事案第七号「読み」(1)
夏休みを控えた、放課後。
気もそぞろのまま授業を受けるクラスメートを尻目に――なんて言うとちょっと偉そうだけど、実際に教室内の空気は浮ついていた。
「それでは、夏休み前に、個々人に課題を出すよ」
副担任の先生がめずらしく、ホームルームを仕切っている。大量の封筒を抱えていて、それが課題なのだと。
「出席番号順に呼ぶよ。一番、綾街いちかさん」
返事するか、戸惑った。
「綾街さん?」
「……はい。あの、」
「どうかした?」
教卓の前で言い澱んでしまって、結局言えなかった。
いちか、というのは誤読であると。
◆
入学式から一週間を欠席したわたしがいけなかったんだとは、納得している。
そのおかげで自己紹介する機会を逸してしまって。
まるでジグソーパズルの余ったピースみたいに、箱の中で存在することだけは許されている。
……きっと違う箱に入るのが正しかったみたいなもの。
図書室と教室とでは、呼吸のしやすさが違う。
資料配付の様子を観察していたけれども、封筒の厚みには個人差があった。
わたしのはとりわけ厚い。特待生だということが関係しているのか、違う理由なのか。
クラスから浮いていることが理由ではないと思いたい。
渡された課題資料のタイトルだけ確認してみると、主要教科の小テストみたいなプリントと、美術や音楽レポート、郷土史の調査もある。
説明用のしおりが同封されていた。
生徒の直面している課題に合わせて、各教科からの宿題が出ていること。
希望する進路がない生徒には、課題範囲を広くしていること。
週一回、進み具合と困りごとをメールで報告すること。
……面倒ごとの気配が漂う。
夏期講習の代わりなのだろう。私立の進学校とはいえ、いや、だからこそ、夏休みを充実させるために。
「綾街さんの資料、すごい量だね」
突然話しかけられて、びくりと身体が跳ねてしまった。
「ご、ごめんね! 集中してたところ!」
ばつが悪そうに眉尻を落としていた宇和さんだった。
そういえば出席番号が近い。だからか、様子を見られていたのかもしれない。
「こちらこそ、ぼうっとしてました」
「ごめんねぇ」
「いえ。何かご用事ですか?」
問いに、宇和さんは一瞬きょとんとした。
「もう放課なのに、綾街さんが動かなかったから、気になっちゃって」
はて。
周囲を見ると確かに、皆思い思いに席を立ったり、わたしと同じように封筒の中身をチェックしていたり。
「気を使わせてしまったみたいで、ごめんなさい。体調なら、大丈夫ですよ」
以前、具合が悪くなったときに心配をかけてしまったことだし、きっと気にかけてくれたんだ。
意外と優しい人なのかも知れない。声が大きいからがさつなんだという偏見を持っていたこと、心の中では謝らせてほしい。
「ううん、いいよー」
笹芽さんが会話に入ってきた。
ものすごく自然だ。声は小さいけど。
「見て、きーこ。綾街さんの資料の量」
「うわーすごい。これって生徒ごとにカスタマイズしてるってことだよね」
「フラペチーノに生クリームだけじゃないカロリーだよ、これは」
「スタヴァ比喩、綾街さん通じないでしょ」
「きーこ専用だわな」
「さっつんってば、もう」
わたしを挟んだ友情トーク。
どこか別でしたらいいのに、今日に限ってわたしを巻き込むには、どういった理由があるのだろう?
「本題忘れてた」
わたしの目つきで気付いてくれたのか、さっつん……宇和さんが大きな声を上げた。
「ねえ、この後、朝日駅利用組で打ち上げに行くんだけど、綾街さんもどう?」
「打ち上げ、ですか」
解放感に浮かれて、みんなで遊びに行くということだろうか。
朝日駅のあたりで高校生が遊べる場所なんてあるのか、そもそも制服で行っていいのかな。
生徒手帳に校則が書いてあったはずだけども、それを見る余裕はなさそうだ。
「綾街さんって、朝日神社で乗り換えてるでしょ? JR乗り換えだと、バスターミナルよりそっちのほうが近いから」
おや、よく見られている。
「宇和さんも、朝日駅なんですか?」
質問に、一瞬の間。きーこ……笹芽さんと目を見合わせて、それから身を乗り出してきた。パーソナルスペースがちょっと狭いらしい。
「あのお稲荷さんの裏に住んでるんだ!」
「お稲荷さん? ああ、朝日神社」
「そうそう! 朝日稲荷っていうのに、バス停が神社ってなってるから勘違いするよね!」
随分と、嬉しそう。
ローカルトークができるのが理由だろうか?
「さっつん、脱線してる。で、綾街さん、どうかな? 私も朝日乗り換え組なんだ」
「笹芽さんはどちらですか?」
「北二十条駅だよ。本当は違うバスなら一本だけど、綾街さんが打ち上げに来てくれるなら、朝日駅経由もいいかなって」
本来と違う経路のひとも対象にするらしい?
夏休み前という高揚感が、そんな面倒を可能にするのかもしれない。
だけど、
「折角ですけど、行けたら行くというのは、ダメですか?」
「ダメなもんか!」
宇和さんの声のトーンが一割上がった。
「じゃ、連絡先交換しようよ!」
「構いませんけど、宇和さんってぐいぐい来るんですね」
あっ。
先パイみたいな距離の詰めかただったからつい、先パイに言うような物言いをしちゃった。
恐る恐る、見上げる。
照れくさそうに、宇和さんは頭をかいていた。
「距離感なしの宇和早月でごめんなさい、綾街さん。ついでに私も、登録していい?」
笹芽さんは控えめで、だけど相乗りしてくる。
別に構いやしないけど。
「夏休みを前にして、初めてクラスの方と連絡先交換をします」
「じゃあうちら、綾街さん第一号だ」
「マジ光栄」
きゃああと声を上げるふたりには申し訳ないけど、一番は先パイだし、礼ちゃんや里奈ちゃんも……中学の頃の友達はノーカウントか。
「じゃあさっそく! コードで読む?」
「コード……? えと、番号を教えてくれたら、一回掛けますよ」
疑問符の応酬が始まった。
「まさか、メッセ使ってない?」
「……ああ、なるほど。ありますよ」
先パイとの連絡専用になっていて、アプリの機能だということに思い至らなかった。
「えっと、あ、綾街さんはこのいつかって名前?」
「そうなってますか?」
「わざと誤字ってるの?」
「いえ。下の名前が表示されるんですか?」
だったら。
先パイの表示名が、しらせとなっている。……ん?
「綾街さんの名前って、いちかでしょ?」
笹芽さんの疑問。
「いえ。いつかと読みます。さっきも先生に、読み間違われていました」
「へえー! 珍しい読み方だね」
「ちょっとしたひっかけ、ですね」
「じゃあ、いっちゃんって呼んだらいいのかな? これなら間違えない!」
どやっと誇らしげな宇和さんに、「覚えたらいいのよ」と冷静な笹芽さん。
「あだ名かわいいじゃんね、いっちゃん?」
「距離詰め過ぎよ、馴れ馴れしすぎると綾街さん困るって」
どっちでもいい。
答え合わせが早くしたい。
「あの、とりあえず今は行くところがあるので……場所や時間など、行けそうかみたいので、送っていただいてもいいですか?」
「あ、そっか。ごめんね送っとく!」
挨拶もそこそこに、図書室に急ぐ。
しらせ先パイを、捕まえに。
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