第11話 「なぜ帰った」と父は聞いた
ヴェルネ王国でございます。三年ぶりの城で、わたくしは自分の部屋の場所を思い出せませんでした。
ヴェルネの王都に入ったのは、国境を越えて四日目の夕方だった。
城門をくぐったとき、迎えは出ていなかった。門番が二人、槍を下げただけである。婚約を解かれて戻った王女に楽隊を出すわけにはいかないのは分かるが、それにしても静かだった。
馬車を降りて、石段を上がる。三年ぶりの石だ。何段あるかは覚えていた。二十七段ある。数えて上がる癖は、たぶん塚を数えたのと同じところから来ている。
謁見の間で、父上がお待ちだった。
ジェラール陛下は、三年前より痩せておられた。髪は白い部分が増えている。それでも背は伸びたままで、玉座の肘掛けに片手を置く形も変わっていない。
「シャルロット」
「ただいま戻りました」
わたくしは膝を折った。
「なぜ帰った」
顔を上げた。
父上はこちらを見ておられた。責める目ではない。責める目なら、まだ楽だった。
「婚約が解かれましたので」
「解かれてから、王宮を出るまでに何日あった」
「四日でございます」
「四日で、何ができた」
わたくしは答えられなかった。
この方が聞きたいのは、そこではないと分かっている。四日で何ができたかではなく、四日で何をしたのかだ。宴で一度、訳し返した。それだけである。
「陛下」
脇に控えていた侍従長が口を挟んだ。
「王女殿下は道中、リヴァンヌの侍女頭に追われております。国境の書付にも細工がございました」
「それは聞いた」
父上は手を上げて、侍従長を下がらせた。
「シャルロット。お前が向こうで何をされたかは、報せで読んでいる。だから聞いているのだ」
「はい」
「三年、向こうにいて、味方は何人できた」
わたくしは、その問いの形に息を呑んだ。
三年、わたくしは言葉を覚え、控えを取り、宮廷の作法を身につけた。誰の言葉も正確に受け取れるようになった。
味方は、一人もできなかった。
「……おりません」
「そうか」
父上はそれ以上、何も仰らなかった。
部屋を出るとき、廊下で人の声がした。曲がり角の向こうで、若い文官が二人話している。ヴェルネ語だ。
――三年で戻されたんだろう。持参金はどうなる。
――返ってこんさ。あれは向こうの取り分だ。
わたくしは足を止めなかった。曲がり角を曲がって、二人の前を通った。二人は口を閉じ、慌てて頭を下げた。
わたくしは頭を下げ返して、そのまま歩いた。
訳す必要のない言葉というものがある。自分の国の言葉で、自分について言われる悪口は、そのまま耳に入る。三年ぶりの感覚だった。リヴァンヌでは、悪口はいつも一枚布を挟んでいた。
布がない方が痛い。
もっとも、あの二人が言ったことは事実である。持参金は戻らない。婚約が解かれた事情がどうであれ、三年ぶんの経費はもう向こうの帳簿に落ちている。文官が廊下でそれを話すのは、仕事の話をしているだけだ。
悪意のない言葉がいちばん正確に刺さる、というのは、この三年で覚えたことのひとつである。悪意のある言葉は形が歪むので、たいてい少し的を外す。
三つ上の姉は、五年前に南の伯爵家へ嫁いでいる。子が二人いると、去年の便りにあった。この城に残っている家族は父上だけで、その父上とは、いま二言だけ交わしたところである。
与えられた部屋は、東の棟の三階だった。三年前まで使っていた部屋は西の棟で、いまは倉庫になっているという。
東の棟は使用人の区画に近い。朝は下働きの足音で目が覚める。三年前のわたくしなら、そのことを侍従長に申し立てただろう。いまは申し立てる筋を思いつかない。婚約を解かれて戻った王女が、部屋の場所について何を言えるというのか。
部屋の前で、小柄な侍女が待っていた。十六か十七だろう。
「王女殿下。ミレイユと申します。本日よりお付きを務めさせていただきます」
この娘は、そう言ってから、続けて何か言った。
リヴァンヌ語だった。
――ようこそおかえりなさい、王女殿下。おなかがすいたでしょう。
わたくしは、しばらく黙っていた。
文としては合っている。合っているのだが、この言い方は市場で子どもに使うものだ。王女に向けて言う形ではない。
「……ミレイユ」
「はい」
「いまのリヴァンヌ語は、どこでお習いになったの」
「厨房の下働きに、向こうから来た人がおりまして。三か月ほど教わりました」
「そう」
わたくしは部屋の扉を開けた。
「よくお出来になります」
嘘ではない。三か月であそこまで喋れるのは、たいしたものだ。格が取れていないだけである。格は最後に身につく。
ミレイユは嬉しそうな顔をして、荷を運びはじめた。
窓から城下が見えた。灯りがつきはじめている。三年前と同じ並びだ。何ひとつ変わっていない。
変わっていない場所へ戻ってきて、わたくしの席だけが無い。その晩、荷を解きながら、わたくしは兄のことを考えていた。エミール。七年前に死んだ。落馬だったと聞いている。
ヴァンサン卿は、あのとき馬の後ろにいたと言った。言って、それきり口を閉じた。
落馬で人が死ぬのは珍しいことではない。珍しくないから、七年間、誰も蒸し返さなかった。
わたくしも蒸し返さなかった。輿入れの稽古で忙しかったからだ。十二の年の予定表は、朝から夕までひとつも空いていなかった。書き取りが三刻、作法が二刻、あとは向こうの宮廷の名簿を暗記する時間である。あの年の記憶は、机の上の紙の白さでできている。
いま思えば、忙しくさせられていたのかもしれない。
【通詞の覚え】言葉の格は最後に身につきます。だから格の外れた挨拶を聞いたら、その人は嘘をついていないと分かります。嘘をつくには格が要ります。
帰る話を書くとき、迎えが出ない門から始めたいと思っておりました。
次話――王宮に席がございません。ないのなら、作っていただくよりほかにございません。




