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事案第十号「カンニング」(1)

 浅黒く日焼けして弁明している子。

 染めたせいか不自然に髪が黒い子。

 僅かに着崩した制服を見咎められる子。

 ループタイを忘れて慌てる子。


 夏休みが終わって最初の登校日、ユリギノさんのお社前は、うっかりや過失、情状酌量の余地の有無が問われる簡易裁判所めいていた。


 手を合わせるような場面ではない。

 日課のように手を合わせてきたけど、今早めておこう。


 わたしの諦めと同時。

「おはよう、綾街さん」

 真横に並ぶ、ささめくような細い声。

「笹芽さん? おはようございます」


 驚いた。

 クラスメートとはいえ、文化祭で同じ音楽班だったとはいえ、夏休みを挟んで最初に言葉を交わす相手になるとは。

 同じ教室に向かうのだ。歩調を合わせて、生徒玄関に向かう。


「綾街さんも驚いた? 大規模に服装チェックをするのね」

 そこに驚いたわけではないけれども、話を合わせるために頷きを返す。

「話に聞いてたとおり、ユリギノはちゃんとしたお嬢様学校だから、服装点検が厳しいんだねえ」

「そうですね。ちゃんとスカートにまでアイロンを掛けて、正解でした。昨日の夜に慌ててアイロンを当てたので」

「えっ。制服にアイロンを?」


 今度は笹芽さんのほうが驚く番だった。

 彼女はわたしの全身に視線を三往復させて、「はえー」と間の抜けた声を上げる。

「そっか。だから綾街さん、ぴん、とか、凛ッ、って感じが似合うのか……」

 どんな感じだ。

 ……と思いながら、思わず首を傾げてしまった。けれど、それが笹芽さんの琴線にでも触れたのか、また間の抜けた声を上げた。


「うちは、クリーニングに出してそのままだよ」

「お家で洗わないんですか」

「ブラウスはさすがに洗うけど、形態安定加工だから、乾燥機に掛けずにいたら大丈夫って母が言うの。中学の時はそのおかげで生乾き臭がひどかったんだよね」

「脱水少なめで、重さでしわ伸ばしをする方法ですね。わたしもそうやって干しますけど、やっぱり裾のほうが伸びが悪いので。それならアイロンしたほうが、早いし、スプレーノリでパリッとさせられるのでお勧めですよ」

