焦げるソース。
シトラスの爽やかさ。
制服の樟脳の残滓。
「綾街」
優しく甘い声。
「なんですか」
「不純異性交遊は、禁じられてるよね」
「そうですね。風紀規定に書いてありますね」
「同性だとどうなんだろう」
さあ、どうだろうか。
先パイが何を気にして、怯えているのかわからない。
いつもの距離感なしはどこに行っちゃったの。
「……今までどおり会ってくれますか?」
先パイの震えを感じていると、そう聞くのがやっとだった。
「今さら、パーソナルスペースを普通の人と同じようになんて、許しませんから」
はは、と、うめくような笑い声。
「そうだよね。らしくないか」
「そうですよ。らしくないです」
「お、言うね」
「言いますよ。だって、ちゃんと刻みつけないと、忘れた振りしそうだから」
白瀬先パイはわたしをまっすぐ見つめて、
「ノーカウントにしたのはあやまちだったよ」
静かに、ささめくように言った。
それは、自白?
それとも、事実確認?
その確認をするのが、急に怖くなってしまった。
白い北狐が、こっちを見ている。
まるで、何か伝えたげに。
「あやまちですか」
「そうだね。あやまち」
どっち、だろう。
/◆◆◆
白い北狐は、藪の下を通り、小さなお堂の前に戻った。
『おい、いるんだろう。蒔菜比売』
呼びかけに答えるように、物陰からひとつの人影が姿を現した。
「常彦さん。とんでもないことが起きたわね」
そう答えたのは、ユリギノ女学院の社にいるはずの女神だった。
『神通力が、落ちたのではないか?』
「そう思って、ちょっとてこ入れしてみたのだけれど。……ふふっ。簡単にくっついたわ」
『うむ。それはいいのだが……あれほど簡単にくっついては、ウカ様はご納得されないだろうからな』
二柱が話すのは、彼らよりも上位に位置する豊穣の女神のこと。
揺貴蒔菜比売が報告書を認め、昨今の人間に精通するための資料としている、稲荷神だ。
『あの噂好きペアは、番いとなったのか?』
「そういうことのようですわ。綾街一香が、話をしろと言ったのを、素直に聞いたのかしら」
『お前よりもよほど、人を動かしているではないか』
「お言葉ですけど、綾街一香は、極上の素材ですもの」
二柱の視線の先。
指先を絡めたまま、指先以外を絡ませないで、祭りの喧噪を眺める少女ふたり。
「常彦さん、余はこちらの祭神ではないが故に、彼らの願いはこちらに届かないのだけれども」
『我も下級神だからな。例祭の日には渦巻く欲望で、お前の言う必死な願いは、願いを選り分けるまで感じることが叶わぬ』
「日頃は、渦巻く欲望をウカさまや開拓三神、アマテラスさまに選り分ける仕事をしているのに?」
くすくすと笑う女神に、狐の化身はふんと鼻を鳴らして答える。
『ともあれ。あのふたりをくっつけるのはお前の見えざる手にかかっているのだろう。期待に応えるのだな』
「そうですわね。でも、本当に……思ったとおりにならなくてもどかしいと思ってたのに、思った以上の大胆さを見せたんだから」
ふう、と吐息する。
ポプラの枝葉が、ざわわとさんざめく。
少女の髪が暴れ、咄嗟に押さえつけようと手を離して――それを、もう片方が手を掴み直して阻止した。
今度は、絡まり合うのは指先だけではなかった。
「あらあら。お熱いこと」
『わざとじゃないのか、その風呼びは』
北狐の呆れたような物言いに、女神は「まさか」と応じる。
「ここは、余よりもよっぽど……それこそ国産みの時代からの神々が座すのよ。余ひとりが祀られているような、素朴な社と違って、簡単に力を振るえないわ」
『ふん……お前ひとり、ねえ』
苦笑するように吐き捨てた北狐の背を撫で、女神は微笑む。
「さて、なんと報告書に認めようか」
唇を重ね合う少女たちを見つめながら、女神と北狐はそれとなく人々の足が向いてこないよう、風を吹かせる。
その証と言わんばかりに、小豆色のロングスカートが、翻った。
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