事案第五号「クリーニング」(3)
先パイが肩を落とすのは、わたしの生演奏が聴けないから、ということだった。
「言ってませんでした?」
「聞いてない。っていうか一日空いてたなら言ってよ。朝一番から回ろうよ」
「そんな、クラスのお友達とか、付き合ってるわけでもないですから」
「クラスや学年が違ったって、私らは友達じゃん」
そうなのかな?
確かに、学年も、学科も違う。わたしは帰宅部で先パイは図書委員。
「接点もないのに、どうしてこんなに、仲良くしてくれるんでしょう」
思えば、この関係に、どんな名前が付くのかだなんて考えたことがなかった。
先輩後輩。
友達。
趣味仲間。
どれもちがう。
友情最強の四文字を超えた、不思議な何か。
「綾街への一目惚れだよ」
アンダーリムの奥で、妙に強く光る淡い茶の瞳。
緩まない頬。
ふわっと香る、シトラス。
「じゃあ、両想いかもしれませんね。わたしも先パイのことを、はじめは好ましく思っていたので」
先パイの目が輝いた。
けれども一息の後。
「距離感ゼロパーソナルスペース侵害ガールだと思ってなかったから、今はどうかなー」
がっくりと、先パイはずっこけた。
「なんだよ……じゃあ今は好ましくないって?」
「ふふっ。でも、そんな先パイだから、救われていますよ」
ひとりじゃないと感じられるのは先パイだけだから。
「だから、一個だけ。願いを叶えてあげましょう」
尊大に言ってやる。
すると先パイは。
「その権利使ってさ、昨日からずっと気になってること、解消させて」
「はい。なんでしょう」
「ブラの洗い方講座を、今日の放課後に開催する」
「……はぁ」
なんだそりゃ?
◆
どうやら先パイは、ブラジャーのゴムが熱に弱いとか、干し方も気をつけないと肩紐が伸びちゃうとか、そういうことを気にしていたらしい。
学校最寄りのバス停から二十分。
JR乗り換えて五駅。
そこから徒歩十五分。
一時間近くの帰り道。
ずっと、心配しきりだった。
いや、途中で劇伴のピアノが良かったよとか言ってくれてるけど。
「とにかく、大事にしないとさ。高校生が買うには高いんだから」
妙に家庭的だ。
「どうして気になるんですか。わたしの洗濯事情とか、下着のことまで」
「綾街を見てると、危なっかしくて。隙が多すぎる。綺麗な顔で、華奢な身体で、自分に無頓着で」
「ほめ言葉ですか?」
「全肯定」
真顔で言われると照れくさいけど、先パイはとにかく
「わたしのことが大好きだから、気になっちゃうんだ?」
こうやってからかうとすぐ真っ赤になる。
はずなのに。
「文化祭の熱のせいか、わかんないけど。素直にそうだって言っちゃいそうだよ、綾街」
……それって、素直に言ってるんじゃないですか、先パイ。
その好きが、どんな好きなのかの答え合わせもいらないくらいの。
無言。
残りの徒歩五分が、遠い。
「文化祭なのに、デートらしくしないのが、わたしたちらしいんでしょうか」
無言が怖いから、適当なことを言ってみる。
先輩は「デート」と口の中で反芻をして、
「そうなのかもね」
そういって、笑った。
家の前に着くと、違和感があった。
父さんの車が置いてあって、リビングに明かりが点っている。……そうだ、土曜日だった。
「どうかした?」
「いえ。父が家にいるのを、すっかり忘れていました」
「えっ。おうちの人いるのに、いきなり来ちゃった。手土産もなく。どうしよう」
「別に、構う人なんていませんよ」
「私が気にするんだよなあ」
ドアを開けて、先パイを誘導する。
遠慮がちに上がり込むのを見て、借りてきた猫ってこういう状態を言うんだろうなって感じで、ちょっと面白い。
「ただいま」
リビングに入り、声を掛ける。父さんが、こっちを振り向くと――冷や汗をかきながらリビングをのぞき込んだ先パイと、ビール缶をぷしゅっとやりたての父さんが、見つめ合った。
恋でも始まるような永遠の一瞬を経て。
「お、おわあ! いらっしゃいませ!」
「おじゃましますっ! 綾街さんにはいつもお世話になってて!」
慌てふためくふたりの間に立って、「これが父です。父さん、こちらがいつも話してる、しらせ先パイ」と紹介をする。そうしないと、お互いわたわたとしっぱなしになりそうだったから。
「それじゃ、先パイ。わたしの部屋に行きましょう?」
「お、おい。一香。お茶とか、ご飯はどうするんだ」
確かにそうだ。父さんは勝手に買ってきたチーズとビールで晩酌を始めているけど。先パイはおなかが空いているかもしれない。
「何か簡単に、作りましょうか?」
「いや、大丈夫だよ。ありがと、綾街」
そう言って微笑む表情はどこかぎこちなくて、知らないおじさんがいたら仕方がないのかもしれない。
だから。
「父さん。女同士の大事な用事だから、部屋を覗こうだなんて思わないでよね」
強く言い含めて、先パイの背を押す。
部屋に押し込めて。
「ふう。変な父で、ごめんなさい」
「いやいや、休日のリラックスタイムに急に押しかけたんだしさ。配慮すべきだった」
「そんなことないと思いますけどね」
言いながら、ブラウスのボタンに手を掛けて、ぷちぷち外し始めると。先パイは「うわあ!」と叫んだ。
「どうかしましたか?」
混乱しっぱなしじゃない?
