事案第十一号「プライバシー」(2)
講演会が終了すると同時に、わたしは逃げるように教室に戻った。
一刻も早く、母と同じ空間から逃げ出したかった。
ふと、携帯電話が通知を受けていることに気が付く。
さっと確認すると、白瀬先パイからのメッセージだった。
『大丈夫?』
素っ気ない一言に、ぐにゃぐにゃ伸び縮みするうさぎのキャラクターが添えられている。
『ちょっとしんどい』
正直なところを返したところで、クラスメートたちも戻って来始めた。
携帯電話を鞄にしまい、吐息。
「綾街さん、具合はどう?」
囁くような問い、笹芽さんが案じてくれている。
「途中からうなだれてたし、顔も白いよ」
「きーこ、あやまっちゃんは元々色白でしょ」
大きな声。宇和さん、その呼び方はなに。
問いかける気力は無くて。
正面に回り込んできたふたりに、「大丈夫ですよ」と返して微笑を作るのが精一杯。
瞳まで作れたかな。無表情の微笑になっちゃったかも。
なんていう心配は、
「うわ、美人」
無用な心配だったらしい。
「美人、ですか?」
「うん。ごめん、声にでた」
耳で聞いたから問い返したんだよというのは、コミュニケーションでの正解なのか、わからない。
けれど、宇和さんは破顔して言う。
「ちょっと汗ばんだ肌に、解れ毛が張り付いてて、とろんとした顔で笑うの、めっちゃ絵になった」
「早月、綾街さんが引いてる」
「推しを誉めてなにが悪いのっ」
悪いに決まってる。
大きな声で言われると、ほら。
「やっぱ綺麗だよね」
「あのふたりのコミュ力、やっぱり化け物」
「綾街さんと仲良く話せるのすごい」
「うらやましい」
「っていうか綾街さんって、話してくれるんだ?」
そんなざわめきが耳に飛び込んで、押しつぶされそうになった。
だから。
なんとなく前髪をいじって、顔を隠した。
やがて担任が来て、つつがなくホームルームが進む。
「みんな知ってのとおり、この後、フクイモモノさんとミスまちこさんが校内を巡ります。当然にテレビカメラも入るので、ユリギノ女学院の生徒として恥ずかしくない行動をしてください」
すでに恥ずかしい言動の母が映っているけど、大丈夫なんだろうか。
もともと破天荒なレシピを掲載するライターだったわたしの母、ミスまちこ。
なぜかローカル番組でお料理コーナーを任されて、濃い味なキャラクター性で人気がでて、動画サイトで火がついた。
そこからなぜか関東ローカルでレギュラー番組を持ち、レストランのプロデュースやドラマの料理監修なんかもやって……今や別居。
単身赴任と言うべきなのか。
そんな母が、家政科の出身というのは、校内では有名な話らしい。一年生に娘がいるという噂は、今日から広まるだろう。
「図書室、自習室には、静かに自習する生徒もいるので近寄らないよう、強く申し入れています。副飯先生が、フクイモモノさんの姪っ子という立場で校内案内をすることになっていますので、お見かけしてもはしゃいだり野次馬にならないように。……連絡は以上」
日直の号令で、放課となった。
それぞれ、部活に向かったり、帰りの寄り道を相談したりする中、
「ああ、綾街さん。すぐに帰る?」
担任に呼び止められた。
「なんでしょうか、谷先生」
ちょっとこっち、なんて呼び寄せられて、職員室までの通路を同道させられる。
「綾街さん、立ち入ったことを訊くけれど、お母様と連絡は取っているの?」
「いえ、今回は特には」
知っているんだ。
わたしがミスまちこの娘だって。
それもそうだ。ネットで調べれば、本名だって出てくるし、綾街なんていう希少姓、すぐ関係者だって結び付く。
「テレビ局側がね、娘さんがいるなら一緒にって」
「嫌です」
即答した。
母が嫌いなわけではない。
目立ちたくないんだ。
「そうよねえ」
困ったわと言う担任、なんらかにプレッシャーが掛かっていることは想像に難くない。
だけど、ついさっき奔放に振る舞った挙げ句、ゴムの乱だなんてセンシティブワードをあっけらかんと言い放ったり、そもそも奇抜なレシピを世に送り出し続けたりしているひとの娘って言われて生きるのは、なかなか厳しい。
だけど。
宇和さんみたいな噂好きのひとが、母の本名に辿り着いちゃったら……。
「谷先生。こうしたらどうでしょう」
「何か妙案があるの?」
心の底からテレビに映るのは嫌だけど。
「映り込んだ場合のモザイクと音声加工を約束させてください。わたし、一応校内にいてあげますけど、副飯先生みたいにしっかりと出たくないです」
「うーん。わかったわ。効力がどれだけあるかわからないけど」
