事案第十四号「風紀規定」(2)
朝日神社は、地域でもっとも古い神社ひとつに数えられていて、その由緒は明治時代にまで遡る。
開拓の三神ほか、大正期ごろの神社統合によって合祀された宇迦之御魂大神の存在もあり、正式名は朝日稲荷、あるいはその後に合祀された天照大神のため朝日明神とも呼ばれる。
……らしいと、郷土史の課題で書いたことが思い出される。
似たような来歴がかかれている、寒雁八十八選の案内板の前で、調査ノートにペンを走らせているのだけど、思った以上に、落ち着かない空気だ。
例祭は多くの出店が並び、普段なら駐車場とされている広場も、境内も、どこもかしこも人だらけ。
色とりどりの浴衣。
どこかの学校の制服。
幼年幼女の群。
わたしを見つけた副担任のにまりとした笑顔。
「綾街さんじゃない。お祭り、楽しんでる?」
「ええ、まあ」
手元のノートを、福飯先生に差し出した。
「なにこれ」
ページをめくる瞳が、好奇心から引きに変わるには十ページもあれば十分だった。
「これ、夏休みの課題の、調査用?」
「はい、そうです。夏休みが明けても、新発見が有れば追記してます」
「私の大学時代のレポートより真面目ね……」
社会科の先生にお墨付きをもらうのは、うれしい。
「そ、それで……先生らしいことを念のため聞くけど、届け出はしてあるわね?」
「地域奉仕及び自己研鑽に係る活動申請書ですよね」
「正式名を暗唱できるの」
「揺貴町及び近隣の町に残る資料の調査のためって書きました」
「大人なの? みんな私用とか、社会科見学とか適当書いてるのに」
「? それで通るんですか。なんだ」
拍子抜けだ。なんて思っていると、
「お稲荷さまはねえ、表記も多いよね」
なんて、福飯先生がこの神社の祭神に興味を示した。
「宇迦之御魂神、あるいは倉稲魂命なんていう表記もあるね」
「詳しいんですね」
「毎年、郷土史の課題はこの神社について調べる子が多くって。あ、でも贔屓目抜きで、綾街さんの課題は凄かったのよ。ユリギノさんと同じ頃に神格化されて、朝日稲荷に祀られた木滝常彦神のことまで触れて、何が違ったのかとかもまとめてたじゃない?」
熱く語る福飯先生の後ろに、ひょっこりと狐が顔を出した。
狐の化身とされる木滝常彦神が、自分のことを話す人間の監視に来たみたいだ。
「あ、ついつい熱くなっちゃった。綾街さんもこういうところに一緒に来られる友達がいるんだと思ったら、嬉しくなっちゃって。ついつい声をかけちゃったわ。ついついね」
本当についついなのかは疑わしいけど、福飯先生の視線の先を追うと、颯爽と歩いてくる白瀬先パイの姿を見つけた。
制服の小豆色と千歳緑のタータンチェックが目立つ、だけど一度帰宅したから手ぶらなんです、という顔で、堂々と歩いている。
「えーっ、秋穂さんだったかしらー? 届け出してるー?」
小走りに先パイへ問いつめに行った福飯先生を見送り、足下に目をやる。
白い北狐だ。
「なにもあげられないし、意地悪されちゃうから、森にお帰り」
声をかけると、言葉が通じてるみたいに、ふんと鼻を鳴らされた。ひょっとしたらこの子は本当に木滝常彦神かその眷属で、騒がしいニンゲンドモ快く思っていないのかもしれない。
「五穀豊穣の感謝を、ウカノミタマさまに捧げてるんだよ」
くしゅ、と北狐がくしゃみをした。
そしてそのまま、とっとこと林に掛けていく。あっという間に、姿は見えなくなった。
やっぱり言葉が通じているのかもしれない。
「お待たせ、待った?」
福飯先生から解放された先パイは、なんだか火照った顔。
「どうしたんですか? 暑そうですよ」
「シャワーをさっと浴びてきたんだよ。そのおかげで、あの先生にも一度帰ったこと証明できた。帰ったんだから届け出なくていいでしょって」
確かにそのとおりなんだけど、わたしには気になる点がひとつ。
そっと、手を伸ばす。先パイの襟足。
「湿ってますね」
「うん早く綾街と会いたくてさ」
「気持ちは嬉しいけど、傷んじゃいますよ」
へへ、先パイは笑って、アンダーリムの奥が、ちょっと大人びて見える。
「その眼鏡、制服の時に着けているの珍しいですね」
「デート用だから」
そっと先パイが、わたしの小指に小指を絡ませてきた。
レンズは透明なのに、頬がしっかりとピンク掛かっている。
提灯の色、ってことにしてあげよう。
先パイは、帰宅途中の寄り道になっているわたしの代わりに、お願いするままに出店から受け取りをしてくれる。
焼き鳥を八本、フランクフルト、広島風お好み焼き、ベビーカステラ、たこ焼き。
「あ。先パイあれもっ。焼きトウキビ!」
指差した向こう、煌々と輝く灯りが、香ばしく煙る。そこに突き立てられるトウキビの黄色! その横は、イカ焼きだ!
