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事案第十三号 制服着用規定(2)

 明くる日の放課後。

 期末考査の一週間前になったことで、テスト前だけ自習室を使う勢力に追いやられた人たちが、図書室になだれ込んできていた。


 わたしはいつもの席で本を読もうと思っていたけれども、周囲の空気に負けて、教科書を開いていた。

 特待生資格の維持のためには、総合の偏差値で六十以上という条件が課せられているけれども、理数科目が若干足りていない。

 計算問題の取りこぼしは少なくなったとはいえ、心配は残るから、教科書と参考書を比べて見て――


「綾街、何読んでるんだい?」

 いつものように白瀬先パイに声を掛けられたので、開いている本の表紙を見せる。

「枕草子です」

「どうして今それ」

「なんだか気になってしまって」


 ――わたしのテスト勉強は、脱線していた。

 教科書を先読みしているから、今後、随筆が出てくるのはわかってる。

 だけど、さっきまで確かに数学や化学をどうにかしなきゃと思っていたような記憶はある。


「模試対策ならわかるっちゃ、わかるけど」

「息抜きだったんですよ……」

 言い訳を正当化するわけでもないけど、これで終わりというアピールのために本を閉じ、す、と先パイのほうに滑らせる。


「返しとけって?」

「お願いしますね、図書委員さん」

「こいつめ」


 苦笑する先パイは本を手に取り、ぱらぱらとめくり、そして閉じた。

「仕方ない。綾街のたっての希望だ。――あと、今日はこんな感じ」

 そう言って、先パイは図書室内に視線を廻らせる。

 会話しているわたしたちをちらりとみている人もいるけど、大抵は自分の手元に視線を落とし、ペンを走らせ、消しゴムを掛ける。


 一部、いつもどおりにキーボードを叩く音も聞こえるけど。


「わかりました。きりが良いところで帰るときは、連絡しますね」

 あと、と。鞄から紙袋を取り出す。

「これ、昨日お借りしたカーディガンです。ありがとうございました」

「意外とあっさり返してくれたね」

「先パイのお姉さんのものと聞いたら、借りっぱなしにするわけにいきません」


 先パイひとりの持ち物なら、なんだかんだ理由を付けるところだけど。


「まあ、そろそろ要らなくなる季節だもんなあ。期末が終わったら、冬服移行期間――あの、厚手の小豆ロングの出番だ」

 小豆色のハイウェストで、ロング丈のプリーツスカートは、先パイによく似合っているのに。

 夏服の爽やかな、小豆色と千歳緑のタータンチェックも似合っているけど。


「じゃあ、ちょいちょい本を借りに来る人もいるし、カウンターに戻ってるよ」

「はい。お邪魔しました」


 踵を返した先パイの背中を見送り、また、枕草子に視線を戻す。

 やっぱりテスト勉強に身が入らなさそうで、困ったものだ。


 結局のところ、下校時刻まで試験対策に身が入らなかったわたしは、チャイムの音に弾かれるように席を立った生徒の波に乗って帰り支度を始めた。

 カウンターの向こう、ずっと忙しそうだった白瀬先パイは申しわけなさそうに手を挙げて、口唇が「ごめん」と開いた気がする。

 仕方がないから、待ってあげるけど。


 生徒玄関まで来ると、小さな人だかりが出来ていた。

 外はなんだか小雨模様らしく、風も吹いている。お迎え待ちかなとも思ったけど、どうやらそうではないらしい。


 通行の邪魔だなと思いながら、その隙間を縫って外に出ようとしたとき。

「綾街さん!」

 聞き覚えのある声に呼び止められた。


 やっかいごとでしかなさそうで。

 振り返ると、眉を浅く立てたクラスメートの姿。

 宇和さんだ。


 人だかりの中心から叫んだわたしの名は、群衆の視線をひとつに集めさせる。

 彼女の手には、リボンが握られていた。髪を飾る用の、ヘアゴムがついたもの。深い紅色は、冬スカートの色合いに似合うだろう。

 どうしてそんなものを、彼女が持っているのか。


 答えは群衆の中にあった。

 もうひとり、俯き表情を髪で隠していて、小刻みに震えながら、握り拳を固く、白くなるまで握っていた。

「笹芽さん……?」


 ふたりと言えばいつもペアで、ひそひそと何やらの噂話に興じて、まれにわたしを誘ってきて、わたしを推しだの何だのと持ち上げる組み合わせ。

 仲違いでもしたのかと思いきや。


「ねえ、綾街さん」

 相変わらず大きな声の宇和さんだけど、喉奥の震えが、声音に響いている。

「きーこと、何を話したの」


 きーこというのは誰だっけと思い、それが笹芽さんのニックネームだと思い至るのに数秒を要した。笹芽紀子さんだ。

「笹芽さんとなら、本の話をしましたよ」

 おそらく日中の移動教室のこと。

 わたしの横に並んで歩いて、教室に付いてからは宇和さんと会話をしていた。


 笹芽さんはわたしに、それ以上の接触をしてきていないし、接触しいうという素振りも無かったと思う。

 だから、

「何か、粗相をしてしまったんでしょうか」

「……なん、なんで、そんなに他人行儀なのよ」


 無駄に対立する必要がないのと同じくらい、フレンドリーになることも必要ではないと思う。

 入学式から、上半期が終わろうというこのタイミングまで、基本的にはひとりで過ごしてきたわたしは、当たり障り無く過ごすための礼儀を持ち合わせてなくちゃいけなくて。

 他人行儀であることは必然。


「ちょっと、早月。綾街さんに絡むのは、違うよ」

 か細い声が、宇和さんを突いた。

 今、一番わたしを庇ってはいけないひとが、最悪の手を打った。

「きーこ……あんた」

「私と早月の問題じゃん」


 人だかりも、ざわめき始めた。

 すわ、痴話喧嘩かと。

 すわ、三角関係かと。


 ……面倒なことになった。

 ユリギノさんが与えた罰なら、いったい何に対する罰なのか教えて欲しい。

 この学院の女神だというのだったら!