曖昧な返事を残して職員室に戻る担任の背を見送り、
「はあ……」
ため息。
いまならわたしの吐息で、防風林を揺り倒せるんじゃないだろうか……。
果たして、約束どおり校内に残るため図書室に入り、いつもとは違う奥まった席に座り、本を開く。
没した天才軍師が、追撃にきた敵国の将軍のしっぽを巻かせているくだり。普段家にいない母と、家を守るわたしの狼狽メタファーみたいだ。
ふと、鞄が小刻みな振動をしていることに気が付いた。
見ると、白瀬先パイからの着信だ。
図書室内で出るわけにも、廊下で鉢合わせる危険を冒すこともできなくて、しかたなくこちらから切断。
すぐにメッセージを送る。
『図書室』
程なくして、先パイは現れた。
シャギーの入った毛先が、上下する肩に揺れている。
「大丈夫っ?」
授業中モードの銀縁眼鏡で、息を切らせてまでわたしに会いに来てくれた。
「講堂で、具合悪そうにしてたでしょ?」
「端っこにいたのに、暗がりの中でよくわかりましたね」
「図書委員って、ああいう式典の手伝いをすることがあるんだよ。だから、キャットウォークから綾街を見つけた」
上にある照明設備のところかな。
よほど、眼がいいらしい。
眼鏡だけど。
「大丈夫です。あの時は恥ずかしくて顔を上げられなかっただけですから」
先パイを見上げると、なんだか安心したみたいにほっとして、隣に座った。
ふわっと、シトラスの香り。いつもより濃い。
「照明設備のところ、熱源が強くてさ。ここは冷房が利いてて寒いくらいだ」
言いながら、折っていた袖を下ろす。
細い手首が、カフスに隠された。
「綾街、どうした?」
「……いえ。意外と細い手首なんですね」
「バレエやってたからかな」
「ふふっ。絶対に関係ないですよ」
「やっと笑った」
そんなに笑っていなかっただろうか。
巨星が墜ちる様に感動したから?
延命の儀式が失敗したから?
ううん、きっと物語のせいじゃない。
「うちの母さんが」
「綾街のお母さん?」
言おうか。
悩むけど、先輩は静かにわたしを見つめる。
色味のないレンズで。
いつもピンク掛かった、チークを入れたみたいにかわいい頬が、今日はいつにも増して真剣に。
「母さんが恥ずかしくて」
「なんの脈絡」
わたしは携帯電話で、ミスまちこを検索して見せた。
先パイがのぞき込む画面。
本名 綾街楓香
わたし、綾街一香との関係は、歴然だ。
「マジ?」
「大真面目です」
「そりゃ、なんていうか……強烈だねえ」
先パイも困ったように、頭を抱えた。
だけど、嬉しい。
白瀬先パイはわたしを、有名人の娘だっていう色眼鏡では、見なさそうだから。
「先パイはわたしが欲しい言葉を、欲しいときにくれますね」
「えっ、どれが?」
「教えません」
「綾街はいつも私が欲しい言葉をくれないなあ」
たーん! と、プラスチックを叩く強い音。
わたしたちの会話が聞こえるところにいつものように神野先輩がいるのだろう。そしていつもどおり、何かをキーボードで綴っているんだ。
わたしたちが盛り上がると釘を刺すように。力のこもった一撃をキーボードぶつける。
いつもの、人が少ない図書室の光景だ。
けれども。
にわかに生徒の数が増えてきた。
「珍しい人数だ」
図書委員である白瀬先パイの目から見ても、珍しいらしい。
そんな珍客層の中に、知り合いを見つけたという先パイは、話し掛けに行った。
いつぞやのクラスメートさんだ。
二言、三言を交わして戻ってきた先パイは、吐息をひとつ。
「フクイモモノとミスまちこが来るからって情報があって、テレビに映りたくない二年生たちみたい。あとは部室で受験勉強していた三年生も、テレビ映りが悪くなるからって追い出されているここに流れ着いたってさ」
情報通なお友達がいるようだ。
「多田野は、なんか知らんけど流されてきたって」
「謎ですね」
「ホント謎」
しかし、謎は徐々に濃くなっていく。
カメラに追い立てられ、集まってくる生徒たち。
人の流れができると、野次馬も生まれる。
それこそ、フクイモモノさんがいるんじゃないかって言う憶測まで出回って。
おばちゃんという生物は、そういう流行に敏感だから。
大人の制止なんか聞いてくれない、ちっこいおばちゃんが図書室に現れるのに時間は掛からなかった。
「あらー! 変わってないわねえ!」
ハイテンションおばちゃんこと我が母、ミスまちこがカメラを振り切ってやってきたのだ。
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