↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
21/41

事案第九号「レーティング」(3)

 八月十二日。

 お盆を前にして、ようやく郷土史の課題が終わった。

 それ以外の課題だって順調で、想定の二割増しで片づいていってる。

 夏休みの最後の一週間は、のんびりと羽を伸ばしながら本を読んで、模試対策をして、時間が合えば礼ちゃんや里奈ちゃんとも会いたい。


 フロアワイパーを掛けながら、壁紙のシミを見つけたら消しゴムで擦って歩く。

 お部屋の消臭剤も詰め替えたし、シンクもシリコンコーティングした。

 真夏の大掃除だ。

 エアコンのおかげで汗もかかずに、リビングは完了。

 レンジフードは父さんがいるときにはずしてもらって、キッチンもオッケー。


 この夏で一番綺麗。

 まんぞく。

 ふんすふんすと鼻息も荒くなるのもしょうがない。


 さて。

 お掃除が早く終わったから時間がある。

 今日は先パイが、近くまで来てくれる日だ。

 藍染めの資料を見にくるので、まずは地元のコミュニティセンターに行って、そのあとわたしの中学時代の自由研究を見るために、うちまで来る約束。


 おうちは綺麗。

 今日のために服も買った。

 下着だって新調してみた……のは、単純に洗い替え用が必要だったから。登校日と同じ失敗は繰り返さない女。それがわたし。


 少しだけ、髪に気合いを入れた。

 毛先にオイルを馴染ませて、うなじでしっかりとゴム止め。

 ふたつに分けて、髪束をくるりっと通す。量が多いから、二回やった。ボリュームが出る。

 あとは隙間に押し込みながらピンで留めていく。


 完成。

 小学生の時に母さんにやってもらって、お姫様みたいと感動した、なんとかタック。

 襟足が出て涼しいけど、気合いでも入れなきゃやってられないくらい面倒。アイロンで巻くよりダメージが少ないから、今日みたいな日はやるけど。


 かわいいって言ってくれるかな。

 もしアイロンで巻いたポニーテールが良かっただなんて言われたらどうしよう。もし笑われたらトリートメント代を請求してみよう。先パイなら笑ってくれるはず。


 日焼け止めを出てるところ全部に塗って、リップクリームを塗って、潤いも十分。いつもより血色がよく見えるくらい。

 なんだか、口唇がいつもより? ピンクでかわいいからって新しいのにしたから?


 まさかくちべにと間違った?

