人?探し
冷たく薄暗い石の床から身を起こすと、そこは先ほどまでの迷宮の通路とは全く違う、広大で静まり返った氷の空洞だった。
青白い水晶が壁を覆い、凍てつくような冷気が漂っている。
「……よく来たな、人間の小僧」
地響きのような、それでいてどこか透き通った低い声。
声の主を探して顔を上げた僕の目の前に、信じられないほど巨大な『白い狼』が座していた。
雪のように純白の毛並み、青く輝く鋭い隻眼。周囲の空気を震わせるほどの魔力を纏ったその姿は、本で読んだ西の大妖『フェンリル』そのものだった。
「フェンリル、さん……? どうして僕がここに」
「偶然ではないさ。先ほどお前を飲み込んだ転送魔物は、私の眷属だ。お前だけをここに呼ぶために、少しばかり手荒な真似をさせてもらった」
フェンリルは大きな鼻から白い息を吐き出し、口元を少しだけ緩めた。
「話は、あの爺さん——大和国の神龍から聞いているよ。わざわざ遠い異国から、面倒な事情を抱えた古龍の身内を探しに来てくれたそうじゃないか」
「はい。レンの両親のこと、何かご存知だとお聞きして……」
「ああ、知っているとも。だが……」
フェンリルはスッと目を細め、その巨大な顔を僕の目の前まで近づけてきた。
「ただで教えるというわけにはいかないねぇ。私にも、どうしても叶えたい悲願があるのだ」
「悲願……ですか。僕にできることなら、何でもします。何をすればいいですか?」
僕が迷うことなく答えると、フェンリルの青い瞳が、わずかに驚いたように揺れた。
「……生き別れた、私の娘を探してくれないか」
「娘さんを?」
「ああ。見つけて、無事にこの迷宮まで連れて来てくれれば、お前の知りたい情報をすべて教えよう」
大きな魔狼の瞳に、父親としての深い悲哀と後悔が浮かんでいた。
「分かりました。でも、娘さんはどこを探せば……」
「私たちが別れてしまったのは、ここからさらに西へ向かった先にある『山神の森』の中だ。人間の大規模な討伐隊に襲われてな。撃退はしたが森を追われ、そのどさくさではぐれてしまったのだ」
フェンリルは忌々しそうに牙を剥き出しにした後、ふっと自嘲するように鼻を鳴らした。
「本来なら、私は人間など決して信用しない。あの襲撃以来、人間という種族をひどく恨んでいる。……だが、あの口うるさい爺さんが『こいつは信じていい』と太鼓判を押したお前だけは、信じてみようと思う。頼む、私の娘を助けてやってくれ」
その真摯な願いに、僕の心の中に迷いはなかった。
家族とはぐれて独りぼっちになってしまった寂しさは、僕もレンも、そしてフェンリルさんも同じだ。
「分かりました。必ず、娘さんを見つけて連れてきます」
「恩に着る。よし、では早速——」
「あ、待ってください! それじゃあ、まずはみんなと合流させて……」
心配しているエリアリアさんたちや、レン、ゴウたちに事情を説明して、一緒に山神の森へ向かおう。
そう思って振り返りかけた、まさにその瞬間だった。
——ぽすんっ
「えっ」
頭上から音もなく降ってきた『あの』ゼリー状の転送魔物が、有無を言わさず僕の体を再び頭から丸呑みにしたのだ。
「ちょっと、待っ——むぐぐっ!」
「悪いが、大所帯で動けば人間の討伐隊に目をつけられる。お前一人の方が、娘も警戒しないはずだ。すまないが、このまま直接『山神の森』へ飛んでもらうぞ」
ゼリーの中でバタバタともがく僕に向かって、フェンリルさんはニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「お前たちの賑やかな仲間たちには、私からしっかり伝えておくよ。……頼んだぜ、お人好しの小僧」
「んぐーーーっ!!」
僕の抗議の声は魔物の体内で虚しくくぐもり、視界がぐにゃりと白く反転した。
「……ぷはあっ!」
冷たい地面に放り出され、僕は大きく息を吸い込んだ。
顔を上げると、そこは氷の迷宮ではなく、むせ返るような緑の匂いが立ち込める、深い深い深い森の中だった。木々の隙間から、傾きかけた夕日が差し込んでいる。
フェンリルさんの強引な転送によって、僕はいきなり目的地である『山神の森』へと、たった一人で飛ばされてしまったらしい。
「やれやれ……。みんな、怒ってないといいんだけど」
過保護すぎるお姉さんたちと、賑やかなモフモフ妖怪たち。
彼らがフェンリルさんから『アレンは一人で西の森へお使いに行った』と聞かされた時、果たしてどれだけ迷宮を破壊するような大騒ぎになるのか。
想像するだけで胃が痛くなりそうだったが、今はとにかく、フェンリルさんの娘さんを見つけ出すのが先決だ。
「よし、行こう。暗くなる前に、野営の準備もしないとね」
僕はパンパンと服の土を払い、【限定空間収納】から護身用のナイフとランタンを取り出すと、たった一人で、見知らぬ深い森の奥へと歩き出した。
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