入れ違い
雲海を抜けた先、霊峰の頂は、下界の喧騒が嘘のように静まり返った、神秘的で澄み渡る空間だった。
鏡のように平らな岩盤の中央には、天を衝くほど巨大な鳥居がそびえ立っている。
「……着いた。ここが、神龍様のお座す場所」
僕たちが息を呑んでその荘厳な景色を見渡していると、鳥居の根元にある丸い岩の上に、見覚えのある人影がちょこんと座っているのに気がついた。
「おお、待っておったぞ。先ほどは美味い飯をありがとうな」
ニコニコと手を振ってきたのは、先ほど洞穴で特製豚汁を平らげた、あのくたびれた着物のお爺さんだった。
「えっ……? お爺さん、どうしてこんな所に」
「アレン、控えおろう! その御方こそが……」
クオンが九つの尾を地に伏せ、カザネが僕の首元で深く頭を垂れる。
ゴウでさえ、その圧倒的で静かなマナの奔流に気圧され、直立不動になっていた。
お爺さんは「ふぉっふぉっ」と笑いながら立ち上がると、その姿が陽炎のように揺らぎ——一瞬だけ、天を覆い尽くすほどの巨大な龍の幻影が重なって見えた。
彼こそが、大和国を統べる理そのもの。伝説の神龍だった。
「いえ! 先ほどはあのような粗末なもので失礼いたしました。……これは、ほんの捧げものです」
僕は慌てて姿勢を正すと、【限定空間収納】を展開し、王都を出る前に手に入れていた最高級の『御神酒』と、透き通るような切子の杯を取り出した。温度管理も完璧な、極上の冷酒だ。
「おおっ! これは見事な酒じゃ! わしは果報者よのう」
神龍様(お爺さん)は嬉しそうに杯を受け取り、くいっと喉を鳴らして飲み干した。
「美味い!」と上機嫌に破顔したのを見計らって、僕は、ずっと胸に秘めていた一番の目的を切り出した。
「神龍様。……この子について、教えていただけないでしょうか」
僕の足元にいたレンが、おずおずと前に出る。
白く輝く美しい鱗。神話級の魔力を秘めた、小さな古龍。
「何故、本来この国にいるはずの古龍が……遠く離れた西の国の大陸、しかもあんな地下迷宮の奥深くで、一人で死にかけていたんでしょうか」
僕の問いに、神龍様は杯を置き、ゆっくりと目を瞑った。
山頂を吹き抜ける風の音だけが、しばらくの間、僕たちの間を通り過ぎていく。
やがて、長い長い沈黙の後、神龍様は重い口を開いた。
「……西の人間が、我が娘を見初めて、連れ去ってしまったのだ」
「西の人間が……? じゃあ、レンは」
「そうじゃ。それで生まれたのが、お前じゃ。お前は、わしの孫という事じゃよ」
その言葉に、レンは「キュ、キュイ……?」と驚いたように目を丸くし、僕たちも息を呑んだ。
伝説の神龍の娘と、人間の間に生まれた子。それが、この白き古龍・レンの正体だったのだ。
神龍様は、しわがれた手でそっとレンの白い頭を撫でた。
「あの時……わしが二人の仲を許さなかったばかりに、娘たちを孤立させ、お前にも暗い迷宮で辛い思いをさせてしまった。……すまなかったな、わしの可愛い孫よ」
慈愛と後悔に満ちたその声に、レンは小さく鳴いて、神龍様の手にすりすりと頬を寄せた。
「神龍様。では、レンのご両親は今、どこに……?」
「わからぬ。わしが意固地になっておったせいで、長らく連絡を絶っておったからな。じゃが……」
神龍様は、西の遠い空へと視線を向けた。
「わしの古くの友に、西の大妖『フェンリル』がおる。あやつは西の大陸の裏の事情に明るい。もしかしたら、娘たちの行方について、何か知っておるかもしれん」
「フェンリル……」
それは、かつて勇者パーティーの文献で読んだことがある、西の大陸の最深部に棲むという伝説の魔狼の名前だった。
神龍様は、僕の目を真っ直ぐに見据えた。
「行くかね、若者よ。我が孫と共に」
「——行きます。レンは、僕の大切な家族ですから」
僕が迷いなく答えると、ゴウが「オデも行く!」と拳を突き上げ、クオンとカザネも深く頷いた。レンは「キュイイッ!」と嬉しそうに僕の足元で跳ね回っている。
神龍様は満足そうに微笑むと
「頼んだぞ、アレン」と、再び酒の杯を傾けた。
こうして、大和国での目的を果たした僕たちは、レンの両親を探すため、再び西の大陸——かつて僕が追放された故郷の地へと引き返すことになった。
霊峰を下り、大和の港から西行きの船に乗り込むモフモフたちと僕。
これから始まる、西の伝説の大妖フェンリルを尋ねる新たな冒険に、僕の胸は高鳴っていた。
——しかし、この時のアレンは、全く、これっぽっちも知る由がなかったのだ。
「アレンっ……! 待っててね、今そっちに行くからぁぁぁっ!!」
アレンを取り戻すため、国境の関所を粉砕し、地形を変えるほどの魔法をぶっ放しながら『東の果ての大和国』へ向かって爆走してくる、王都の最凶ヒロインたち。
彼女たちと完全に『入れ違い』になってしまっているという、恐ろしすぎる事実に。
西へ向かうアレンと、東へ向かうお姉さんたち。
大陸を股にかけた壮大なすれ違いの果てに、一体どんなカオスな再会が待っているのか?
いや、再会……あるのかなぁ?
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