古の武士
この土地を離れるにあたり、名前真名が土地に縛り付けられていた白蛇姫のエレンに、新しい真名をつけて欲しいと依頼されたアレン。
「『カザネ』……うん。この国の風のような、綺麗な響きだ。どうかな?」
僕が首元に巻きつく白蛇に問いかけると、彼女は嬉しそうに「シュルル」と鳴き、ひんやりとした頬を僕の首筋にすり寄せてきた。
「カザネ……。うむ、わらわの新しい名にふさわしい。アレン、礼を言うぞ」
「キュイッ!」
「ええい、その白蛇ばかりずるいぞアレン! 妾の尻尾も撫でるのじゃ!」
カザネが僕に甘えるのを見て、レンが足元で羽ばたき、クオンが九つの黄金の尾をふさふさと押し付けてくる。
土砂崩れと村人たちからの理不尽な糾弾という悲しい出来事があったけれど、僕の周りを取り囲む賑やかなモフモフたちと、ニコニコ笑う巨大な赤鬼のおかげで、冷え切っていた心はすっかり温かさを取り戻していた。
その日の夜。
安全な尾根の開けた場所に【限定空間収納】で特製のテントを張り、僕たちは夕食の食卓を囲んだ。
「ゴウには特盛りの猪肉シチュー。クオンとレンには、魔物の極上霜降り肉のステーキ。そしてカザネには……」
僕は空間から、完璧な温度で塩焼きにされた大和国特産の清流魚を取り出した。
「わあ……良い匂いじゃ。アレンの作る飯は、冷え切った体に染み渡るのう」
カザネは器用に尻尾を使って魚の身をほぐし、幸せそうに目を細めて頬張っている。それを見て、僕も自然と笑顔がこぼれた。
翌朝、僕たちは再び東の果て——神龍が鎮座するという場所を目指して歩き出した。
やがて一行は、天を突くほど高く伸びた、深い竹林へと足を踏み入れた。
あたり一面に濃い霧が立ち込めている。どこか物悲しくも美しい、古い怪談話のふすま絵にでも迷い込んだような、幽玄な空気が漂っていた。
「……アレン。止まれ。前方に何かおるぞ」
クオンが足を止め、耳をピンと立てた。ゴウも警戒するように身を低くする。
霧の奥から、カシャ……カシャ……と、古い甲冑が擦れるような音が近づいてきた。
現れたのは、ボロボロに錆びついた胴着と甲冑を纏った、透き通るような青白い姿の亡霊——幽霊剣士だった。
「怨霊か……? いや、この静謐な気配は」
クオンが呟く間もなく、幽霊剣士はスッと腰を落とし、手に持った錆びた刀を一分の狂いもない『八双の構え』へと構えた。
「通ラバ……我が剣、越エテユケ……!」
怨念というよりは、純粋な闘気。
「邪魔するなら、オデがぶっ飛ばす!」
ゴウが拳を振り上げ、クオンが牽制の狐火を三発、剣士に向けて放った。
しかし——。
「シッ!」
幽霊剣士が踏み込みと同時に刀を鋭く振るうと、魔法の炎が『物理的な剣撃』によって真っ二つに両断され、霧散してしまった。
力任せの斬撃ではない。極限まで無駄を削ぎ落とした武芸者だけが持つ、洗練された美しさ。その剣筋が、魔法すらもいなしたのだ。
「ほう。そなたの剣術……ただの亡霊ではないようじゃな。ならば妾が本気で——」
「待って、クオン!」
狐火をさらに巨大化させようとしたクオンの前に、僕は咄嗟に両手を広げて立ち塞がった。
「アレン!? 危ないぞ!」
「大丈夫。……あの人からは、殺気なんて少しも感じないから」
僕は、刀を構えたまま微動だにしない幽霊剣士を見据えた。
彼の足元を見ると、竹林の中に、朽ち果てて苔むした道場の土台のような石組みが残っているのがわかった。
「……あなたは、この道場を守っていたんですね。ずっと昔から、たった一人で」
僕の言葉に、幽霊剣士の構えが、ほんの少しだけ揺らいだ。
古い怪談話にあるような、この世に強い未練を残した霊。
彼はきっと、生前は立派な剣の達人で、誰かがこの道場を訪れてくれるのを、手合わせをしてくれるのを、こんな霧の中でずっと待ち続けていたのだ。
それを、力任せに魔法で吹き飛ばすなんて、あんまり悲しすぎる。
僕は【ワン・キューブ】を展開した。
取り出したのは、武器ではなく——かつて勇者パーティーで、前衛の剣士たちのために毎日のように手入れをしていた、最高品質の蜜蝋と、汚れを落とす柔らかな布。
そして、完璧な温度で淹れた、温かい大和茶の入った湯呑みだった。
「僕には、あなたの素晴らしい剣術に応える力はありません。でも……その大切な刀を、少しだけ休ませてあげることはできます」
僕は幽霊剣士の前にゆっくりと歩み寄り、お茶を差し出した。
剣士は警戒するように僕を見つめていたが、やがてゆっくりと構えを解き、錆びた刀を僕の前に差し出した。
「失礼します」
僕は布に蜜蝋をつけ、錆びつき、刃こぼれした刀身を、祈るように優しく、丁寧に磨き上げた。
僕の【ワン・キューブ】のスキルは、対象の『一番良い状態』を記憶し、引き出す手助けができる。布で磨くたびに、刀の錆がポロポロと落ち、本来の白銀の輝きが戻っていく。
同時に、剣士の周囲を覆っていた冷たく悲しい霧が、少しずつ晴れていった。
「……見事ナ、手入レダ。我が刃、何百年ブリニ……温カサヲ思イ出シタ」
新品のように輝きを取り戻した刀を鞘に収め、剣士は僕の淹れたお茶を両手で包み込むように持った。
湯気とともに、彼の青白い顔に、ふっと穏やかな笑みが浮かぶ。
「……旅ノ者ヨ。この先ニハ、天ヲ統ベル大イナル『神龍』ノ座ス峰ガアル。……気ヲツケテ、行クガ良イ」
「ありがとう。あなたも、ゆっくり休んでください」
僕が深くお辞儀をすると、幽霊剣士は満足そうに目を閉じ、その姿は光の粒子となって、竹林の木漏れ日の中へと溶けて消えていった。
「……やれやれ。大妖と古龍と鬼を連れておきながら、お主の最大の武器は『おもてなし』と『お節介』のようじゃな」
クオンが呆れたようにため息をつきながらも、どこか誇らしげに黄金の尾を揺らした。
ゴウが「アニチャン、すごいや!」と目を輝かせ、カザネが僕の首元で「ふふ、自慢の主じゃ」と涼やかに笑う。
「さあ、神龍様のいる峰はもうすぐみたいだ。みんな、お弁当を食べてから出発しようか!」
古い悲しみを優しさで解きほぐしながら、僕たちの賑やかな旅は、いよいよ大和国の最深部へと近づいていた。
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