 パッケージを確認する。輝く薬用の文字。

 …でもき、気のせいか。

 夏の日差しのせいだ。きっと。


 鏡見て、ふと不安に襲われた。

 お姫様みたいな髪型に、買ったばかりの黒いワンピースは合うのだろうか。

 この間のショートパンツだとカジュアルすぎるかな。同じ服ばかりの女に思われるかな。


 え、どうしよう。正解がわからない。


 こういう相談をしたい先パイを驚かせようとするのは、やめたほうがいいかな。

「ええい。ままよっ」

 ちんちくりんでも、かわいいのを着たい! 先パイにかわいいって思われたいから。


 着る。

 鏡に映す。変に浮いたりしわが寄ったりしてない。

 肩が露出し過ぎてるけど、インナーははみ出てない。

 下着の肩紐も浮いて見えない。


 ……胸を反っても、浮いて見えるものはなにもない。

 姿勢を正す。起伏も、パッド分の厚みしかない。

 大丈夫。


 全身黒だけど、胸元に赤いステッチが入ってる。これがアクセントになっていて、かわいいんだ。

 ひざ下丈の裾。ちょっと長いから、先パイが変だって言ったら裾上げしよう。かわいいと思うけど。


 何か違う、とは思わない。

 きっと先パイが言ってたとおり、サイズが合うから。

 ありがとう先パイ。いつものファッションセンターでも、自分に合う大人っぽい服を選べました。150サイズ……ジュニア用ですけど。


 さあ、迎撃用意はできた。

 ここまで用意すれば、街亭の天才軍師だって舌を巻くはず。


「いざ、出陣」

 声に出し、家を出る。

 昨夜読みふけった奇書に中てられたわたしは、気合いも十分だ。



 藍路駅はまだ高架化もされていなくて、駅舎も小さいけれど、駅員さんが常駐する駅。

 先パイの家からは朝日駅まで地下鉄に乗って、JRに乗り換えてから三駅。わたしの最寄りである北藍駅からも二駅。

 かつて父さんの小学生時代は長閑な玉葱畑が広がっていて、冬には強烈な地吹雪に見舞われたことから、寒雁三大ブリザードのひとつに数えられるほど。

 けれど開発が進んだおかげで、住宅街となった元農地の真ん中に、コミュニティセンターが鎮座してる。


 今日の目的地は、このコミュニティセンター。

 我が家からJRに乗るよりも徒歩の時間が短くて済むからと、バス移動を選んだせいで、寄り道をしている気分。


 ただ。

 髪も、服も黒いから。

「あっついー」

 口唇が、うだるような声を押しとどめなかった。


 街路樹の木陰を渡ろうにも日が高くて、影が小さい。

 熱されたタイル張りの歩道は、伝統芸能のモザイクになっていて、光をよく反射する明るい色。

「両面グリルみたい……」


 服装に失敗したかもしれない。

 額に浮かぶ汗。

 背中も、じっとりしてる。

 塩なんて吹いちゃったら、恥ずかしいな。


 いっそ、先パイにここまで来てもらおうか。

 そうだそれがいい。

 すぐさま電話を取り出す。


 メッセージが来ていた。

『駅を出たら小学校みたいなところに来ちゃったんだけど、集合って駅だっけ?』


 駅待ち合わせですよ先パイ。

 どうして明後日の方向にいるんですか……。


『お迎えに行くので、木陰でじっとしていてください。小学校の横に、少年野球場のある公園がありますから』


 迎撃作戦は遊撃戦に変わった。

 さあ、炎天下の行進だ……いくぞー……。


 緩い気合いの中、藍路駅を通り過ぎて、放水路を渡る。

 そこから、歩くこと五分。小学校のグラウンドを囲うフェンスが見えた。

 その手前に、小学校の敷地と同じくらいに広い公園がある。


 木陰に、可憐な美少女見つけた。

 麦わら帽子に、長袖シャツ、風に揺れるスカート。

 帽子が違うだけで、書生風から美少女にモデルチェンジした先パイ。


 そよ風に揺れる涼やかさ。

 わたしに気付いて駆け寄る姿。

「ごめんね、綾街っ」

 ちっとも悪びれない笑顔。

 いつものシトラスの薫り。


「ずいぶん汗だくじゃん……こんな綾街、初めて見た」

 汗だくのわたしにハンカチをあてがって、心配そうに眉尻を下げる。

「いやあ、探しましたよ……」

「涼しいところ行こう。顔も赤いし、熱中症になったら大変だ」

「ねっちゅうしょう」


 そうね。

 その原因の半分は先パイですけどねっ。

 べつに、ベタな「ねえ、ちゅうしよ?」を思い出したことなんてありませんけど。


 先パイのゆずリップの香りなんて嗅ぎなれてるし。

「あれ、綾街。今日は色付きのリップ? かわいいじゃん」

 ……なんで、そう、意識させるのかなあ!