「綾街、一度に持ちきれないよ」
苦笑する先パイは、両手にパックを持って、確かに大変そうだ。
「ごめんなさいはしゃぎ過ぎちゃって」
「いいんだよ、綾街が楽しそうで嬉しい。けど、私の今の姿は、品位を保ってるかなあ」
即答できなかった。
なぜなら、わたしの口内は甘く香ばしいタレが絡む、ぷりっぷりのネギマいっぱいだったから。
「ん。ふぅ……バランス感覚が素晴らしいですね、先パイ。荷物を持ってても、身体の軸が揺らいでない」
「バレエ経験が活きたかなあ」
空いているテーブルが見つかったので、買ったものを並べる。並べつつ、お好み焼きを割り箸で半分にカットして、焦げたソースの味を堪能しつつ、
「先パイっ! あの浜焼きのお店、ツブとバカ貝ですって!」
「トウキビはいらないの?」
冷静につっこんでくる先パイの眉尻が落っこちそうになっていて、ようやくはしゃぎ過ぎな自分に気づいてしまった。
どうにもお祭りはテンションが上がってしまう。たこ焼きを放り込む。
「楽しいから、つい」フランクフルトを齧る。油が熱い。
「まあ、普段は森みたいなお弁当だし、こういうところでカロリーを確保しないとね。お肌も髪もボロボロになっちゃう」
「先パイは理解力ありますね」塩のネギマも美味しい。
わたしのたこ焼きをひとつ口に放り込んで、はふはふ言いながら目を細める先パイ。そんなに熱いかなと、試しに食べてみるけど、ほっかほかではあった。
「熱くないの? 一口でなんて……」
「ふふっ。先パイは猫舌さんですか? 涙目でかわいい」もう一個。青ノリが美味しい。
熱のこもった吐息を細く吐いて四苦八苦するのは、いつもの余裕ぶった秋穂白瀬から、ちょっと遠い。
かわいい白瀬先パイだ。
ひととおり食べ終えたところで、先パイはお腹をさすって苦しそうにしている。
ラムネを開けて差し出すと、うれしそうに瓶を傾けて、首をかしげた。
「出てこない」
「初めて飲むんですか?」
「何か細工してるんじゃない?」
なんて言い草。
先パイの手から瓶を取り上げて、口を付ける。
瓶のくびれを手前にして傾けたら、甘ったるい冷涼感と酸味が喉を潤す。
「ふう……おいしい」
「え……どうやったの」
不思議そうな先パイに、つい頬がゆるむ。
「こう持って」
先パイに、瓶を握らせる。細い指が、恐る恐る、透明な瓶を包む。
「こっちに向けて、口を付けて」
なぜだか頬を染めて躊躇する。
難しいことなんてないのに。
「はじめてだからって、緊張しなくてもいいですよ。最初は誰もが、戸惑うものです」
「そういう躊躇いじゃないんだけど」
非難めいた瞳。薄い光彩が、じっとりとわたしに向いている。
「ならひと思いに、えいやって行っちゃいましょう。がんばれっ」
うー、と唸ったと思うと、そこから思い切りは良かった。
咥え、一気に呷る。
「んんぅ!」
勢いが良すぎたからか、口の端から白く泡立つ。
「けっ。けひょっ」
変なむせ方をしている先パイが心配になりながら、笑みが抑えられない。
ハンカチを渡して、背中をさする。
薄いブラウス越しの柔らかい感触。
しっとりとした手触り。
ふわっと香るシトラスの奥に、甘い……わたしと同じヘアミストの香りだ。
「無理に飲まなくても……」
いつもと違う先パイの香りに、くらくしながら。
なんとか紡げた軽口。
「カッコ悪いところ見せたくなくて」
赤らんだ頬。
濡れた瞳。
「k、」
……今、何を口走りそうになった?
「炭酸苦手なんだよ」
「なら言ってよ」
つい、タメ口で言っちゃって。
だけどそれで、頭のもやが一気に晴れた。
あぶないあぶない。
うっすら光る先パイの口唇に釘付けになんてなってないんだから。
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