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事案第十四号「風紀規定」(1)

 例年よりも早く、秋の訪れの気配に包まれる寒雁(さむかり)市。

 市内北部に位置する揺貴(ゆりき)町や、ポプラ並木を挟んで広がる朝日町も同様で、空を見上げれば秋茜が視界を横切り、足元に視線を落とせば秋桜が揺れる。


 そんな季節に期末考査を終えたユリギノ女学院は、十月の第一週に設定された秋休みを前に、生徒達の気が緩む時期でもある。


 だからだろうか。

 朝のホームルームで担任がなにやらメモを取り出し、高らかに読み上げる。


「制服の乱れは、風紀の乱れ! 寒いと思って着込んできた制服を着崩す生徒が多いから、しっかりと風紀チェックが行われているのだと自覚すること。ただでさえ、日頃から淑女たることを――」


 日頃から品行方正を心がけているわたしには、改めての確認に過ぎない。

 色つきのリップクリームは封印しておいたし。


 けれども、慌ててループタイを直したり、ブラウスのボタンを直したりと、もぞもぞ動くクラスメートの姿が見て取れる。


「それと、生徒手帳にも校則が書かれているので後ほどチェックしてもらいたいが、本学院の風紀規定としては、放課後は速やかに帰宅することを求められている。そう! 今夜、朝日神社の例祭があるが、届け出のない寄り道はしないように」


 担任の言葉に、考え込む。

 前々から、白瀬先パイには朝日神社のお祭りに一緒に行こうと、誘われている。


 だけど、こんなふうに釘を刺されてまで、行く必要はあるんだろうか。

 特に、特待生として品行方正に生きることを求められているわたしが、リスクを冒す必要があるだろうか、と。


 確かにそう思っていた。


 放課後の図書室。

 今日もどの本を読もうかと、ゆったりと書架の間を巡る。

 換気のためにと開けられた窓からは、管楽器のアンサンブルが反響しながら転がり込んでくる。きれいな旋律は、熱気を奪われた日射しが照らす秋桜のようだ。


 吹き込む風の冷たさが心地よくて、髪が揺らされるのだって、そよそよと気持ちがいい。

 ポプラの枝のざわめきもまた、アンサンブルに彩りを添えている。


「綾街一香さん」

「出ましたね」

 振り返る前に言葉が出ていた。

 神出鬼没。あるいは図書室の番人。

「ご用事ですか、神野先輩」


 神野先輩の重たい前髪が、風に揺れる。

 薄緑の瞳が、まっすぐわたしを見つめてくる。


「クラスの方が、大変そうね。わたくしの耳にも、噂は届いているわ」

 それは、宇和さんと笹芽さんの痴話喧嘩のことだろう。

 いつもセットで行動していたふたりが、数日経っても、直接会話しているところを見ていない。

 それに巻き込まれた、背が低くて髪が長い子……という表現で、わたしの存在も乗っているようだった。


「宇和早月さんだったかしら。臙脂のリボンなどを見つめて、ため息に色している姿を見かけるわ。ふふっ……この学院では、あなたと親密になりたいというメッセージよね」

 そう言いながら、ポニーテールを縛る臙脂色のリボンが揺れる。

 神野先輩にも、大事な人がいるのだろうか。


「神野先輩も、そのような噂を気軽に消費するんですね」

「消費だなんてとんでもない! 乙女の必死な神頼みは、極上の甘露だけれども、あの子たちは自分だけで悩んでいるのだわ!」

 どうしてそう言い切れるのか。

 あの日、宇和さんは神野先輩に何を語ったのか。


 興味はそんなにない。

「わたしには、あまり関係のないことですから。解決を望むなら当人同士で話せばいいと思います」

「それには同感ね」

 意外にも、神野先輩はわたしの言葉を肯定する。

 そして、


「貴女も、話し合うべきね。秋穂白瀬さんと」

 そう言って、神野先輩はわたしに一枚の紙を突きつけてきた。


 地域奉仕及び自己研鑽に係る活動申請書。

 担任が言っていた、届け出の用紙らしい。

「勝手に、行こうか行くまいかを悩んでいたでしょう、貴女?」

「どうしてわかるんですか?」

 本当に、不気味なくらいに内心を言い当てられている気がする。


「貴女、分かりやすいもの。心を読むまでもなくってよ?」

 ころころと笑う神野先輩の手から、申請書を取り上げる。

「出すかどうかはわたしたちで決めます。用紙をくれたことは、ありがとうございます」

「気が強い子ね。ふふっ」


 楽しそうに言い残し、神野先輩は小豆色のロングスカートを翻して去っていった。


 まあ、確かに、お祭りは楽しいし、先パイと行けたら素敵だと思う。

 だけどそれが、風紀規定を犯してまですることなの? こんな紙っぺら一枚で許してもらえる理由になるの?

 神野先輩に誘導されているみたいで癪だけど、素直に白瀬先パイに聞くべきなんだろうか。


「綾街、どした?」

 大量の本をワゴンに乗せた先パイが通りかかった。

 随分と、通路で立ち尽くしていたことに、気付いていなかった。

「ああ、申請書をどうやって書こうか悩んでた?」


 わたしの手元を覗き込んで、先パイはピンク掛かったレンズの奥をこちらに向けてくる。

「真面目だなあ、綾街は」

「後ろ指を指されたくありませんから」

「風紀規定なら一度帰れば、無効だよ」

 確かに。


 生徒手帳を開けば、こう書いてある。


・放課後は部活動、委員会活動および地域奉仕活動並びに学習塾等自己研鑽に掛かる活動を除いて、速やかに帰宅すること。


 そっか。帰宅さえしたらいいんだ。

 今すぐ帰って、また朝日駅に着くのは一時間半くらい後。

「行けますね」

「だろう?」

「でもそれって、一度帰ったことをどうやって証明しましょうか。着替え?」


 ふむ、と先パイは頷いて「良い疑問だ」と満足げ。

「私のお古で良かったら、浴衣を貸してあげよう」

「え、嫌です」

 そんな高価なものをお借りするわけにはいかない。

 それに、先パイの家に行くということは、もっと時間がかかってしまう。


「どうせなら自分の浴衣を期待し……白瀬先パイ、どうしてそんなにがっかりして」

「いや、速答というか、一刀両断だったなあって……」

「気を持たせるよりいいじゃないですか」


 しかし、ここでああだこうだと言っていても仕方がない。

「念のため、適当な理由で届け出はしておきます。家に帰るのが面倒になってもいいように」

「うん、うん。綾街がいいようにしたらいい……浴衣、見たかったけど……」


 しょげ返る先パイが妙にかわいくて。

 背伸びして、先パイのウルフカットに手を乗せた。

「いい子にしてたら、来年見せてあげますから」

「……来年」

「あれ。甘やかされるの嫌でした?」

 少し怖くなって、かかとが床に着いた。

 同時に、伸びきった腕が先パイに掴まれて。


 手の甲に、先パイは頬ずりをした。

 すべすべの手触り。

 レンズの向こうで伏せた瞳に被さるまつげ。

 静かな吐息。


 打楽器の連打。

 エンターキーを強打する打鍵音。


 静かな温もりの中、しばらくわたしの手は先パイと熱を交換しあったままになった。


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