 這々の体でコミュニティセンターに逃げ込んだところで、強烈な冷房が襲いかかってくる。

 市の施設だというのに、かくや夏のブリザードが襲ってきたのかと思うほど。

 汗で湿ったワンピースが急激に冷える。


「濡らしたキッチンペーパーに包んだ缶ビールは、お風呂に入るくらいの時間でキンキンに冷えるそうですね」

「へえ。暑い日にはピッタリだ。そんなことを知ってるとは、さては」

 先パイがスポーツドリンクを渡してくれる。ライフハックなど不要なくらいに冷えていて。一口を喉に流すだけでカラダの奥が冷える。


「美味しそうに飲むね。ちょっとちょうだい」

 借ってくれた先パイがほっするなら明け渡すべきか。考える前に、わたしの手は空になっていた。

「空城の計……」

「んあ? なにそれ」


 きっちりとふたを閉めて、返されるスポーツドリンク。

 それは、空の杯に近しい、甘みのある毒に見えた。

「すみません、昨晩、小説を読みふけっていて」

「好きだねえ」

「ええマンガと違って味わい深くて」


 先パイが何やら生温かな目で見てくる。

 今日は、いつも図書室で掛けている、ピンク掛かったレンズの眼鏡だ。たしか、ウェリントンっていう形。

 頬に紅を差したような色合いになる、先パイ曰くおしゃれ眼鏡。


 一方のわたしは、きっと真っ赤な顔をしていて。

 熱中症直前の暑さのせい。

 リップクリームの色なんて、きっと関係ない。

 身体の火照り。茹だったような頭の熱。きっと、熱中症の直前。


「ねえ、綾街。寒いんじゃないの?」

「えっ」

 だから先パイが、眉尻を下げて問うてきたのに、驚いた。

「ちょっと顔色悪いよ。汗が乾いて冷えるからさ。ね、お化粧室行こ?」

「ど、どうしてですか」

「ほら。前にも言ったけど、私って汗っかきだからさ。汗対策グッズは山盛り持ち歩いてるんだ。だから、風邪をひいちゃう前に、世話を焼かせてよ」


 先パイに手を引かれて、あれよという間にお手洗いに連れてこられた。

 着替え用のステップのある個室に押し込められて……先パイまで、入って来て、とても狭い。

「あ、あの」

「ほら。背中向けて。ファスナー下ろしてあげる。ちょっと湿ってたら、自分でやりづらいから」

 抵抗むなしく――抵抗する間もなく、かな。


 わたしの、汗で湿った背中。

 タンクトップで覆ったはずの中身は、きっと、透けて見えてる。

「どうして今日に限って、ワンピースにしちゃったんだろ……」

「嘆いたって仕方ない。ほら。袖を抜く」


 おずおずと言うとおりにして、袖を抜くと「万歳して」と短い指示。

 言われたとおりにすると、肌にはりつくタンクトップが、音を立てるみたいな勢いで、胸の上までまくり上げられた。


「ひぃっ」

 恥ずかしい!

 思わず悲鳴が上がっちゃった。

「ブラを買いに行ったときに照れなかったんだから、今も照れるでない!」

 強く言う先パイは、その語気と同じくらい強く、タンクトップを引っ張る。おかげで、なんとかタックにしてボリュームのある頭を通り抜けて、締め付け感が解放感に変わった。


「ほら。まずタオルで拭くからね」

 そう言って、やわらかな感触が背中に触れる。

 暖かくて、柔らかい。

「次、シートで拭くね。冷感のだから、冷たいよ」


 遠慮無い一撃に、「ひゃッ!」と鋭い声が上がってしまった。

 首筋、背中、脇の下。肌が露出しているところは余すところなく。

「本当はブラの下もやってあげたいけど、ホックを外さないと伸びちゃうし」

 なんてことを言うんだ、先パイは。

「……先パイなら、外してもいいですけど」


 なんてことを言うんだ、わたしはッ!


「馬鹿なことを言うんじゃない。そこは自分でやんなさい」


 ……否定しないんだ。

「拭いた方がいいですか……?」

「汗が乾くと、乾燥しちゃうからね」

「替えの下着、ないです」

「そこはほら、今日は、私とふたりだから。その、ね?」


 言い淀む先パイ。

 肩越しに見ると、レンズの赤み以上に頬が赤らんでる。


「ほら。ささっとしなきゃ風邪ひいちゃうから。次、制汗剤掛けるよ」

 しゃかしゃかとスプレーを振る音。

 そして、冷気とシトラスミントの香気が、猛烈な吹雪みたいな勢いで背中や脇に振りまかれていく。


 ひとしきりの暴風の後。

「先パイのにおいだ」

 個室が、その香気に包まれて。


 危うく、だらしなく笑うところだった。

「あの、先パイ、ありがとうございます……下着取って、また着ますから……一度、退出をお願いします。ちょっと、恥ずかしいです」

「あ、うん。そうだよね。えっと、外にいるから。この鞄の中身、好きに使って」

「ありがとうございます、お借りします……」


 おかしい。

 下着を買いに連れて行ってもらったのは、ほんの二ヶ月くらい前なのに。

 恥ずかしくなかったはずなのに。


 先パイに、今のわたしを見られるのは、すごく恥ずかしく感じた。


面白い、続きが気になる! と思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると、大きな励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。