事案第十三号「制服着用規定」(1)
最近、お気に入りのカーディガンの香りが薄れてきたような気がしている。
……語弊があるか。
朝の通学バス、冷房が強かったので薄手のカーディガンを羽織った。
Sサイズでも大きく感じるわたしの身体にはだっっっぼだぼで、袖を降ろすと薬指の爪先すら見えなくなる。
お尻まですっぽり隠れるから、制服のプリーツスカートには、シルエット的に合ってないかもしれない。ハイウエストでロング丈のスカートと、お尻まで隠れる丈のカーディガンっていうのは、合うんだろうか?
正解はわからないけど。
でも、寒いから、借りっぱなしのカーディガンを羽織っただけ。
透け感のある生地に染み付いたシトラスミントは、白瀬先パイの制汗剤の香り、のはず。ひょっとしたら柔軟剤とかかもしれないけど。
どっちにしたって、先パイらしい香りだった。
だったのに。
「先パイ。そろそろ、カーディガンをお替えしします」
お昼休みの時間を一緒に過ごそうと誘われたので、丁寧に畳んだカーディガンを先パイに差し出した。
「……綾街。これ、いつ貸したやつだっけ」
「夏休みですね。藍路のコミュニティセンターで、わたしが具合を悪くしたときです」
「だよね? 水色のが無いなってしばらく探してたんだけど!」
「やだなあ、先パイ。忘れてたんですか? ……お手洗いの個室で、わたしのことを脱がせた時のことですよ」
「語弊!」
熱中症の対処をしてくれた先パイをこうしてからかうのは、揺さぶりって言っていいのだろうか。
まあ、女同士、肌を見せることは今後もあるでしょう。うん。
「綾街、カーディガンはね。校則で色が決められてるんだよ。生徒手帳に書いてあるだろう」
あれ? と思い、指摘された記載箇所を探す。
・体調に合わせて黒または深緑のカーディガンを着ることは妨げない。
・市販の防寒用品の着用は、妨げない。ただし、制服との全体の調和を重視し、必要に応じて対策を施すこと。
「……そうですね。私服に合わせていたから、オッケーだったんですね」
これはまずい。
いや、まずいなんてものじゃない。
「午前中は指摘されなかったの?」
「はい……それで、まあ、ご相談なんですけど」
わたしは、先パイが羽織っている黒のカーディガンの袖を摘まんだ。
先パイでもちょっと大きめのその一着を、
「これ。貸してください」
「なんでだよ」
先パイからの呆れた突っ込みもやむなし。
だって。
「本当に、やらかしちゃっていて」
「だから、何を」
「その……また、やっちゃったんです」
「まさか
先パイの視線が、わたしの胸元に落ちた。
ブラウスの下にうっすらと透ける色から、素肌の上にダイレクト着用であると、伝わっただろうか。
「どうして、ノーブラで」
「弁解させてください。昨日、お洗濯したんです」
「うん。それで」
生唾を飲む。
「珍しく父さんが早く帰ってきて、先にシャワーを浴びてもらって、その間におつまみを用意したり……」
「それで、まさか」
先パイの声が震えた。
言わなきゃ。
こわい。拳が、膝の上で固くなる。
「干し忘れてて……朝、洗濯機で、無惨な姿に」
「どうして……どうして手洗いをしなかったんだ!」
「仕方がなかったんです! いつもは、いつもは手洗いなのに……頭が痛くって……!」
およよ、と、顔を覆う。
前髪がわたしの顔を隠して、陳腐な推理小説のクライマックスごっこが完成した。
白瀬刑事はやさしく、カーディガンを肩に掛けてくれる。
「取りあえず、飯でも食って、落ち着こう。そして、話は署で聞かせてもらう」
「ふふっ。署ってどこ」
「めっちゃ梯子はずして来るじゃん……こわぁ……」
くすくす笑いが収まらないうちに、カーディガンに袖を通してしまう。
やっぱりぶっっっかぶかで、さっきまで先パイを包んでいた熱も残っていて、鮮烈なシトラスミントは香らなくても堪能できて。
良い。
「似合います?」
「オーバーサイズにもほどがあるね。私でもオーバー気味に着ようと思って、メンズのSだし」
「えっ。そんな手が」
「綾街はレディースでもXSなんだから考えなくていいよ」
確かにそうだ。
「ちなみにそれ、姉ちゃんと共用のやつだから、明日には返してよ?」
「あ、はい。もちろんです」
ということは、染みついている香りは先パイのだけではなく、お姉さんの香りも混ざっているということか。
「なら、あまり嗅がないようにしておきますね」
「ねえ綾街。ひょっとして、香りが薄くなってきたから返そうとしたってこと、ないよね?」
そんなことあるわけないじゃないですか。
「どうしてわかったんですか」
ごまかすように、お弁当箱の蓋を開けて、自然解凍がちょうど終わった頃合いのブロッコリーを口に放り込んだ。
◆