「こらこら、何の騒ぎだね?」

 唐突に、いつも神出鬼没なひとが現れた。

 遠巻きに集っていた人々が、ポプラの枝が風に煽られたように揺れ動き、道を作る。

 小豆色のロングスカートを翻して、神野先輩が、わたしと宇和さんの間に割って入ってきた。


「綾街一香さんのことで、なにかあったというなら、わたくしが話を聞きましょう」

「あなた、誰ですか」

「わたくしは神野マキナ。ご存知ないわね?」

 敵意を剥き出しにした宇和さんの勢いを、枝垂れのように緩やかに受け流す。


「先程から様子を見ていたけれども、アナタ、大事なお友達を奇異の目線に曝しているわ。少し、周りを見た方がよろしいわね」


 指摘されて、宇和さんはようやく状況を客観視したのだろう。あ、声を発して、小さく肩を落とした。

「それから、少なくとも綾街一香さんが放課後の間は潔白だと、わたくしが証明しましょう。放課後の間、この子は図書室にいたのだから」


 吐息。

 まだ何かを言わんとする宇和さんに、神野先輩がたたみかける。

「わたくしで足りないなら、図書委員の二年生に聞くべきね。彼女はわたくし以上に、綾街一香さんのことを見ているから」


 白瀬先パイのことを、口の端に載せた。

 どうして、という思いと。

 それはそう、という思いと。


 わたしのことを語るなら、このユリギノ女学院で先パイの右に出る者はいないのは、火を見るよりも明らか。

 けれどもそれを、神野先輩が、このふたりに言うのはどういうことなのだ。


 なんだかムカっ腹が立つ。

 そう思った時には足が動いていて、宇和さんの目の前に立っていた。

「なに」

 と、弱々しい瞳で強い口調の宇和さんを見上げる。

 わたしよりも背が高いのに、なんだかちっちゃく感じる。


「全然、何があったのかわかりません。だけど、わたしのことが気に入らないのはよく、理解しています」

「……そんなんじゃ」

 聞かない。

 振り返る。


「神野先輩も、どうしたことでしょうか。この場をひっかき回したいだけですか?」

 わたしからそんなことを言われるのが意外だったのか、神野先輩も目を見開いている。


「お集まりの皆さんもです。こんなところで、目立つことをしているわたしたちも良くはなかったと思いますけど、そもそももう下校時刻です。先生が来る前に、解散しましょう」

 言い放ったわたしに、ざわめきが生まれる。だけども、間違ったことは言っていない。

 野次馬はすぐに、ぱらぱらと解散し始める。


 そして最後に。

「笹芽さん」

「は、はい……っ」

「発端がなんだったのかとか、おふたりに何が起きているのか、わたしには興味ありません。だけど、わたしが巻き込まれているのは、笹芽さんが原因ですか? それとも、宇和さんが原因ですか?」


 ぐ、と言葉に詰まった笹芽さん。

「綾街さん!」と、なにやら声を張り上げる宇和さん。

 教室で孤立しがちなわたしに話しかけ、わたしを推しだと嘯いたひとたち。

 わたしから歩み寄ることはなかったけど、それもまた、彼女たちの妄想を掻き立てていたのだろう。


 だから。

 わたしが何をしても、何かをしなかったとしても、ふたりは勝手に盛り上がって、勝手に諍いを生んでいた。

 そこにたまたま通り掛かっただけとは、言うこともできない。


「神野先輩。口を挟んだ責任を取って、宇和さんの話を聞いてあげてください」

「なぜわたくしが……いや、それが責任なのかしら」

「引っかき回すだけひっかき回して、知らんふりはやめてください。わたしだって、早く帰りたいんです」


 来週は期末考査だっていうのに。

 ……勉強に身が入らなかった自分でそう思うというのは、なんだか滑稽だけど。こんなことをしている場合じゃない。


「綾街さん……」

「なんですか」

 力なく言葉を漏らした笹芽さんに、視線を投げる。

 思っているよりも強く、射貫いてしまったかもしれない。

 それは、たじろいだ笹芽さんの顔から、読み取れてしまった。


「話は、バス停で聞かせてください――そろそろバスが来ちゃうので」


 少し離れたところで、立ち尽くしていた白瀬先パイの姿を見つけた。

 駆け寄ってきたりしないあたり、なにやら不穏なことが起きていることは感じ取ってくれていたのかもしれない。

 だから。


「ごめんなさい」

 口唇の動きだけでそう言うと、なんだか困ったように微笑んで、首を横に振った。


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