事案第十一号「プライバシー」(3)
図書室は騒然となった。
それもそうだ。
テレビに映りたくない、あるいは興味がない生徒たちが追いやられて来たのだ。
そこにカメラがいなくたって。
奇抜なレシピばかりで、破天荒なキャラで、実際に騒々しいひとりちんどん屋が現れたら、騒然となるに決まってる。
というかひとりで騒然としてる。
「ちょっと、母さん」
さすがに耐えかねて、席を立とうとした。
だけど。
「綾街はここにいな」
わたしの動きを制して立ち上がったのは、他ならない白瀬先パイだった。
「すみません、卒業生の方ですか? それともPTAですか?」
さっきまで講演していたおばちゃんを捕まえて、先パイはそんなふうに話しかけたのだ。
「あら、ごめんなさいね、静かにしなくちゃいけないわよね、図書室だもの、みんなごめんなさいね騒々しくって!」
ファーッと引き笑いをする母が周囲に引かれている光景を目の当たりにしなくちゃいけない娘の気持ちは、なかなか世間にはご理解いただけないと思う。
だけど、そんな中でもひとり、白瀬先パイというひとは、さり気なく母さんの視線が私に向かないようにしてくれている。
母さんの肩に手を回して、身体の向きを外に向けて。
とてもスマートだ。
「先ほどの講演、私感動しちゃいましたよ。とくに年速一センチメートル! 私もリボンを渡したくなっちゃいました」
「ね! 本当にフクイ先パイってば良い伝統を形にしてくれたわ!」
「詳しいお話を伺いたいけど、残念ここは図書室!」
「じゃあ、カフェテリア行きましょ!」
え、意気投合してる。
思えば初対面からぐいぐい来るタイプだったし、白瀬先パイはコミュニケーションおばけなのかもしれない。
ふたりが去っていき、騒然としていた図書室も少しずつ落ち着きを取り戻していく。
だけど。
残されたわたしは、後を追うべきか決めかねていた。
追ってしまうと、せっかくわたしを隠してくれた先パイの行為を無為にしてしまわないか。
余計なトラブルの火種が、こんなところに居ていいのか。
「誰のために、貴女は思案しているのかしらね」
唐突な声。
叫び声を上げかけたわたしに、神野先輩が薄く微笑んでいた。
「綾街一香さん。貴女の懸念は、校内の混乱? 自分の保身? それとも……」
なにを言ってるんだ、このひとは。
人の気も知らないでというには、正鵠を射てくる。
「貴女が好きな物語でいうなれば、とてつもなく強力な将軍が、貴女の大事に思うものを強奪しようとする状況よね?」
「それは違う」
咄嗟の否定が、口唇からこぼれ落ちていた。
「ええ、違います」
「じゃあ、どうするの?」
「将を射んとすれば、です」
「へえ」
神野先輩は、重たい前髪を揺らして、わたしを見つめる。
「じゃあ、射る馬を連れ出さないとね? あちらも当然、坩堝と化しているわ。その中から連れ出してくるなんて、生き馬の目を抜くようなものだけど」
「でも、いいです」
立ち上がる。
「策はあります」
◆
母さんいるところがすぐにわかるように、わたしの目的地もまた、手に取るようにわかった。
玄関ホールの吹き抜けが、道標となったのだ。
カフェテリアは玄関ホールの一階にあって、ミスまちこを見物する生徒たちは二階から見下ろしている。そんな様子を、テレビカメラも映している。
だけど、三階は、カメラがカフェテリアに向いていない。
そこは実習棟。
調理室や、美術室などがあるそのエリアは、図書室を出てすぐの階段を上がって、すぐのところ。
被服室もある。
デザイナー・フクイモモノの聖域がそこに。
誰も見ていないことを確認して、階段を駆け上がる。
夏なのにロングスカートなのが恨めしい。かわいいけど。風に舞って、翻って、脚に絡まりそう。
踊場、くるりと回るように、ターン。
プリーツが膨らむ。
駆け上がる。
それを四度繰り返して、辿り着いた三階。
息を整えながら、髪を手櫛で梳いて、早足で被服室に向かう。
野次馬をしている生徒たちの間を抜ける。
小柄でよかった。
ちょうどそこに、フクイモモノが、出てきた。
「桃乃さんっ」
控え目に、だけど、おなかからの声を上げる。
