事案第六号「窃盗」(2)
放課後。
まだまだ強い陽射しを、ポプラの並木が遮る正面玄関前。
ちょっとだけ湿った風が、空気を運んでいく。
汗ばんだ首筋を、ブラウス下の肌を、駆け抜けていく風が冷やす。
でも、新たな湿気を乗せられているだけのような気もして、心地よさ百パーセントとは言いづらい。
「ユリギノさんのころは、どうだったんでしょうか」
いつものように、下校のついで、お社に手を合わせる。
今通ってきたポプラ並木も大元は、ユリギノさんが植えたものらしい。
もちろん、樹齢というものがあって、大半は入れ替わったのだろうけれども。
ユリギノさんが植えたというのも、明治の開拓時代に入植した少女が、なんやかんやあって神格化されて、揺貴蒔菜比売という女神になったのだそうだ。
「お、綾街。今帰り?」
いつもの如く、タイミング良く先パイが現れた。
最近は待ち合わせをすることも多かったけれども、
「はい。先パイが来るのを、待ってました」
どうせ一緒に帰るなら、とか。
一緒に帰らなかった日も、結構な時間をメッセージのやりとりに費やしているとか。
そしてそれを心地よく感じているから、とか。
「歴史の壮大さに、心を奪われていたんですけど。先パイ、この防風林の並木も、当時の香りを残しているように見えて、それもまた入れ替わった結果だという事実。どう思いますか?」
唐突な問いに、先パイは「そうだねえ」と一拍を置いた。
「私を待つ間に考えるにしては、壮大だなあ」
苦笑。
先パイは、わたしの大げさな妄想も投げ捨てることはしない。
「ユリギノさんなら、それも良いって言ってくれそうなイメージがあるね。小さいお社だけどさ、ポプラ並木は全部お社の敷地ってわけだし。綾街、知ってる? ここいらは、寒雁市の三大ブリザードの一角だって言われてるんだよ」
「そうらしい、ですね。そのうちのもう一角は、北藍駅のあたりです」
「綾街の家の最寄りじゃん」
わたしの家を、覚えていてくれる。うれしい。
……来てくれたばっかりだから、かもだけど。
他愛のない会話ができて、うれしく思えるようなことの起こる、朝日駅までのバス。
乗車時間の二十分は、貴重な時間だ。
せっかくだし一緒に帰るのがいいかなって、思う。
「待ち合わせしなくても、わたしが図書室に寄ると、同じバスですからね」
「当番の時はね~。けど、待ち合わせしてさ、お待たせ待った? みたいなやりとりが、甘酸っぱいんじゃん」
「ふふっ。先パイ、わたしとの間に、甘酸っぱさを求めてるんですか?」
おかしな先パイだ。
「生意気なことを言うなら、カーディガンを剥ぐけど?」
「あ、そうですね。でも、ちょっと汗をかいてしまったので、今返すのは恥ずかしいです」
「慌てて返さなくていいって。家まで寒いでしょ」
「わたしの匂いでも嗅ぐんじゃないんですか?」
「綾街じゃないんだから」
う、と言葉に詰まったのを、先パイは見逃してくれなかった。
「マジ? 匂ってるの?」
「……知りません。香ってくるのは、嗅いでいることになるんですか」
「いや、その、どっちだろ……」
無言のわたしたちの間を、風が駆け抜けた。
ポプラの木の葉が、何か話しなさいと言っているみたいだった。
「……明治の頃の、ポプラは」
「ん?」
「当時の樹は全部入れ替わってしまっているでしょうけど。卒業生の記念植樹という伝統が生まれた頃には、寿命が来たポプラを伐採して、色々と再利用していたらしいですね」
「ああ、その話ね」
先パイも頷く。
ピンクのレンズをくいと押し上げて、
「大変だったらしいね、この辺りの開拓も」
「ええ。たくさんの命が失われたと」
「ユリギノさんが、守り神として祀られるわけだわ」
ざわ、と木の葉が騒いだ。
「女神様として、見守って頂いているんでしょうけど。先パイ、ちゃんと真面目に過ごしていますか?」
「こう見えてね、最近は真面目にやってるんだよ。英文科ではそこそこの成績取れてるし。図書委員もやって内申点稼いでるし」
「だけど、あんまり熱心に仕事しているところ、見たことはありませんよ」
なんてね。嘘だけど。
わたしに絡んで来る前に、一生懸命に書類仕事をこなしたり、書架の整理をしているのを、見かけるから。
本当に暇になってから、わたしのところに来てくれているから。
わたしの読書時間を確保してくれているのかと思ったけど、どうやら違うみたいで。
「今日は綾街と、あんまり目が合わなかったな」
「そうですね。壮大な国盗りが始まったところで、目が離せなくなって」
「へえ。どんな感じの話なの?」
「天下を三分する、壮大な計画が始まったところです」
何のことだか分からないだろうに、先パイは「ふうん」とひとつ、興味深げに頷いた。
「夏休みの間に、私も読んでみようかなあ……」
「わたしが読んでいる吉川版は、字が多いですよ?」
「そもそも誰かが漫画にしてるでしょ? ゲームもあるみたいだし」
ゲームがあるのかは、しらないけれども。
「そうですね」
頷きをひとつ。
先パイは、わたしの言葉を、待ってくれる。
「わたしの通っていた小学校には、コミックスがありました。初めて読んだのは、それです」
「話を知ってるのに小説を読んでるってこと?」
「ええ。やはり解釈が作者によって全然違って――」
他愛のない話。
推し話とでもいうのかな。
壮大な大河ロマンを前にすると、ちっぽけなわたしが英雄になれたように感じられるし、名探偵にだってなれる。繊細な世界に触れることもできる。
だから、本は好き。
「バスの時間ですね、先パイ。そろそろ行きましょう」
「そうだね。話は、バスでもできるし」
「乗り込んでから、何巻まであるか、調べてみてくださいね。それでも挑戦するなら、わたしは応援しますから」
「多そうだなあ」
苦笑する先パイの髪が、揺れた。
いつものシトラスとはちょっと違う、紅茶が混ざったみたいな香り。
ああ、落ち着くな。
先パイの声。
まなざし。
香り。
「綾街?」
そういえば先パイって、わたしのことをいつから、「綾街」と、呼び捨てで呼ぶようになったんだっけ。
「いえ。他愛のない、ことです」
「ふうん。ま、話したくなったら、話しなよ」
適当に突き放してくれるくせに、遠くには行かせてくれない先パイが、居心地の良さになっていて。
好きだなあって、思った。
あ、うん。好きっていうのは、その、この関係が、だよ。
/◆◆◆
鎮守の森。
その小さなお社はユリギノ女学院の側にあり、時折神に縋りたい生徒が訪れる。
親しみを込めてユリギノさんと呼ばれる女神は、ふうむと唸る。
「加減が難しいのう。前回の報告書は、ウカ様には好評だったようじゃが」
前をしっかり向いて、歩いて行くショートカット。
そんな上背のある少女に、細めた瞳を向けるロングヘア。
風を吹かせると、小豆と千歳緑のチェック柄が、ふわっと舞う。
互いに、笑い合う。
「しかし、随分と距離が近いの……? むっ、カーディガンを返していないとな?」
何があったのやらと吐息しながら、ふたりの少女を見比べて、その手にはペンとメモ帳。
奪われたのは視線か、心か。
「ふむ。報告書を認めるとしようかの」
小豆色のロングスカートを翻した女神は、社の屋根から、じゃれ合いながら歩くふたつの影を見送った。
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