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事案第五号「クリーニング」(3)

 先パイが肩を落とすのは、わたしの生演奏が聴けないから、ということだった。

「言ってませんでした?」

「聞いてない。っていうか一日空いてたなら言ってよ。朝一番から回ろうよ」

「そんな、クラスのお友達とか、付き合ってるわけでもないですから」

「クラスや学年が違ったって、私らは友達じゃん」


 そうなのかな?

 確かに、学年も、学科も違う。わたしは帰宅部で先パイは図書委員。

「接点もないのに、どうしてこんなに、仲良くしてくれるんでしょう」

 思えば、この関係に、どんな名前が付くのかだなんて考えたことがなかった。


 先輩後輩。

 友達。

 趣味仲間。


 どれもちがう。


 友情最強の四文字を超えた、不思議な何か。

「綾街への一目惚れだよ」

 アンダーリムの奥で、妙に強く光る淡い茶の瞳。

 緩まない頬。

 ふわっと香る、シトラス。


「じゃあ、両想いかもしれませんね。わたしも先パイのことを、はじめは好ましく思っていたので」

 先パイの目が輝いた。

 けれども一息の後。

「距離感ゼロパーソナルスペース侵害ガールだと思ってなかったから、今はどうかなー」


 がっくりと、先パイはずっこけた。

「なんだよ……じゃあ今は好ましくないって?」

「ふふっ。でも、そんな先パイだから、救われていますよ」


 ひとりじゃないと感じられるのは先パイだけだから。


「だから、一個だけ。願いを叶えてあげましょう」

 尊大に言ってやる。

 すると先パイは。


「その権利使ってさ、昨日からずっと気になってること、解消させて」

「はい。なんでしょう」


「ブラの洗い方講座を、今日の放課後に開催する」


「……はぁ」

 なんだそりゃ?



 どうやら先パイは、ブラジャーのゴムが熱に弱いとか、干し方も気をつけないと肩紐が伸びちゃうとか、そういうことを気にしていたらしい。


 学校最寄りのバス停から二十分。

 JR乗り換えて五駅。

 そこから徒歩十五分。

 一時間近くの帰り道。

 ずっと、心配しきりだった。


 いや、途中で劇伴のピアノが良かったよとか言ってくれてるけど。

「とにかく、大事にしないとさ。高校生が買うには高いんだから」

 妙に家庭的だ。


「どうして気になるんですか。わたしの洗濯事情とか、下着のことまで」

「綾街を見てると、危なっかしくて。隙が多すぎる。綺麗な顔で、華奢な身体で、自分に無頓着で」

「ほめ言葉ですか?」

「全肯定」


 真顔で言われると照れくさいけど、先パイはとにかく

「わたしのことが大好きだから、気になっちゃうんだ?」

 こうやってからかうとすぐ真っ赤になる。


 はずなのに。

「文化祭の熱のせいか、わかんないけど。素直にそうだって言っちゃいそうだよ、綾街」

 ……それって、素直に言ってるんじゃないですか、先パイ。

 その好きが、どんな好きなのかの答え合わせもいらないくらいの。


 無言。

 残りの徒歩五分が、遠い。


「文化祭なのに、デートらしくしないのが、わたしたちらしいんでしょうか」

 無言が怖いから、適当なことを言ってみる。

 先輩は「デート」と口の中で反芻をして、

「そうなのかもね」

 そういって、笑った。


 家の前に着くと、違和感があった。

 父さんの車が置いてあって、リビングに明かりが点っている。……そうだ、土曜日だった。


「どうかした?」

「いえ。父が家にいるのを、すっかり忘れていました」

「えっ。おうちの人いるのに、いきなり来ちゃった。手土産もなく。どうしよう」

「別に、構う人なんていませんよ」

「私が気にするんだよなあ」


 ドアを開けて、先パイを誘導する。

 遠慮がちに上がり込むのを見て、借りてきた猫ってこういう状態を言うんだろうなって感じで、ちょっと面白い。

「ただいま」

 リビングに入り、声を掛ける。父さんが、こっちを振り向くと――冷や汗をかきながらリビングをのぞき込んだ先パイと、ビール缶をぷしゅっとやりたての父さんが、見つめ合った。


 恋でも始まるような永遠の一瞬を経て。


「お、おわあ! いらっしゃいませ!」

「おじゃましますっ! 綾街さんにはいつもお世話になってて!」

 慌てふためくふたりの間に立って、「これが父です。父さん、こちらがいつも話してる、しらせ先パイ」と紹介をする。そうしないと、お互いわたわたとしっぱなしになりそうだったから。


「それじゃ、先パイ。わたしの部屋に行きましょう?」

「お、おい。一香。お茶とか、ご飯はどうするんだ」

 確かにそうだ。父さんは勝手に買ってきたチーズとビールで晩酌を始めているけど。先パイはおなかが空いているかもしれない。


「何か簡単に、作りましょうか?」

「いや、大丈夫だよ。ありがと、綾街」

 そう言って微笑む表情はどこかぎこちなくて、知らないおじさんがいたら仕方がないのかもしれない。

 だから。

「父さん。女同士の大事な用事だから、部屋を覗こうだなんて思わないでよね」

 強く言い含めて、先パイの背を押す。


 部屋に押し込めて。

「ふう。変な父で、ごめんなさい」

「いやいや、休日のリラックスタイムに急に押しかけたんだしさ。配慮すべきだった」

「そんなことないと思いますけどね」

 言いながら、ブラウスのボタンに手を掛けて、ぷちぷち外し始めると。先パイは「うわあ!」と叫んだ。


「どうかしましたか?」

 混乱しっぱなしじゃない?