挙動不審の先パイにそっと寄り添い、顔を覗き込む。
少し汗をかいてるせいか、時間が経っているからか、シトラスの香りは少し弱くなってる。
「先パイ?」
「あのね、綾街。急に、脱ぐんじゃないの!」
……それもそうだった。
先パイには後ろを向いてもらって、ブラウスを脱ぐ。その下に着っぱなしだったビビッドオレンジなクラスTシャツも脱ぐ。そうすると、赤い、先パイとお揃いの一枚が姿を見せる。
ホックを後ろ手に外すのも、慣れてきた。
カップ部分はほぼ平らで、パッドで膨らむその一枚は……
「先パイ。わたしの胸って、ほとんどこのパッドで出来てますよね」
先パイに手渡すと、また「うわあ!」と叫んだ。
「騒々しいですね」
「まず! 胸を隠しなさい! あと、生暖かいままのを渡さない!」
「? 先パイ、スーパー銭湯とか行かないタイプですか?」
わたしは、結構行く。サウナは嫌いだけど、手足を伸ばせるお風呂は、とても心地よいから。
「開けっぴろげすぎておねーさん心配だよぉ……」
「でも、洗い方を教えてくださるんですよね。外さないで、どうやって洗います?」
正論を伝えると。先パイはぐうの音も出ないようだった。
「ぐう」
いや、ぐうの音だけは出ていた。
適当に畳んであったTシャツを着たわたしは先パイを洗面所に案内して、我が家の洗剤や洗濯道具をお披露目した。
「私もあんまり詳しいわけじゃないけど、必要そうなものはあらかた揃ってるかな……あ、でも、ブラ用のネットが、大分くたびれてるねえ」
「そういえば、ネットって使ったことないですね」
「マジ?」
「はい。入れた方がいいんですか?」
先パイは難しそうな顔をして、アンダーリムの眼鏡をくいっとあげた。
「ブラはハーフトップのを洗う時は、これに入れよう。あれは消耗品だと割り切って、カップの形を整えて、この中に入れる。おしゃれ着洗いモードとかあるよね?」
急な早口。家庭的な話をしているときの先パイは、なんだか饒舌だ。いつもうるさいけど。
「言ってる意味はわかるんですけど、形を整えることを気にするような形状ですか?」
「答えにくいな……綾街の胸が、これからもうちょっと大きくなるのか、そのままなのか、私にはわからないけどさ、ブラを洗うっていうのはそういうものだと思って、覚えといて。綾街が使ってなくても、ブラ用があるってことは、お母さんのかな?」
「そうかも知れませんね。普段、使わないので、わかりませんけど」
母の話題はすっと流すに限る。
「さ、先パイ。教えてくださいね」
にこりと微笑むと、先パイはわたしのブラジャーをふらふらと揺らしながら、小さく頷いた。
◆
「もっと、ゆっくりしてって、言えたら良かったんですけど。父さんがお酒飲んじゃってるから、ごめんなさい」
下着洗い講座を終えた先パイは、すぐに帰ると言って聞かなかった。
夕食だって作るよと言ったのに。
「もう、夜も遅くなるしさ」
駅まで送る道すがら、わたしは先パイの隣を、とぼとぼ歩く。
「下着一枚洗えない、なんて。ちょっとショックです。家事全般を叩き込まれたっていう自信はあったんですけど……」
「仕方がないんじゃない? 私だって、パパのと一緒に洗濯しないでって言って、ママから折檻されながら洗濯を覚えたんだし」
「折檻……っ」
「言葉のあやだよ」
苦笑する先パイが、心配になっちゃったから。
だから、どこにも逃げられないようにって、袖を摘まんだ。
「繰り返し言うけど、針金ハンガーにひっかけて、浴室乾燥機の吹き出し口のところに干すのはやめるんだよ。生地やゴムが痛んじゃうから」
「はい。揉み洗い、ですもんね?」
「揉むのすら、ちょっと控えた方が良いよ」
母が家にいたころは、わたしもまだ発育が良くなくて、必要がなかった下着。
お洗濯するのにも、母の下着は洗ったことがなかった。
今にして思えば、母もわたしに仕込む順番を考えてはいたのだろうけど、テレビの有名人になってしまったことで計画が崩れたんだと思う。
そうして、離れて暮らすうちに中学校に上がり、父さんが買ってきてくれたスポーツブラでデビューして、高校生になるときに手にしたサイズ外れの大人用。それも適当に洗濯していた、というわけ。
「先パイのおかげで、いかにわたしは自分に無頓着だったかわかりました」
なんだか、ここ最近の――被服にまつわる諸々について、据わりの悪い気持ちが整理されたような気がする。
「ん。気付いてくれてうれしいよ」
そう言って笑う先パイは、いつもよりシトラスの香りが薄いから。
だからわたしは、いつもより一歩、先パイに寄り添ってみる。
「ありがとう、先パイ」
至近距離で見上げる先パイの顔は、青白い街灯に照らされていて。
それなのにわかるくらい染まる頬は、アンダーリムの細いレンズじゃ隠れなくて。
ピンクのレンズじゃないから、チーク効果だなんだという言い訳もできなくて。
「み、見るなよぉ」
目を逸らして、片手でわたしを制する先パイが、妙にかわいらしい。
「ふふっ。いつもの仕返しっ」
「この、綾街め……!」
居心地がいい場所ができたのは、貴女のおかげだから。
パーソナルスペースが狭いのは、許してあげます。
面白い、続きが気になる! と思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると、大きな励みになります!