「家政科で習うみたいなこと、綾街さんは知ってるんだねえ」


 みんな知ってるわけじゃないという事実は、知識にある。

 礼ちゃんや里奈ちゃんは、笹芽さんと同じようなことを言っていた。

 みんながみんな、母のようにこだわるわけではない。


 玄関を通り抜け、薄暗い廊下を歩く。

「でも、スカートまでアイロンって?」

 笹芽さんが、会話を途切れさせずに続けてきた。

 タータンチェックのスカートにはきっちりとプリーツが入っている。変な皺にはなっていない。


 興味を示すのは良いことだと思う。

「一度、登校してきたので。そのときに座り皺が気になったものですから。冬スカートと比べて生地が薄いせいでしょうか」

 そこまでどうしても気になったわけではない。

 だけど、夏休み明け、久しぶりに会う先パイに隙を見せたくないなと思ったら、自然と身体が動いていた。午後十一時、そんな時間にアイロンを用意してしまった。


「本物のお嬢様って、自分でやるんだねえ」

 はて。それは誰のことを言っているのか。まさかわたしではない。

 わたしの疑問が顔に出ていたのか、笹芽さんは「あれ?」と声を上げる。

「綾街さんって門限が厳しいんじゃないの?」


 どうしてそんなことを思ったのか。

 疑問に思い、最後に彼女と会話したときのことを思い出す。

 ――あ、そうか。

「夏休み前のこと、ですか。あの、ごめんなさい……約束、破ってしまいました」


 そうだった。

 夏休み前の打ち上げに行こうと言われていて、その後先パイと会って、名前を呼ばれていっぱいいっぱいになっちゃって。

 すっかり頭から抜け落ちていた。


「ううん、気にしないで。でも、早月と三人だけででもいいから、ちょっとおしゃべりできたらうれしいな」

 早月。宇和早月さん。笹芽さんといつも一緒にいる、声が大きい女子。

「うちら、綾街さん推しだから。ちょっとでも色々知っていきたいんだ」


「えっと」

 戸惑う間に、教室の前に着いてしまった。

 席が遠いから、中に入ればそれで会話は終わってしまう。

 だから。

 とりあえず、

「お昼ご飯から、始めますか?」


 後先考えないことを、言ってしまった。



 自分のお弁当が他人には引かれるものだということをすっかり忘れていたわたしは、四時間目の途中からそわそわし始めていた。

 先パイがわたしに「森食ってる」とまで言ったのと同じようなお弁当だ。


 果たして、決戦のとき。

 笹芽さんの集合の声に応じて馳せ参じたわたしは、耳たぶに絆創膏を貼った宇和さんと、向かい合った。

 ひとつの机の三方から囲むような構図。右隣、窓側に笹芽さんが座り、売店のサンドイッチを広げている。宇和さんはお弁当箱を開き、サンドイッチを広げた。


「ちょっと、サンドイッチかぶり」

 宇和さんがケラケラ笑うのに合わせて、笹芽さんも

「真似しないでよ」

 と、仲睦まじい。


 お盆に、礼ちゃんと里奈ちゃんに会っていなかったら、今頃わたしはこのやりとりに疎外感を抱いていたことだろう。

 けれども、友人付き合い、あるいはクラスメートとの付き合い方というものを、ふたりのおかげで思い出せた。


 そう。

 別に、ひとつの卓を囲んでいたところで、仲良くしなければいけないということもない。気取る必要、気圧される必要はないんだ。

 会話を楽しみつつ、食べ物を口に入れて胃に詰め込む時間なのだから。


 母さんが言う「食事はみんなで美味しく楽しく」「栄養第一、味も第一」 というのは、そういうことだろう。

 あの人は料理研究家だから。

 本当に楽しい食卓をと思うなら、たまには帰ってきてくれたらいいのに。


「綾街さんもお弁当?」

 宇和さんの質問に、はっと我に返る。

 自分の世界に入りかけていた。


「あまり見られると、ちょっと恥ずかしいですけど」

 お弁当箱を取り出して、蓋を開けて、使い切りサイズのドレッシングの封を切る。と、ふたりの視線が釘付けになっていることに気が付く。

 まあ、そうでしょうね。


「ベジタリアン?」

「そんなことはないですけど」

 自然解凍したらそのままサラダに出来るアスパラと、ブロッコリー。彩りと糖質のために、とうきびだって入れた。シーザードレッシングをかけたら十分味がする。

 それに、加えて、スムージー感覚で飲める、パウチのゼリー飲料だって取り入れた。


「だから、綾街さんってそんな細いんだ……いいなあ」

 唐揚げの挟まったサンドイッチを食みながら、宇和さんが吐息する。

 細くたって良いことは少ないと言うのは、嫌みに聞こえることもあるかもしれない。だから、気を使わせないような言い方を考えて。

