湊がルナを忘れ、ルナの世界が終わる。
音が、消えていた。 崩れた部屋の中。白峰ルナは、動けずにいた。
「……うそ……でしょ……」
目の前の光景が、理解できない。
神代湊の体から、黒い“何か”が溢れ出している。
煙のようで、液体のようで、影のようでもあるそれが、
床を這い、壁を侵食し、空間そのものを歪ませていた。
――さっきまで、人だったはずなのに。それは、変な感覚だった。
「……湊……?」
呼びかける。だが、返事はない。ゆっくりと、湊が立ち上がる。
顔は見える。姿も変わっていない。なのに、“中身が違う”。
そうとしか思えなかった。
「……いい兆候だ」
感情のない声が響く。“空白”は、その様子を静かに見ていた。
「崩れかけている。完全に近づいている証だ」
その言葉と同時に、空白が一歩踏み出す。―消える。次の瞬間、湊の背後にいた。
速すぎる。だが、ギィン、と空間が軋む音が、空白の手が、止まっている。
湊の背後で、黒が“壁”のように展開していた。そう何か物々しいものが
「……反応したか」
興味の色が、わずかに強くなる。その瞬間。湊の腕が、ゆっくりと動いた。
振り向かない。ただ、手を軽く振る。それだけで―黒が、刃のように変形した。
空気を裂き、空白へと襲いかかる。速い。さっきまでとは比べ物にならない。
だが空白は避けない。受ける。そして、黒が、触れた。―消えない。だが、今度は違う。
わずかに、削れている。ほんの一瞬。ほんのわずか。
それでも確かに、“空白”の体が削れた。それが自分達がやったことだと思う。
「……ほう」
初めて、明確な変化があった。興味、いや、それに近い何か。
「ようやく、触れたか」
その瞬間、空白の気配が一段階跳ね上がる。空間が、歪む。
見えない“圧”が、押し潰すように広がる。ルナの膝が崩れた。
「っ……!」
息ができない。恐怖が、押し寄せる。だが。
その圧を、真正面から受けているはずの湊はー動じない。いや。
感じていない。もう、恐怖すら。それを怖く感じていない様子だった。
「それが、お前の本質か」
空白の手が上がる空間ごと“削り取る”ような一撃が放たれた。
直撃すれば、存在ごと消える。だが―黒が、応じる。
爆発的に膨れ上がり、真正面からぶつかる。衝突。
音が消える。光も、影も、何もかもが混ざり合い――
世界が、歪む。
「……っ、あーーーー」
ルナが叫ぶ。それは恐怖の声なのだ。耐えられない。
だが目を逸らせない。湊が、そこにいる。
崩れそうになりながら、踏みとどまっている。その瞬間。
湊の瞳が、わずかに揺れた。黒の奥で、ほんの一瞬。
“何か”が戻る。―守らなきゃ。それが、最後に残った感情だった。
次の瞬間。黒が、収束する。一点に、圧縮され、凝縮され―
槍のような形を取る。そして、放たれた。一直線に、空白へ。回避不能
初めて、空白が“避けた”だが。完全には避けきれない。黒の槍が、その体を貫いた。
音は、ない。ただ、空白の一部が、確かに“消えた”。
「……興味深い」
それでも声は、変わらない。だが。その体は、わずかに揺らいでいた
「今は、ここまでにしておこう」
ゆっくりと、後ろへ下がる。
空間が歪み、姿が薄れていく。
「完全になる前に、壊れるか」
最後に、そう言い残して消えた。静寂。完全な、静けさ。
その直後湊の体から、黒が一気に引いた。
「……っ」
力が抜ける。そのまま、崩れ落ちた。
「湊!!」
ルナが駆け寄る。体を抱き起こす。温かい。
生きている。だが。疲れ果ててしまいました。
「……ねえ……」
震える声で、呼びかける。
「私、わかる……?」
沈黙が少しあった。しかし、大丈夫そうだ。湊の目が、ゆっくりと開く
そして。ルナを見る。その瞳には―何も、なかった。
「……誰だ」
その一言で。終わってしまった。分からない様子。
ルナの世界が、音を立てて崩れた。




