神龍の霊峰
神龍が座すという霊峰の頂上付近への道のりは、サゴジョウの警告通り、苛烈を極めていた。
「キュウウウッ……!」
「アレン、飛ばされるなよ! 妾の尻尾にしっかり掴まっておれ!」
叩きつけるような土砂降りの雨と、息をするのも苦しいほどの暴風。分厚い雷雲からは絶え間なく紫電が走り、山全体が激しい怒りに震えているかのようだ。
大妖であるクオンでさえ足を取られそうになり、ゴウが大きな体で風除けになってくれているものの、このまま進むのは流石に危険すぎる。
「みんな、無理は駄目だ! ちょうどあそこに洞穴がある、あそこで休もう!」
僕の呼びかけで、一行は這々の体で岩肌にぽっかりと開いた洞穴へと逃げ込んだ。
「ふぅ……間一髪だったね。みんな、寒くない?」
僕はすぐさま【限定空間収納】を展開し、完全に乾いた魔獣の毛皮の絨毯を敷き、中央に魔石ストーブと薪を組んでパチパチと温かい火を起こした。
さらに、冷え切った体を中から温めるために、大きな鍋を取り出す。
中には、王都の市場で買っておいた根菜と、ゴウが狩ってくれた猪肉をたっぷりと使った、特製の『熱々豚汁』と、ふっくら握った塩むすびだ。
「さあ、お昼にしよう。しっかり食べて、暖を取るんだ」
「おおっ! アニチャンのメシ! おで、これ大好き!」
「シュルル……アレンの飯は、冷えた鱗に染み渡るのう」
ゴウが嬉しそうに大きな器を受け取り、僕の首元からカザネが顔を出して豚汁の湯気を吸い込む。クオンもレンも、火を囲んでホッと息をつき、僕たちはささやかな昼食を始めた。
——その時だった。
「ふぉっふぉっ……いやはや、ひどい嵐じゃ。わしも、その火に当たらせてもらって良いかのう?」
パシャと。
洞穴の入り口から、ひょっこりと一人の人物が顔を出した。
白く長い髭を蓄え、少し古めかしい、くたびれた着物を纏ったお爺さんだった。杖をつき、雨に濡れて少し寒そうに肩を丸めている。
「ッ……何者じゃ!?」
クオンがとっさに尾を逆立て、レンも低く唸り声を上げた。
こんな異常な嵐の中、しかも伝説の魔物が跋扈する霊峰の頂上付近に、ただの老人が歩いているはずがない。ゴウですら、おにぎりを握ったまま警戒の表情を浮かべた。
だが、そのお爺さんからは一切の殺気や敵意は感じられず、ただただ「寒くてひもじい」というオーラが漂っていた。
「クオン、レン、駄目だよ。威嚇しないで」
僕は立ち上がり、迷うことなくお爺さんの方へ歩み寄った。
「もちろんです。こんな嵐の中、大変だったでしょう。さあ、火のそばへお座りください」
「おお、すまんなあ。心優しい若者よ」
「よろしかったら、こちらも召し上がりませんか? 少し多めに作ってあるので」
僕が【ワン・キューブ】から新しい器を取り出し、熱々の豚汁と塩むすびを差し出すと、お爺さんの目がパァッと子供のように輝いた。
「おおっ! 良い匂いじゃ! では、遠慮なく……」
お爺さんは器を受け取ると、フーフーと息を吹きかけ、ズズッと豚汁を一口飲んだ。
「…………美味いッ!!」
お爺さんの大声に、洞穴がビリッと震えた。
「なんじゃこの温かさは! 根菜の甘み、肉の旨み、そしてこの塩むすびの絶妙な握り加減……! こんなに温かくて美味い飯を食ったのは、それこそ何百年ぶりかのう!」
お爺さんは狂喜乱舞しながら、あっという間に豚汁とおにぎりを平らげ、「おかわり!」と器を差し出してきた。僕は笑顔で鍋の底からお肉をたっぷりすくって渡してあげた。
警戒していたクオンたちも、あまりに見事な食べっぷりに毒気を抜かれたのか、ポカンと口を開けて見守っている。
やがて、すっかり満腹になったらしいお爺さんは、「ふぅ、食った食った」とお腹をさすりながら立ち上がった。
「いやあ、実に素晴らしいもてなしじゃった。心も腹も、すっかり満たされたわい」
お爺さんが満足げに頷き、洞穴の外へ視線を向ける。
「おや? 天気も良さそうになったし、わしはこれで。ごちそうさまでしたぞ、若者たち」
「あっ、気をつけてくださいね! まだ風が強いかも……」
僕が言いかけて、ハッとして洞穴の外を見た。
——さっきまで山を揺るがしていた暴風雨と雷鳴が、嘘のように消え去っていたのだ。
それどころか、雲一つない澄み渡るような青空が広がり、ぽかぽかとした温かい太陽の光が、霊峰の頂を優しく照らし出していた。
「……はははっ! さらばじゃ!」
振り返ると、もうそこにお爺さんの姿はなかった。
ただ、爽やかな風が洞穴を吹き抜け、僕たちの頬を優しく撫でていっただけだった。
「……アレンよ」
クオンが、信じられないものを見るような目で、僕と外の青空を交互に見つめた。
「あの爺さん……ただの妖ではない。去り際、一瞬だけ見せたあの気配……山そのもの、いや、天そのものを思わせる、途方もないマナの奔流じゃった……」
「そう言えば、サゴジョウが言ってましたね。神龍様が『不機嫌』だって。……まさかね」
「シュルル。我が主の料理が、天の怒りすら鎮めてしまったというわけか。恐ろしいお人好しじゃの」
カザネがクスクスと笑い、レンが「アレンのご飯は世界一だからね!」と誇らしげに胸を張る。
「うんうん、おで、あのお爺さんの気持ちわかるぞ! アニチャンのメシ食うと、嫌なこと全部忘れちゃうもんな!」
「ゴウ、食べながら喋るとこぼれるよ」
僕は苦笑しながら、お弁当の片付けを済ませた。
あの不思議なお爺さんが何者だったのか、確かなことは分からない。でも、あの美味しいものを食べた時の笑顔に、嘘はないはずだ。
「さあ、天気もすっかり良くなったし、先へ進もうか。神龍様のいる頂上まで、あと少しだよ!」
「おうっ!」
「キュイッ!」
澄み渡る青空の下。
最強のモフモフたちと、お節介なサポーターの旅は、いよいよ伝説の神龍の御前へと差し掛かろうとしていた。
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