「ちんちくりんなので、ひとりでご飯を食べるなら、これで十分なんです」


 顔を見合わせるふたりを見ると、やっぱり、ご一緒しない方が良かったかなと思う。

 彼女たちはいつも、ひそひそとささめきあって楽しんでいる。

 そこにわたしのような異物がいると、気を使わせてしまうだろうし。


「綾街さんって、家でも野菜中心なの?」

「そうですね。ご飯とお味噌汁を用意して、常備菜があればそれを、無かったら冷蔵庫の中身を、レトルトと合わせて適当に食べられるようにしますね」

「自分でやってるの?」


 あ。

 まずい。


「両親が、夕食時に家にいないことが多くて」

 この言い方でどうだろう。

 前に同じ話題になったとき、先パイに気を使わせてしまった。


 先パイ以上に踏み込んでくることもないだろうけど、彼女たちは、どうやら噂好きな面がある。顔も広い。

 変な噂が広まるのは避けたい。――もう遅いのかもしれないけれども。


「おうち帰ってひとり……大変だね」

「お嬢様だとお手伝いさんとかいそうだよね」

 ふたりの興味がそちらに移ったみたい。

「ただの共働きですよ。お手伝いさんがいるお家なんて、この学校にいるんでしょうか」


 わたしの疑問に、宇和さんがすぐに反応する。

「西条さんとかそうだったよね」

「こらこら、個人情報」

 すぐに笹芽さんが窘めるけど、なるほど。こうして噂が広まるんだと理解した。

 きっとすぐに、昼に森を食べる女としてわたしの噂が出回ることだろう。


 別に、誰に笑われたって構わないけど。

 ひとりで食べるご飯なんて味気ないし、おなかが膨れて栄養が取れたらなんだっていい。


「ごちそうさまでした」

 全部を平らげて小さく手を合わせると、宇和さんが「ええっ」と声を上げた。

 わたしよりも先にお弁当箱を開けていたのに、まだ半分も食べていないみたいだった。

「食べるの、早いんだね……」

「違うよ、早月がしゃべってる間に、綾街さんは淡々と食べてたよ。長距離走みたいに」


 わたしはフードファイターか何かに見られている?

「あ、わたしにはお構いなく、食べてください。何か聞きたいことがあれば、答えますから」

 その提案は、なにやらインタビューを受ける有名人みたいで――ちょっとだけ母さんの姿が脳裏をよぎった。

 なんでもどうぞというのは、聞く方も大変そうだと思ったということも思い出す。


「え、じゃあじゃあ。綾街さんって、すっごい髪綺麗じゃん。どこかの何か、使ってるの?」

 目を輝かせながらの質問は、実にイメージしていた女子みたいな会話だ。

「小学生の頃から、母が使っていたシャンプーとかと、ヘアオイルとミストを使ってますよ。乾かさないで寝ないようにとか、お手入れは厳しくしつけられました」

 お風呂から寝るまでのケアが身体に染みついているおかげで、自慢の、と胸を張れるくらいの髪の毛を手に入れられたことだけは、母さんに感謝したい。


「ええー。どこのやつ?」

「写真があります」

「写真に残してるんだ。SNSとかにアップしてるの?」

「寒雁駅でしか買えないので。写真を店員さんに見せて、出してもらうんです」

「うわあ……結構いいブランドのじゃん」


 そうなんだ。

 他のと比較したことがなかったから、知らなかった。

「やっぱり、お嬢じゃん」

「激務の両親のおかげです」


 ほんとうに、そこはふたりに感謝してもしたりない。

 父さんは男手で、年頃の娘の面倒を見てくれるし、いつも朝早くに出て夜遅くに帰ってくる。会えない日が続くこともある。

 母さんは物理的に距離があるけど、かなりのギャラがもらえるらしい。生活費にと入れてくれる額は、毎回記帳する度にびっくりする。


「髪は大事にしなさい、そのためなら母さんの小遣いは好きに使いなさい」と言ってくれたから、遠慮無く使わせてもらっている。


「髪で言えば、月に一度は美容室に行くし、三回に一度はトリートメントもしてもらってますよ」

「だっっっから綺麗なんだ!」

「高校生でトリートメントって、いるんだ……」

「母の方針なので、髪は女の命だから、と」


 大げさに驚くふたりに、ちょっと照れてしまう。

 それが噂の種だったとしても。お嬢様だという尾ひれを補強しちゃうかもしれないけど。

 だって。

 ふたりの顔は、純粋に驚いているだけで、ひがみだとか、そういう感じじゃないから。


「やっぱり綾街さんは推しだわ、きーこはん」

「てぇてぇっすなあ、早月はん」

 ふたりのノリはわからなくて。愛想笑いしかできないけれども。


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