第75話:橘が近すぎますわ!
橘が女性だと分かってから、麗奈には新たな問題が生まれていました。
「お嬢様、襟が曲がっております」
「自分で直しますわ!」
橘が手を伸ばすより早く、麗奈は両手で襟を押さえました。
「左右が逆です」
「これでよろしいですの!」
「曲がっておりますが」
「個性ですわ!」
橘は何も言わず、麗奈を見ました。
「……直してくださいまし」
「承知しました」
橘が麗奈のすぐ前へ立ち、襟へ手を伸ばします。
距離が近くなり、麗奈は視線だけを横へ逸らしました。
「動かないでください」
「動いていませんわ」
「少しずつ後ろへ下がっております」
「床が動いていますの」
「空港じゃないんですから。屋敷の床は動いておりません」
橘はいつもどおり、淡々と襟を整えています。
変わったのは麗奈の認識だけでした。
「終わりました」
「あ、ありがとうございます」
「お嬢様、少し熱があります? 顔が赤いですが」
「暑いのですわ!」
「本日は涼しいですが」
「わたくしの周囲だけ暑いのですの!」
そこへ小春がやってきました。
「橘さんが女性だと知った途端、余計に意識してません?」
「していませんわ!」
「昨日までは普通だったのに」
「昨日までとは状況が違いますの!」
「何が違うんですか?」
麗奈は答えに詰まりました。
橘は昨日までと何も変わっていません。
短い髪も、落ち着いた声も、まっすぐな立ち姿も同じです。
「……何も変わっていませんわね」
「はい」
橘が答えました。
「橘は、橘ですものね」
「そのとおりです」
麗奈が肩の力を抜いた直後、橘が髪へ手を伸ばしました。
「糸くずがついております」
「ひゃっ!」
麗奈は大きく後ろへ下がりました。
「まだ慣れてないじゃないですか」
「いまのは急でしたの!」
小春が笑います。
「では、ゆっくり触れば大丈夫なんですか?」
「そういう問題ではありませんわ!」
麗奈は顔を赤くしたまま、橘から少し距離を取りました。
「今後は、触れる前にひと言申してくださいまし」
「承知しました」
「では、お嬢様。髪にもう一つ糸くずがついておりますので、取ってもよろしいでしょうか」
「いちいち確認されると、それはそれで恥ずかしいですの!」
橘は少しだけ困ったように眉を下げました。
「どのようにすればよろしいでしょう」
「……普通にしてくださいまし」
「承知しました」
結局、元に戻りました。




