第66話:橘の秘密を知ってしまいましたわ!
九条院家から帰った翌日。
麗奈は自室の机の引き出しを、上から順番に開けていました。
「ありませんわね……」
昨日まで確かにあったはずの書類が見当たりません。
机の上をもう一度探し、棚の隙間まで確認したところで、ようやく思い出しました。
「そういえば、橘へ預けたのでしたわ」
麗奈は椅子から立ち上がると、使用人用の区画へ向かいました。
橘の部屋の前へ着き、扉を二度叩きます。
「橘、入りますわよ」
返事を待たずに扉を開けました。
部屋の中では、橘が着替えていました。
黒い上着はベッドの上に置かれ、白いシャツへ腕を通している途中です。
「し、失礼しましたわ!」
麗奈は反射的に扉を閉めかけました。
しかし、完全に閉じる直前で、その手が止まります。
いま、何かがおかしかった気がしました。
「……?」
麗奈は細く残った隙間から、もう一度だけ部屋の中を見ました。
短い髪。
背の高い身体。
いつもと変わらない落ち着いた表情。
そして、シャツの下から見えているものは、どう考えても男性用の下着には見えません。
「……橘」
「はい」
「それ……ブラジャーですの?」
「はい」
橘は特に慌てる様子もなく答えました。
麗奈は扉を少しだけ開け直します。
橘の顔を見ます。
胸元を見ます。
もう一度、顔を見ました。
「あなた……変態でしたの?」
「違います」
「では、どうしてブラジャーを着けていますの?」
「私は女ですから、別におかしなことではありません」
「……おんな?」
「はい」
麗奈の思考が停止しました。
女。
橘が。
この、橘が。
「じょ、女性でしたの!?」
「そうですが」
「そ、そうですが、ではありませんわ!」
「何か問題でも?」
「も、もももも問題というか、その……!」
麗奈は扉の取っ手を握ったまま、橘の顔と胸元を何度も見比べました。
「わ、わたくし、ずっと……ずっと殿方だと思っていましたわ!」
「そうでしたか」
「そうでしたか、ではありませんわ!」
橘はシャツのボタンを留めながら、いつもと変わらない声で答えます。
「え、では……橘は、最初から……?」
「最初から女性です」
「途中で変わったわけではありませんのね?」
「変わっておりません」
「わ、分かっていますわ! 確認しただけですの!」
麗奈自身も、何を確認しているのか分からなくなっていました。
「私は一度も、男性だとは申し上げておりません」
「で、では、どうして訂正しなかったのですの!?」
「訂正する必要があるとは思いませんでしたので」
「ありますわよ!」
麗奈はベッドの上に置かれた黒い上着へ目を向けました。
いつも橘が着ている、身体に合った執事服です。
「そ、そもそも、なんでそんな格好をしていますの!? 執事なんて」
「こちらの方が楽ですので」
「楽?」
「動きやすく、仕事にも支障がありません」
「だからといって、わたくしをずっと勘違いさせておくことはありませんでしょう!?」
「服装だけで判断されたのは、お嬢様です」
「正論で返さないでくださいまし!」
廊下から足音が近づいてきました。
洗濯物を抱えた小春が姿を見せ、開いた扉と麗奈を見比べます。
「ん? ああ。お嬢様はやっと気づいたんですね」
麗奈が勢いよく振り返りました。
「小春は知っていましたの!?」
「最初から」
「最初から!?」
「はい」
「では、なぜ教えませんでしたの!」
「いつ気づくのかなと思って」
小春の口元が、わずかに緩んでいました。
「今、ニヤニヤしましたわね!?」
「少しだけ」
「性格が悪いですわ!」
「お嬢様が、あまりにも自然に勘違いしていたので」
「気づいていたなら訂正しなさいな!」
「橘さん本人が何も言わないのに、私が言うのも変かなと思いまして」
「絶対に面白がっていただけですわ!」
麗奈が小春を睨んだところで、ふと我に返りました。
着替え中の女性の部屋へ勝手に入り、一度は閉めかけた扉を、わざわざ開け直しました。
そのうえ、顔と胸元を何度も見比べています。
麗奈の顔へ、一気に熱が集まりました。
「……」
「お嬢様?」
「し、失礼しましたわ!」
麗奈は今度こそ扉を閉めました。
そのまま逃げるように廊下を歩き出します。
「お嬢様」
扉の向こうから、橘の声が聞こえました。
「何ですの!?」
「お嬢様がお探しの書類は、机の上に置いてあります」
「あ、あとで取りに行きますわ!」
「着替えが終わってからにしてくださいね」
小春の声まで追いかけてきました。
「分かっていますの!」
麗奈の声が、使用人用の廊下いっぱいに響きました。