振り向いたのはフクイモモノ本人と、一緒にインタビュー受けていた副飯先生だ。
「綾街さん、血相を変えてどうしたの?」
「あら、一香ちゃん」
ふたり同時の反応に、それぞれが顔を見合わせた。
「叔母さん、知ってるの?」
「そっちこそ」
「副担任だもの。そっちは」
「小さい頃から知ってるわよ」
「いいから、桃乃さん、下を見てください」
間に割り込んで、カフェテリアを見せる。
すると、桃乃さんは、ゲラゲラと笑い出した。
「ねえ、一香ちゃん。まちこに捕まってるのは、誰?」
「わたしの大事な先パイです。母さんに会いたくないわたしを庇ってくれて」
「ああなったら長いのよね、まちこ。よっしゃ、一肌脱いであげるわ」
ずんずこと足を踏みならして、フクイモモノはミスまちこへと進軍を開始した。
「あ、綾街さん……どういう関係なの?」
「フクイモモノさんは、母の友人……知り合い? なんです。何度か、お会いしていて」
「知らなかったわ」
目を丸くする副飯先生だけど、それもそうだ。
わたしから有名人とのつながりをひけらかすことなんてないし、桃乃さんも個人的な付き合いをわざわざ姪っ子に話すことなんてないはず。
だから、副飯先生は知らなくて当然。
「それで、何を頼んだっていうの?」
「傍若無人な人に鉄槌をって」
「ミスまちこに?」
「はい。母に」
どっひゃあという叫びは、新鮮なものだった。
教職員みんなに、わたしがミスまちこの娘だと知られていないのは、リテラシー的に正しいんだろうけど、副担任で、フクイモモノとミスまちこをアテンドする役割の先生に報せてないのは、学校としてどうなんだろうか。
まあいいけど。
それで実害なんて無いんだし。
「副飯先生、このあと、まだあの人たちに話す機会はありますよね?」
「え、ええ。あるけど」
「伝えて欲しいことがあります。母に」
これ以上避けて通るわけにはいかない。
別にわだかまりがあるわけではないから、会うことに抵抗があるわけじゃないんだから。
ちょっとだけ大人の力を借りたいって言うだけだから。
「こぉら、まちこちゃん! まあた一般人捕まえて長話! しかもこんなまじめそうな子を!」
桃乃さんのお説教が始まった。
カメラも、そんなふたりをくるくる回りながら納めていく。
そんな渦中で白瀬先パイは、ふっと天井を仰ぐようにこっちを見た。
そっと手を振ると、目配せが返ってきた。
その隣で自分の母親が怒られている様は、見ない振りをした。
◆
テレビ局の人たちが撤退するということで、狂乱はすっと静まり返った。
いつもの、騒々しい葉音を立てるポプラ並木。その足元の立葵は種を実らせ、向日葵も力無くうなだれ始めている。代わりに秋桜が、ポプラと一緒に揺らす花を開かせはじめた。
風が揺らすのは、秋桜の深紅だけではなく。小豆色と千歳緑のタータンチェックもまた、ふわりと膨らみ、揺れる。
騒がしい風の織りなす晩夏の中、お社はいつもどおり静かに鎮座している。
「ユリギノさん。とんでもない一日でした」
お社に手を合わせながらだと、乱れる髪を押さえられない。
だから、不敬かもしれないけど、きっとお許しいただけると期待する。
騒々しい母さんの長話から、白瀬先パイを救ったんだから。
当の白瀬先パイは、ディレクターというひとにテレビへの出演許可だなんだと、書類を取られているらしい。
それはそうだ。
四十を過ぎたおもしろおばちゃんが、世界的デザイナーに怒られる原因を作ったおもしろ図書委員なんだから。
この狂乱を作った元凶に荷担して欲しくないという気持ちと、そんな光景を映像で残したいと思う気持ちがせめぎ合う。
「自分は隠れてばっかりなのに浅ましいですね」
とてもじゃないけど、品行方正だなんて言えない。
「廊下を走ったし、騒動のきっかけになりました。どんな罰が当たるんでしょうか……」
どんな罰かだなんて。
「一香」
さっきまでのハイテンションおばちゃんの声とは2オクターブくらい低い声が、わたしに降り注いだ。
立ち上がる。
振り返る。
暴れる髪をおさえると、同じ仕草の同じような顔が、疲れた顔で佇んでいた。
ミスまちこではない。
