事案第八号「コリジョンルール」(2)
先パイはいっぱい探してくれたんだろうな、って。思ってしまった。
誘導もスマートで、わたしがいつだったかに話した好みも覚えていてくれて、白を着て現れたわたしに配慮してお店を変えてくれて。
普段のお弁当がブロッコリーばかりのわたしの栄養まで気にしようとしてくれて――それは、まあ、お節介かもだけど。
繁華街なのに安くて、何でも選べて、穴場のお店を見つけてくれていた。
「まさか市役所とは」
「味もいいって、実は評判なんだよ。夕方のワイドでやってた」
「そうなんですか? テレビ効果で混雑することもないんですね」
そんな会話を楽しみながら食べたデザートのチョコレートパフェは絶品だった。
食後は、展望スペースに連れて行ってくれた。
強い日差しを遮るものは何もないけど、風が強く吹いていて、気持ちがいい。
「あのあたりが、帝大ですよね」
「そうだねえ。大分向こうの、一直線の林が、防風林かな」
「それなら左手側に、ユリギノがありますね」
目をこらしても、わたしたちの学び舎は見えない。
本当にそのあたりにあるのかもわからない。だけど、先パイと同じ目線で俯瞰するこの街は広くて、いろんなものがあって、どんなことだってできそうに見える。
ふと、先パイを見ると。
景色を見ているふりをして、どこか遠くを見ているかのようだった。
見ているはずの景色は、アンダーリムのフレームに、隠れているような角度。
「白瀬先パイ」
だから、名前を一緒に、呼ぶ。
「ん? どうした、一香?」
すると先パイは、わたしの名前を呼ぶ。
気恥ずかしい。
慣れない。
でも。
伝えたいことは、口にしなくっちゃ。
「連れてきてくれて、ありがとうございます。今年の夏休みも勉強漬けかなって思ってたから、忘れられない思い出になりそうです」
「どうしたどうした、急に」
「だって。先パイ、わたしのことを見てないから」
すると先パイは目を丸くして、それから、小さく笑った。
「直視出来ない、っていう言い訳は、まだオッケー?」
「駄目です。もうそろそろ慣れてください」
「そのくらいかわいいんだよ、今日の綾街」
「……それ、反則です」
気恥ずかしい。
慣れない。
「そ、それでっ。次はどこに行くんですか? 特に目的地がないなら、イヤホンが欲しいんですけど」
「どうしようか。街ブラも楽しいけど、さすがに暑いしねえ。電気屋さん行くか、雑貨屋だとかわいいのとかも売ってるよね。それとも予定より早いけど、うちに来る?」
ん?
「デザインは、先パイが選んでくれるのがいいのかなって思うんですけど、リスニングの勉強にも使えるようなものが最低条件、とは思ってます」
「じゃあ無難に電気屋に行って、求めているものと合ってたら、私のお古で試してみるのも手だよ」
「そんなっ。悪いです」
「使ってないものだし。あ、ちゃんと綺麗にしてから渡すから」
なんだか違和感がある会話な気がしたけど、ご厚意には甘えたい。
だから、まずは電気屋さんへ――そして、
予定よりも早い地下鉄で、北二十条駅。
下車。
そして歩いて五分。
わたしが抱いた違和感の正体を突き止める前に。
白瀬先パイの住む分譲マンションに、誘われていた。
◆
かつて寒雁市営地下鉄南北線の始発駅だったこの駅周辺は、駅周辺の商店街と、それをとりまくように立ち並ぶ住宅街。そして、市内最高峰の公立高校もある。私立の女子大も、近かったはず。
JRと地下鉄が乗り入れる朝日駅よりも、にぎわいという意味では上回っているのかもしれない。
そんな駅から徒歩五分で、十三階建てのマンションの、十二階。
“秋穂”と刻まれた真鍮らしきプレートが、重厚な扉の横に貼り付けられている。
「緊張してるの?」
「それは、もう……わたしの家に来てくれた先パイくらいには、緊張してます」
「当てこする余裕はあるんだね」
余裕なんじゃなくて、それで正気を保っているとも言えるんだけど。
「そもそも、先パイのお家にお邪魔する予定でしたっけ」
「メッセで送ったじゃん」
記憶にない。だけど確かに、そんなやりとりが残っていた。
「このやりとり、先パイと会えるって舞い上がっていて、そこに気付いていなかったみたいですね……」
「あ、私と会えると舞い上がるんだ……」
「? それは、そうですよ。ほとんど毎日会えてたのに、夏休みに入ったら急に会えなくなるんだから」
そして、ひとつ気付いたことがあるんだけど、
「さ、廊下で話してたら、声が反響しちゃうからね。中に入るよ」
「えっ。あ、わっ、まだ心の準備が――」
「ただいまー!」
扉を開けるなり、大声の先パイ。
そこでただいまを言うタイプなんだなとか、どうでもいいことで正気を保つ!