午後の授業。
移動教室で廊下を歩いていると、正面から教室に戻る途中であろう白瀬先パイと行き当たった。
「おや、綾街」
「こんなところで奇遇ですね、先パイ」
お互いに足を止めて、向き合う。
と、
「タイが曲がっていてよ」
そう言いながら、先パイはわたしの胸元? 首元? に手を伸ばしてきた。
ループタイを摘まむと、くいくいと長さを調整されて。
「じゃあね」
そのやり口は、あからさまに何かに影響を受けたかのようだった。
「ねえ、綾街さん」
声を掛けてきたのは、笹芽さんだった。
「たまに綾街さんと一緒にいる人だよね? 二年生なの?」
聞きたいことはそこではないだろうに、何か様子を窺うようだ。
「ええ、そうですね」
「昔のアニメみたいなシチュエーションだったね。見てるだけなのに、すごく、ドキドキしちゃった」
先パイが整えて行ったループタイに触れる。
深緑の石に、銀で描かれた校章。
金具を通して、千歳緑と生成りの組紐で作られたループタイは、夏冬を兼用で着用する、他校でいうネクタイやリボンのようなもの。
緑の石をカーディガンの上に落とす。
ブラウスに重ねたカーディガンが、柔らかく受け止める。
「笹芽さん。それって、どんなお話ですか?」
「え? 平成の、うちらが生まれたかその前くらいに放送されてたらしいけど。
「内容は?」
「えっとね。お嬢様学校で、先輩と後輩が親密になったり、離れたり、雨降って地固まるみたいな話だよ」
どうやら、白瀬先パイが読んでいる小説と同じものを指しているらしい。
わたしが読んだことのない小説だから、少し興味を引かれる。
「そういえばこの間の、フクイモモノとミスまちこの講演で、エスって言ってたよね。あのアニメって平成っぽいけど、エスそのものだったのかな」
「時代が違うのではないでしょうか。いわゆる女性同士のエスという関係は、大正時代に流行? したようですから」
「そうなんだ。綾街さんってそっち、詳しいの?」
「そっちとは?」
わたしの問いに、笹芽さんは興味深げな目線をこちらに向けてきた。
「あの先輩、綾街さんと仲良しだよね? だから、そうなのかなって」
仲良しだと言えば、そうだろうと思う。
礼ちゃん里奈ちゃんを除けば、一番仲が良いと思えるのは白瀬先パイだけ。
かといって。
女学生の間で極めて親しい間柄を指す、という意味で言えばイエスだけど、それが隠語的な意味を孕むとなれば、どうなんだろう?
「わたしと、――秋穂先パイの関係は、どういう呼び方をしたらいいんでしょうか」
「恋人とか、言っちゃっていい感じじゃないの?」
「ふふっ。笹芽さん、随分と突っ込んで聞いてくるんですね」
あまりにも食いついてくる笹芽さんが面白くて、つい笑ってしまった。
指摘された笹芽さんは「あ」と顔を赤くし、目線を逸らしながら、
「だって。綾街さんのことは気になるじゃない?」
と、ささめくように言うのだ。
「恋人かと問われたら、それは否定になりますね」
お付き合いをしましょうだとか、そういう宣言が無かったとしても恋人の距離で触れあうことなども無いわけで。
……あれは、接触事故。ノーカウントにした。
「そもそも、わたしが誰かとお付き合いしているかどうか、というのは。笹芽さんにとって、興味深いことですか?」
「そりゃそうよ」
わたしの疑問に、笹芽さんは即答した。
「早月だったら同担拒否って気持ちもあるかもしれないけどね。あの子、割とガチ恋勢だから」
「……それは、ちょっと言動に気をつけないといけませんね」
「ああ、私は大丈夫だよ」
慌てて打ち消しに入る笹芽さんの背後に、聞き耳を立てる宇和さんの姿を見つけた。
けれども笹芽さんは気付かないようで、
「早月はねえ、思い込みが強いから。私と綾街さんがお話してたって知ったら、怒られちゃうかも」
「穏やかじゃないですね」
本当に、わたしの心中は穏やかになれない。
「その場合、宇和さんはどちらに、嫉妬するのでしょう」
「綾街さんと話してる私に対して怒ると思うな」
「そうでしょうか」
「綾街さん推しだからねえ、私たち」
それだったら、こうして並んで歩くのも怖いのだけど。
幸いにして、移動先の教室に到着したので、すっ……と自席に向かうことで距離を置いた。
笹芽さんからみれば、友人でもない、ただのクラスメートが自分の席に座っただけに見えるはず。ああ、出席番号が一番でよかった。
一方の、宇和さん――出席番号三番は、早速笹芽さんに絡みに行ってから、始業のチャイムが鳴るまでなにやら文句を言っていた。
面白い、続きが気になる! と思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると、大きな励みになります!