高校生の娘がいる、綾街楓香としての顔。
微笑は、愛娘に向ける母の表情だ。
「ちょっと痩せたんじゃない?」
「一香こそ相変わらずほっそいわねちゃんと食べてるの?」
ああ、この文字起こししたら句読点のなさそうな話し方。父さんと正反対だ。
「母さんのレシピ本で勉強してるよ」
「あんなパーティ料理じゃなくて家庭料理を覚えなさいよ」
「ザンギだけは母さんを越えたよ。食べに来る?」
「もちろん、我が家だもの」
ねえ、とお付き人に聞く母さんは、きっとお付きさんの困り顔。
気が付いていない。
でも、
「二年ぶりの地元なの。我が家の崩壊と飛行機の予約どっちが大事なの」
パワハラの現場を見ている気分なのに、母さんがわたしを優先してくれているのが妙に嬉しくなった。
「ねえ、母さん。お仕事が残ってるなら、済ませちゃってよ。帰ってくるのに合わせて、揚げたて用意しておくから」
「あら悪いわねフクイ先パイに怒られちゃったから終わってないところがあるのよね」
「ふふっ。あれは母さんが悪いよ」
母さんはぎょっとして、それからばつが悪そうに頭をかいた。
「見てたの?」
「図書室にいたもん」
母さんは目を丸くして、それからにやりと笑みを濃くした。
「しらせちゃんと一緒にいたのは一香だったのね」
「そうだよ。わたしの静かな放課後、返してよ」
「無理よこんな性格なんだから」
「そうだね。無理だね」
自然に笑えてる気がする。
たまたま通り過ぎていった宇和さんは、わたしにか、ミスまちこにかは分からないけど驚いた顔で手を振って、母さんはミスまちことして大腕を振って返した。
「ユリギノさんにご挨拶したら職員室に行くからそんなに掛からないわ」
一息。
「一緒に帰りましょ?」
甘いささやきだけど、わたしは見逃さない。
お付きさんが首を振っている。
「先パイと会いたいから、先に帰るよ」
「まっ! 仲がよろしくて結構ねえ!」
職員室に引っ立てられるように戻っていく母さんの背中を見送って、また過ぎ去った嵐の後の静けさを味わう。
五分。
疲れた顔で、白瀬先パイが現れた。
「帰ってなかったの?」
「はい。ダメでした?」
「いや、嬉しいけど。なんで?」
「一緒に帰らないって、言ってないから」
別に約束してるわけじゃないけど、ほとんどいつも一緒に朝日駅までは帰ってるんだから、今日は一緒じゃないよって言わない限り一緒でしょうに。
無言で連れ立って歩く靴音とか、スカートが膨らんで手に当たる手触りとか、制汗剤のシトラスミントだとか。
五感を刺激する先パイとの時間が好きだから。……味覚はまだ無理だけど。
「今日は、お母さんと一緒だと思ってたよ」
「一緒にいて噂されると面倒ですから。……あ、さっきクラスの子に、母さんといるのを観られちゃいました」
「連絡先知ってるなら、釘でも刺しておけば?」
「そうですね。言い触らしたら殺すとか?」
「わお、物騒。冗談がきついね」
「本音はそのくらい、噂になるのが嫌ですからね……」
殺してやるは言い過ぎだとしても。
「ユリギノさんにお参りしてるところに出くわしたからビックリ。挨拶できなくてゴメンねくらいでしょうか」
「その辺が穏当じゃない?」
「そうします」
バス停について、宇和さんあてのメッセージを作っている間も、送信ボタンを押しても、白瀬先パイは静かに見守ってくれている。
「どうかしました?」
首を傾げたわたしに、先パイは小さく頭を振って、銀縁眼鏡の奥を細めた。
「どうして綾街が静かな子に育ったのか、しみじみ感じていたよ」
「ふふっ。なんですか、藪から棒に」
うーん。とひとつ唸って、白瀬先パイは
「どう言っても悪口だなあ」
「あら。母さんとわたし、どっちの?」
「私が綾街を悪く言うと思う?」
「はい」
素直に言わない先パイにはこれくらいがきっと、ちょうどいいんだ。
バスが来た。
乗り込んで、椅子に掛けて。揺られる。
先パイの肩はちょうどいい高さで、いい匂いがして、ドキドキして、ちょっとしか眠れない。
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