↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魅了に囚われた婚約者を置いて、王女のわたくしは護衛騎士と祖国へ戻ります  作者: 九条かなで


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/30

第18話 求婚は、訳さずにお断りいたします

 三日目の交渉は、午前で終わった。


 残りの議題は書面のやりとりで足りる、というのが双方の見解である。使節の滞在はあと七日あるが、実質はこれで済んだ。


 残った日数を、使節はどう使うのか。侍従長はしきりに気にしていた。用が済んだのに七日いるというのは、外交では何かの合図になる。


 わたくしは、合図ではないと思っていた。この方は帰る理由を作れないだけだ。詫びに来て、迎えに来て、その両方の返事をもらっていない。もらわずに帰れば、行った意味がなくなる。


 午後、中庭で殿下に呼び止められた。


 わざとらしくない。廊下から庭へ出たところに立っておられて、通りかかったこちらを待っていた形になる。用意はされているが、押しつけてはいない。この方はそういう間合いが上手い。


「シャルロット」


「殿下」


「昨日の答えを、まだ聞いていない」


 わたくしは足を止めた。


「通詞としてお招きくださるという件でございましょうか」


「それもある」


 殿下は、庭の石の縁に手を置かれた。


「もうひとつは、私の妻としてだ」


 風が吹いて、庭の木が鳴った。


「殿下。婚約は解かれております」


「解いたのは魅了にかかった私だ。解き直す権利はある」


「解き直す、というお言葉は、リヴァンヌ語にはございません」


 殿下が眉を寄せられた。


「なんの話だ」


「ヴェルネ語には『やり直す』という言い方がございます。リヴァンヌ語にも似た形はありますが、あれは工事や書き物に使うもので、人と人の関係には使いません。あちらでは、一度終わったものは終わったものとして数えます」


「言葉の話をしているのではない」


「わたくしは言葉の話しかできません」


 殿下は、しばらくこちらをご覧になっていた。


「……君は、私を許さないつもりか」


 その問いに、わたくしは少し考えた。考えたのは答えではなく、答え方である。


「殿下。許す、許さないという話を、わたくしはもう考えておりません」


「なぜだ」


「考えるのをやめたからでございます」


 わたくしは石の縁から二歩離れた。


「三年、わたくしは殿下のことを考えておりました。何を仰りたいのか、どこまでが本心か、どこからが魅了か。帰りの道中も、帰ってからも考えました。境目が分かれば恨む相手が決まる、決まれば楽になると思っておりましたので」


 殿下は何も言われなかった。


「境目は、先日の広間で見えました。見えたところで、楽にはなりませんでした」


「では、」


「ですから、やめました」


 わたくしは殿下を見た。


「殿下が何者であるかは、殿下のお仕事でございます。わたくしの仕事ではございません。わたくしの仕事は、この城の執務棟で、月に四十枚の文書を読むことでございます」


 殿下の顔が、わずかに動いた。怒りではなかった。怒られた方が、たぶん、この方には楽だったのだろう。


「四十枚の文書」


「はい」


「王女がやることか」


「王女には、いま他にやることがございませんので」


 これは嫌味ではない。事実である。


「シャルロット。君はリヴァンヌで三年を無駄にした。ここでもう三年、書記の隣で紙を読んで、それで何になる」


「何にもならないかもしれません」


 わたくしは頭を下げた。


「けれど、そこはわたくしが決める場所でございます」


 殿下は、それ以上仰らなかった。


 この方の側から見れば、わたくしの返答は筋が通っていない。位も給金も席も用意され、しかも詫びまで受けている。断る理由が見当たらないはずだ。実際、この城の廷臣に聞かせれば、半分は断る方がおかしいと言うだろう。


 筋が通っているかどうかで決めるなら、行った方がよい。わたくしは三年、筋の通る方を選んで暮らしてきた。選び続けた先が、あの謁見の間の壇の下である。


 庭を出るとき、一度だけ振り返った。殿下はまだ石の縁のところに立っておられた。こちらを見てはいなかった。


 その姿を見て、わたくしは自分でも意外なことを思った。この方は、たぶん、本当に迎えに来たのだ。


 魅了が解けて、宮廷の調べが付いて、詫びるべきだと判断して、それで来た。判断は正しい。手順も正しい。ただ、その全部が「自分の落ち度をどう畳むか」という形をしている。


 畳まれる側のことは、最初から入っていない。悪意ではない。悪意なら、まだ話が早かった。


 庭の砂利を踏みながら、わたくしは自分の胸の内を点検していた。惜しいという気持ちが、少しはあるだろうと思っていたからだ。


 無かった。


 無かったことに、わたくしは少し驚いた。三年の輿入れ支度と、三年の宮廷暮らしと、そのぜんぶを合わせても、いま石の縁に残してきたものは何も引っかかってこない。引っかかるものが無いというのは、たぶん、最初から自分の持ち物ではなかったということだろう。


 執務棟へ戻ると、書記が紙を差し出した。


「殿下、この一枚だけ、どうにも」


 受け取って、目を落とした。


 リヴァンヌ側から回ってきた覚書の写しである。関税の条項が並んでいて、その最後に日付があった。


 日付が、合わない。


 この覚書は、今回の交渉で読み合わせたものと同じ内容だ。同じ内容の紙が、三日前の日付で作られている。


 交渉が始まる前に、もう書かれていた。

【通詞の覚え】「やり直す」に当たる語が無い国もございます。無い語は訳せません。訳せないものは、たいてい、その国の人が要らないと決めたものです。


断る場面は、怒鳴らせない方が難しゅうございます。


次話――日付の合わない紙が一枚ございました。同じ内容の書状が、もう一通どこかにあるということでございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。