第24話 記録庫の棚に、十二冊
通詞ギルドの支部は、王都の南の通りにあった。
ギルドといっても看板があるわけではない。石造りの二階建てで、一階が事務所、二階が記録庫になっている。この国で公文の書写を請け負う者は、全員ここに登録している。
ヴァンサン卿が付いてきた。
「殿下おひとりで行かせるわけには参りません」
「危ない場所ではございませんよ」
「先日の宿の広間も、危ない場所ではございませんでした」
この人は、そういう言い方をする。
事務所の書記は若い男で、王女が来たことに慌てていた。
「登録の閲覧を願います。ヴェルネ支部に登録のある通詞のうち、他国へ派遣された者の記録を」
「派遣、でございますか」
「はい。この十五年ぶんで」
書記は二階へ上がって、しばらくして戻ってきた。
「ヴェルネ支部から他国へ出た者は、十五年で三名でございます」
「三名」
「はい。うち二名は商会付きで、一名は使節の随行でございます」
少ない、と思った。十五年で三名なら、通詞が国を出るのは珍しい部類の話である。
ということは、逆はどうか。
「では、他国からこの国へ来た通詞は」
「それは……こちらでは扱っておりません。他国の通詞は、その国のギルドの登録でございますので」
「ヴェルネにいる他国籍の通詞を、ギルドは把握していないと」
「把握しておりません。派遣元の国が持っております」
わたくしは、そこで少し黙った。
つまり、こういうことになる。ある国の通詞が別の国へ送られたとき、その記録は送った側の国にしか残らない。受け入れた側は、人事の紙が一枚あるだけだ。十三年前のわたくしの教師と同じである。
「書記殿。リヴァンヌのギルドとは、やりとりがございますか」
「年に一度、名簿の写しを交換いたします」
「その写しは」
「二階にございます。ただ、閲覧は登録者に限られておりまして」
「規約でございますか」
「はい。こちらに」
書記が綴じを出した。リヴァンヌ語の原文に、ヴェルネ語の訳が並べて刷ってある。わたくしは訳の側を読み、それから原文を読んだ。
「書記殿。この条でございますが」
「はい」
「訳では『支部は、他国支部と名簿を交換することができる』となっております。原文は『交換しなければならない』でございます」
若い書記が身を乗り出した。
「……できる、と、しなければならない」
「はい。リヴァンヌ語のこの形は義務でございます。許可の形は語尾が別で、ここには使われておりません」
「ですが、うちは年に一度しか」
「年に一度でよろしいのです。数の話ではございません」
わたくしは綴じを指で押さえた。
「義務であれば、届いた写しは支部の保管物でございます。保管物であれば、閲覧を求める側に理由は要りません。断るには、そちらの規約で断る根拠を示していただくことになります」
書記はしばらく綴じを見ていた。それから、鍵を取りに立った。
「……お上がりください」
階段は急で、幅が狭かった。書物を運ぶために作られていない。あとから記録庫にした部屋なのだろう。
わたくしは二階へ上がった。
記録庫は狭かった。棚が四つ、天井まで。リヴァンヌから来た名簿の写しは、いちばん奥の棚に年ごとに並んでいる。
わたくしは今年の分を取った。リヴァンヌ通詞ギルドの登録名簿である。名前と、登録年と、所属先が並んでいる。最後の頁に、別の一覧があった。
表題は「派遣中」。十二行、並んでいた。名前と、派遣先の国名と、派遣年。
派遣先は、十二とも違う国だった。ヴェルネ、コーデル、アルセア、南のいくつかの都市国家。名前だけ聞いたことのある国もある。
重なりが一つもないというのが、まず妙だった。人を送るなら、行き先は偏る。近い国、縁の深い国、商いの多い国へ多く出るのが自然である。十二人が十二の国へ一人ずつというのは、配ったのではなく割り当てたという形をしている。
ヴェルネの行に目を落とした。派遣年は十三年前。名前は、知らない者だった。派遣年は、いちばん古いのが十六年前で、いちばん新しいのが去年だ。そして、いちばん上の行が空いていた。
名前の欄も、派遣先の欄も、線だけ引いてあって何も書いていない。
わたくしは、その空欄を指でなぞった。紙は薄く、罫線だけがきちんと引かれている。書き忘れた欄の紙は、たいてい少し汚れる。書こうとして戻った指の跡が残るからだ。この欄には、その跡がない。
「殿下」
ヴァンサン卿が下から上がってきた。
「何かございましたか」
「十二行ございます」
「はい」
「一行目が、空でございます」
この人は名簿を覗き込んだ。読めないのは分かっている。それでも、線と空欄の位置は見える。
「消したのではございませんね」
「消した跡はございません。最初から書いていないのだと思います」
「書き忘れでしょうか」
「名簿を作る人が、一行目を書き忘れることはございません」
わたくしは名簿を閉じた。十二人が、十二の国に散っている。その一覧の先頭に、空けてある一行がある。
空けてあるということは、そこに入る者がいたか、いることになっているか、いずれ入るということだ。
「書記殿」
わたくしは階下へ声をかけた。
「この名簿の写しは、いつ届きましたか」
「今年の春でございます」
「去年の分も拝見できますか」
去年の分にも、同じ一覧があった。十二行あって、一行目が空いていた。一昨年も、その前も、同じだった。
十六年前の最初の一枚まで遡っても、一行目は空いている。
わたくしは十六冊を卓に積んだ。
十六年ぶん同じ形の空欄を作り続けるというのは、うっかりではない。名簿は毎年作り直されている。作り直すたびに一行目を空けて、二行目から書き始めている。
「殿下。何かお分かりに」
「まだ何も」
実際、何も分かっていない。分かったのは形だけである。形だけでは何にもならない。
それでも、わたくしはこの空欄をどこかで見た気がしていた。
書き出しの前に一行空ける形。手本を書かずに、白い紙を先に置く形。
窓のない部屋の机の上に、紙が二枚並べてあった。左に文字が書いてあり、右が白かった。
「書記殿。この十六冊、お借りできますか」
階下から、若い書記の困った声が返ってきた。
【通詞の覚え】名簿の空欄には二種類ございます。まだ埋まっていない欄と、埋めないと決めてある欄。見分けるには、何年ぶんか並べるよりほかにありません。
空欄が十六年ぶん同じ位置にある、というのが、この話の出発点でした。
次話――十六年ぶんの名簿を借りて帰りました。読み比べているうちに、術の正体が分かりました。