「おじゃましますっ」
「はーいどうぞ」
奥から、おっとりした声。
あ、まずい。手土産がないと気付いた瞬間、声の主が玄関に現れた。
第一印象は、髪が長い裸眼の先パイだった。
そして、その人は、先パイとは全然違う、カジュアルな格好っていうのをしていた。Tシャツに、柔らかそうな生地のパンツ。淡い色で揃えている。
「いらっしゃい、いちかちゃん……あれ、いつかちゃん、だっけ」
「あ、いつか、です。綾街一香です。お邪魔します」
「どうぞ、いっちゃん」
シンプルなスリッパを出してくれたその人からは、先パイと同じ、紅茶っぽいシトラスの香りが漂ってきた。
確かに感じる、先パイとの血縁。同じ空間で生活しているという感じ。
「テルちゃん、ちょっとどいてよ。手洗えない」
「あんたのことより、いっちゃんのことが優先でしょ! さ、いっちゃん、お姉さんと手を洗いに行こうねー」
「なれなれしいなっ!」
先パイの珍しい姿に、思わず笑ってしまった。
「わ、笑い方上品だ。さすがユリギノ生だね」
「おいおいテルちゃん、ここにもいる」
「あんたは滑り止めで入ったんでしょ! 今頃北高のセーラー着てたはずなのに、まったくもう」
「だってユリギノの方が制服かわいいじゃん」
「それは認めるけど、せっかくお下がりしてやろうと思ってたのに」
ハイテンポの会話に入っていけず、とりあえず通された洗面所で石けんを泡立てる。もこもこの泡が、とんでもない量、生まれる。
そんじょそこらで買えるような石けんであるはずがない。
丁寧に泡を洗い流すと、ふわふわのタオルを渡されて、それからリビングへと案内された。
「あ、自己紹介まだだったね。あのアホの姉の、輝美だよ」
「てるみ、さん……よろしくお願いします」
「気軽にテルちゃんとでも呼んで」
「綾街、無視していいよ」
「あんたと話してない! そんなだったら、シャトー冷泉のアイスやんないよ!」
「せっしょうな!」
「仲良しなんですね」
「「ぜんぜん!」」
息がぴったりすぎて、やっぱり笑っちゃう。
たったこれだけなのに、お姉さんのことがなんだか好きになっちゃいそうだ。
リビングからの眺望は、市役所からの眺めに劣らないくらい良くて、お部屋の中も色とりどりのお花が飾られている。壁にはドライフラワーまであって。
家中が、良い香り。
先パイは着替えてくると言って、自分のお部屋に行ってしまった。
「ねえ、しーちゃん。どれ頼むか決まった?」
そんな先パイに声を掛けるお姉さんに、先パイもまた、お部屋から返す。
「綾街に選んでもらってよ。お客さんなんだから」
お姉さんは肩をすくめる。
「……だってさ。あいつ、いっちゃんの好みを把握しきれてないから、押し付けてるんだわ。ね、ピザ好き? っていうか服かわいいねえ、めっちゃ好き。あたしもそういう格好するよ。あとであたしの服着てみる?」
どれから返事をしたらいいのかわからない。
だけど、
「ピザですか」
とりあえず返答がシンプルなものから、捕まえていく。こういうタイプの人は、思いついたことを交通整理もせずに口に通すんだ。母と一緒のタイプだ。
「この辺り、シカゴピザの美味しい個人店と、ロマリアが宅配エリアなんだよね。あ、知ってる? ロマリアの窯。バジルとモッツァレラが美味しくてさー」
「はい、うちのあたりはロマリアしか来てないので」
「じゃあ、ピザピールにするか。おかしいよね、シカゴピザの店なのにピザピールっていう店名なの」
お姉さんはピザピールが何かを知っている前提で話してくる。
普通はそれ、わからないんじゃないかな。
「ピザピールって、あの、もんじゃへらのおばけですよね」
「そうそれ! やっぱいっちゃんは博識だ! あたしの見込んだとおりだなあ。シカゴピザは食べたことある? ない? あたしが選んじゃっていい?」
ぱこん! と、スリッパがいい音を立てた。
先パイが、お姉さんの後頭部に向けて振り抜いたのだ。
「綾街に選ばせろって言ったでしょ。ほんとにもう……」
「ふふっ。先パイ、いいんですよ。わたし、ご相伴に与るつもりで来てなくて。手土産もご用意してないのに」
「えっ、いいんだよ。来てくれたことが最大のプレゼントなんだから」
やっぱり何かがひっかかる。
先パイの物言い。
なぜか頼もうとされているピザ。
そして。
「ところで、テルちゃん。ママは?」
「ケーキ取りに行ってるよ」
「パパのは?」
「さあ? しーちゃんの好みのやつ、食べられないもんね。どうするんだろ」
ケーキ。
ママとパパの好み。
わたしの分まで注文されようとしているピザ。
「ねえ、先パイ。ひょっとして、なんですけど……誕生日パーティに、招かれました?」
「言わなかったっけ」
「言っとけ」
「聞いてませんね」
先パイは着替えたばかりのTシャツの上に、“本日の主役”と毛筆されたたすきを掛けていた。
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