旅立ち
あの日の夜、青い瞳で見つめてくる小さなトカゲに、僕は『レン』という名前をつけた。
なんとなく響きが気に入ってつけた名前だけど、レンはその名前をとても気に入り、「キュイッ!」と鳴いて僕の頬をぺろぺろと舐めた。
それからというもの、僕たちの迷宮探索は少しだけ毛色が変わった。
「ほらレン、特製ミルクよ。アレンが温めてくれたんだから、残さず飲みなさい」
「キュイ〜」
「あーっ、リーダーずるい! 私もレンちゃん撫でる! ふわふわじゃなくてツルツルですべすべ〜!」
過酷なはずのダンジョン探索は、レンという新しいマスコットの加入により、すっかりのどかな様相を呈していた。
僕が【ワン・キューブ】で作った特製のポシェットから顔を出すレンは、ヒロインたちにもあっという間に受け入れられた。
最初は警戒されるかと思ったけれど、「アレンが拾ってきた子なら、アレンの子供みたいなものじゃない!」という謎の理論で、全員から溺愛を受けている。
僕が敷いたレジャーシートの上で、魔物の接近を警戒するどころか、皆でレンのお腹を撫で回しては癒やされる日々。
レンもすっかり皆に懐き、僕が作ったお弁当や、迷宮でドロップした魔石をカリカリと美味しそうに食べていた。
——けれど、異常はすぐに訪れた。
「……ねえ。レンちゃん、ちょっと大きくなるの早すぎない?」
リティが首を傾げたのは、レンを拾ってからわずか二週間後のことだった。
手のひらサイズだったレンは、一週間で大型犬ほどのサイズになり、二週間が経過した今では、立派な馬よりも大きくなっていたのだ。
さらに、ただ大きいだけではない。レンが息を吐くたびに周囲のマナが震え、その美しい白鱗は、ミスリルの剣すら弾き返すほどの硬度と魔力を帯び始めている。
「ただの希少種かと思っていましたが……この魔力の波動、文献で読んだことがあります。まさか……」
セレナさんが信じられないものを見るように、レンを見上げた。
そう。僕も、王都の図書館で調べてようやく気づいたのだ。
レンはただのトカゲじゃない。おとぎ話にのみ登場する、天を統べる存在——『神話級古龍』の幼生だった。
そして、事態は僕が思う以上に深刻だった。
古龍は、成長するにつれて莫大な魔力を周囲に放つようになる。王都の一軒家の裏庭でこっそり飼うには、もう限界の大きさに達していた。
近いうちに必ず、王宮の魔術師団やギルドの上層部がこの異常な魔力に気づく。
もし「Sランクパーティーが、許可なく王都内に古龍を匿っている」と知れ渡れば、彼女たちは反逆罪に問われるか、古龍を巡る国家間の争いに巻き込まれてしまう。
(そんなこと、絶対にさせられない……!)
誰からも必要とされなかった僕に、最高の居場所をくれた彼女たち。
僕が彼女たちに恩返しできる唯一の手段は、これ以上、僕の我が儘で迷惑をかけないことだけだ。
——その日の深夜
皆が寝静まったのを確認した僕は、少しだけ冷たい夜風が吹き込むキッチンに立っていた。
テーブルの中央に、一枚の手紙を置く
『皆さんへ
今まで、本当にありがとうございました。皆さんと過ごした時間は、僕の人生で一番の宝物です。
レンがこれ以上大きくなれば、皆さんに多大な迷惑がかかってしまいます。だから、僕はレンを本来の場所へ帰すための旅に出ることにしました。
どうか、探さないでください。皆さんがこれからも、笑顔で美味しいご飯を食べられることを祈っています。
——アレンより』
少しだけ手が震えたけれど、涙がこぼれる前にしっかりと封をした。
僕がいなくなっても、彼女たちならきっと大丈夫だ。僕は予備にと、数ヶ月分のポーションも完璧な状態で保存してあるのだから。
「……行こうか、レン」
裏庭に出ると、家よりも大きくなったレンが、月明かりの下で静かに僕を待っていた。
「グルル……」と喉を鳴らすレンの首筋を優しく撫でてから、僕はその広くて温かい背中によじ登る。
もう、誰も僕の手を引いてくれない。これからは、自分の足で進むんだ。
「目指すは東の果て……『大和国』だよ」
図書館の文献によれば、東の最果てにある大和国には、すべての龍の祖とも言われる『神龍』が鎮座しているという。
本来、この大陸の地下迷宮に古龍の幼生がいるはずがないのだ。何故レンがあんな場所で傷ついていたのか、その理由を知る神龍に会いに行かなければならない。
「キューイッ!」
レンが力強く鳴き、巨大な純白の翼を広げた。
音もなく、けれど圧倒的な力で夜空へと舞い上がる。
眼下に広がる王都の街並みと、僕の大切な居場所だった陽当たりの良い一軒家が、あっという間に小さくなっていく。
(さようなら、みんな。大好きでした)
胸の奥が締め付けられるような痛みを覚えながら、僕は東の空へと視線を向けた。
これから始まるのは、僕とレン、二人きりの果てしない旅。
——この時の僕は、完全に読み違えていた。
僕の置き手紙を見つけた翌朝、彼女たちがどれほどの絶望と、それに次ぐ『国家を巻き込んだ大暴走』を引き起こすかということを。
そして、「探さないでください」という言葉が、過保護で重たすぎる愛情を持つ彼女たちにとって、何の抑止力にもならないどころか、最悪の起爆剤にしかならないということを。
お読みいただきありがとうございました。
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