狩られちゃったアレン
山神の森は、外から見るよりもずっと深く、そして広大だった。
【限定空間収納】から取り出した大まかな地図を片手に歩みを進めるけれど、道なき道はかなり入り組んでいる。
時折、茂みの奥から鋭い牙を持った魔物たちが飛び出してくるが、僕は収納空間から丸太を落としたり、あらかじめ作っておいた落とし穴のギミックを展開したりして、あまり無理をせずに撃退しながら進んでいった。
「ふぅ、手強い魔物が多いな。フェンリルさんの娘さんは、こんな森の奥に一人でいるんだろうか……」
などと呟きながら、落ち葉の積もる獣道に足を踏み入れた、その瞬間だった。
——バチンッ!
「えっ?」
足首に何かが巻き付いたかと思うと、視界がぐるんと逆さまになった。
仕掛けられていた罠の縄に見事に吊るし上げられ、僕は大木の枝から宙吊りになってしまったのだ。
「何者だ!」
茂みの奥から、鋭く凛とした女性の声が響いた。
バサリと葉をかき分けて姿を現したのは、しなやかな体つきをした妙齢の女性だった。顔には野生的な模様の刺青が刻まれており、頭には獣耳、腰にはふさふさの尾が揺れている。
僕は【ワン・キューブ】からナイフを取り出すと、足首の縄をスパンと切り落とし、くるりと空中で姿勢を立て直して着地した。
「あ、驚かせてごめんなさい。僕はアレンと言います。怪しい者じゃありませんよ」
「……ほう。私の仕掛けた罠から自力で降りるとは、ただの人間ではないな。私はルウ。この森を守る者だ」
警戒して身構えるルウさんに、僕はとりあえず「お近づきの印に」と、空間から温かい手作りスープと、こんがり焼いた肉串を取り出して勧めてみた。
「……む。毒は入っていないだろうな」
「入ってないですよ。どうぞ」
最初は怪訝な顔をしていた彼女だったが、一口食べた途端に耳をピンと立て、ものすごい勢いで肉とスープを平らげてしまった。
「……おかわりはあるか?」
「はいはい、たくさんありますよ」
胃袋を掴まれ、すっかり打ち解けたルウさんに、僕は食後の温かいお茶を淹れながら、ここまで来た事情を説明した。
氷の迷宮で大妖フェンリルさんに会い、生き別れた娘を探してほしいと頼まれたこと。
「ああ、なるほど。そのフェンリルというのは、私の母のことだな」
「やっぱり! じゃあ、一緒に迷宮へ行きましょう。お母さんが心配していましたよ」
「それはできない」
ルウさんはお茶をすすりながら、きっぱりと首を横に振った。
「はぐれた後、私はこの『山神の森』に流れ着き、ここの主から森の守護を任されたのだ。
私が離れれば、森は人間やたちの悪い魔物に荒らされてしまう。母の元には帰れない」
「そうだったんですか。それだけ大切な役目があるなら、無理には誘えませんね」
僕はポンッと手を打って立ち上がった。
「じゃあ、僕がお母さんをここに連れてきますね! お母さんなら、森の守りも手伝ってくれるかもしれないし。それじゃあ、ちょっと行ってきます!」
「……待て」
踵を返して道を戻ろうとした僕の腕を、ルウさんがガシッと力強く掴んだ。
「え? 何か忘れ物で——」
「お前、なかなか面白い人間だな。それに、飯もかなりうまい」
「はあ、ありがとうございます?」
「気に入った。私と『番』になれ」
「……はい?」
僕が間の抜けた声を上げるや否や、ルウさんは獣のようなしなやかな動きで僕を押し倒した。
「ちょ、ちょっと待ってくださいルウさん!? 番って、あの、そういうのは順序というか、お互いのことをもっとよく知ってから——」
「私は気の長い方ではない。それに、優秀な雄は逃さず狩るのが森の鉄則だ。安心しろ、可愛がってやる」
「えええええっ!? 助け——むぐぅっ!!」
落ち葉のベッドの上で、野生の掟に従順な肉食系お姉さんの猛攻が始まり、僕の悲鳴は森の奥深くに吸い込まれていった。
翌朝。
小鳥のさえずりで目を覚ました僕は、体中のあちこちがひどく疲労しているのを感じながら、そーっと、音を立てないように身を起こした。
「……ひどい目に遭った……」
隣では、見事な狩りを終えてすっかり満足した表情のルウさんが、僕の手作りの毛布にくるまってすうすうと平和な寝息を立てている。
ここでモタモタしていると、彼女が起きた時に「さあ、朝の狩り(意味深)の時間だ」と言い出しかねない。
僕は大急ぎで乱れた服を整えると、綺麗な葉っぱの上に、温かいお弁当箱と一枚の置き手紙を残した。
『朝ごはん、置いておきます。お母さんを迎えに行ってきますね! アレンより』
「よし、これで大丈夫」
僕はまだ眠っている彼女を起こさないように、抜き足差し足でその場を離れ……見えなくなった辺りで、猛ダッシュで森を駆け出した。
フェンリルさんに頼まれたミッションは半分クリアした。
あとは、彼女のお母さんをこの森へ案内するだけだ。
(それにしても、西の国の人たちは、どうしてこう……愛情表現が過激な人が多いんだろう)
王都で僕を血眼になって探しているであろう過保護なお姉さんたちの顔を思い浮かべながら、僕は一刻も早くフェンリルさんと合流するため、来た道を全力で戻っていくのだった。
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