 挙動不審の先パイにそっと寄り添い、顔を覗き込む。

 少し汗をかいてるせいか、時間が経っているからか、シトラスの香りは少し弱くなってる。


「先パイ?」

「あのね、綾街。急に、脱ぐんじゃないの!」


 ……それもそうだった。


 先パイには後ろを向いてもらって、ブラウスを脱ぐ。その下に着っぱなしだったビビッドオレンジなクラスTシャツも脱ぐ。そうすると、赤い、先パイとお揃いの一枚が姿を見せる。

 ホックを後ろ手に外すのも、慣れてきた。

 カップ部分はほぼ平らで、パッドで膨らむその一枚は……

「先パイ。わたしの胸って、ほとんどこのパッドで出来てますよね」

 先パイに手渡すと、また「うわあ!」と叫んだ。


「騒々しいですね」

「まず! 胸を隠しなさい! あと、生暖かいままのを渡さない!」

「? 先パイ、スーパー銭湯とか行かないタイプですか?」

 わたしは、結構行く。サウナは嫌いだけど、手足を伸ばせるお風呂は、とても心地よいから。


「開けっぴろげすぎておねーさん心配だよぉ……」

「でも、洗い方を教えてくださるんですよね。外さないで、どうやって洗います?」

 正論を伝えると。先パイはぐうの音も出ないようだった。

「ぐう」

 いや、ぐうの音だけは出ていた。


 適当に畳んであったTシャツを着たわたしは先パイを洗面所に案内して、我が家の洗剤や洗濯道具をお披露目した。

「私もあんまり詳しいわけじゃないけど、必要そうなものはあらかた揃ってるかな……あ、でも、ブラ用のネットが、大分くたびれてるねえ」

「そういえば、ネットって使ったことないですね」

「マジ?」

「はい。入れた方がいいんですか?」


 先パイは難しそうな顔をして、アンダーリムの眼鏡をくいっとあげた。

「ブラはハーフトップのを洗う時は、これに入れよう。あれは消耗品だと割り切って、カップの形を整えて、この中に入れる。おしゃれ着洗いモードとかあるよね?」


 急な早口。家庭的な話をしているときの先パイは、なんだか饒舌だ。いつもうるさいけど。

「言ってる意味はわかるんですけど、形を整えることを気にするような形状ですか?」

「答えにくいな……綾街の胸が、これからもうちょっと大きくなるのか、そのままなのか、私にはわからないけどさ、ブラを洗うっていうのはそういうものだと思って、覚えといて。綾街が使ってなくても、ブラ用があるってことは、お母さんのかな?」

「そうかも知れませんね。普段、使わないので、わかりませんけど」

 母の話題はすっと流すに限る。


「さ、先パイ。教えてくださいね」

 にこりと微笑むと、先パイはわたしのブラジャーをふらふらと揺らしながら、小さく頷いた。



「もっと、ゆっくりしてって、言えたら良かったんですけど。父さんがお酒飲んじゃってるから、ごめんなさい」

 下着洗い講座を終えた先パイは、すぐに帰ると言って聞かなかった。

 夕食だって作るよと言ったのに。


「もう、夜も遅くなるしさ」

 駅まで送る道すがら、わたしは先パイの隣を、とぼとぼ歩く。


「下着一枚洗えない、なんて。ちょっとショックです。家事全般を叩き込まれたっていう自信はあったんですけど……」

「仕方がないんじゃない? 私だって、パパのと一緒に洗濯しないでって言って、ママから折檻されながら洗濯を覚えたんだし」

「折檻……っ」

「言葉のあやだよ」


 苦笑する先パイが、心配になっちゃったから。

 だから、どこにも逃げられないようにって、袖を摘まんだ。


「繰り返し言うけど、針金ハンガーにひっかけて、浴室乾燥機の吹き出し口のところに干すのはやめるんだよ。生地やゴムが痛んじゃうから」

「はい。揉み洗い、ですもんね?」

「揉むのすら、ちょっと控えた方が良いよ」


 母が家にいたころは、わたしもまだ発育が良くなくて、必要がなかった下着。

 お洗濯するのにも、母の下着は洗ったことがなかった。

 今にして思えば、母もわたしに仕込む順番を考えてはいたのだろうけど、テレビの有名人になってしまったことで計画が崩れたんだと思う。


 そうして、離れて暮らすうちに中学校に上がり、父さんが買ってきてくれたスポーツブラでデビューして、高校生になるときに手にしたサイズ外れの大人用。それも適当に洗濯していた、というわけ。


「先パイのおかげで、いかにわたしは自分に無頓着だったかわかりました」

 なんだか、ここ最近の――被服にまつわる諸々について、据わりの悪い気持ちが整理されたような気がする。

「ん。気付いてくれてうれしいよ」

 そう言って笑う先パイは、いつもよりシトラスの香りが薄いから。


 だからわたしは、いつもより一歩、先パイに寄り添ってみる。

「ありがとう、先パイ」

 至近距離で見上げる先パイの顔は、青白い街灯に照らされていて。


 それなのにわかるくらい染まる頬は、アンダーリムの細いレンズじゃ隠れなくて。

 ピンクのレンズじゃないから、チーク効果だなんだという言い訳もできなくて。


「み、見るなよぉ」

 目を逸らして、片手でわたしを制する先パイが、妙にかわいらしい。


「ふふっ。いつもの仕返しっ」

「この、綾街め……!」


 居心地がいい場所ができたのは、貴女のおかげだから。


 パーソナルスペースが狭いのは、許してあげます。


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