第六章「魔物討伐(本人無自覚)」
森の入口は、村から少し離れた場所にあった。
木々が密集し、昼間だというのに内部は薄暗い。
風が吹くたびに枝葉が擦れ、ざわざわと不気味な音を立てている。
「……いかにもって感じですね」
カイトは軽い調子で呟く。
緊張感は、ほとんどない。
一方で、隣を歩くリシアの表情は硬いままだった。
「この奥に、原因があるはずです」
声は抑えているが、明らかに警戒している。
騎士団も村の外周には展開しているものの、この森の内部までは手が回っていない。
つまり、ここから先はほぼ未踏に近い。
「危険ですので、私の後ろに――」
言いかけて、言葉が止まる。
カイトはすでに、彼女の横を通り過ぎていた。
「とりあえず、汚れてるとこ探せばいいんですよね」
軽い足取りで森へ入っていく。
リシアは一瞬だけ呆然とし、それから慌てて追いかけた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
森の中は、想像以上に空気が重かった。
視界は悪く、足元には枯れ葉が積もり、踏むたびに湿った音がする。
そして何より――。
「……これ、結構ひどいですね」
カイトが呟く。
目に見えるわけではない。
だが確実に、“何か”が漂っている。
肌にまとわりつくような不快感。
リシアは小さく頷いた。
「瘴気が濃い……」
彼女の額には、うっすらと汗が浮かんでいる。
通常であれば、この濃度の瘴気の中では長時間の行動は難しい。
だが。
「まあ、そのうち綺麗になりますよ」
カイトは気にした様子もなく歩き続ける。
その足取りの後を追うように。
空気が、わずかに軽くなっていく。
リシアはそれを感じ取り、息を呑んだ。
(歩いているだけで……浄化されている)
理解が追いつかない。
だが事実として、瘴気は確実に薄まっている。
その時だった。
――ガサリ。
茂みの奥で音がした。
リシアが即座に身構える。
「来ます!」
次の瞬間。
影が飛び出した。
狼型の魔物。
だが村で見たものよりも大きく、目は完全に濁りきっている。
さらに。
一体ではない。
二体、三体と続けて現れる。
「囲まれています!」
リシアが声を上げる。
彼女は杖を構え、術式を展開しようとする。
だが。
「……あー」
カイトが、少しだけ面倒そうな声を出した。
「また汚れてるの来ましたね」
緊張感の欠片もない感想だった。
魔物たちは唸り声を上げ、一斉に飛びかかる。
鋭い牙。
鈍く光る爪。
普通の人間なら、一瞬で命を落としかねない距離。
だがカイトは。
避けるでもなく、構えるでもなく。
ただ、手を伸ばした。
――触れる。
それだけだった。
次の瞬間。
魔物は消えた。
音もなく。
抵抗もなく。
存在そのものが、最初からなかったかのように。
「……え?」
リシアの声が、かすれる。
一体。
また一体。
カイトが軽く手を振るたびに、魔物が消えていく。
戦闘ですらない。
ただの作業。
掃除。
それ以上でも、それ以下でもない。
数秒後。
森は静まり返っていた。
さっきまでの気配が、完全に消えている。
カイトは周囲を見回し、小さく息を吐いた。
「はい、終わり」
まるでゴミを片付け終えたかのような口調だった。
リシアは言葉を失っていた。
目の前で起きた現象を、理解することができない。
(これは……戦いではない)
(消去だ)
その結論に至った瞬間、背筋に冷たいものが走る。
だが同時に。
圧倒的な安心感もあった。
敵が存在しない。
そう言い切れる状況。
それを、この男は“当たり前”のように作り出している。
「……大丈夫ですか」
カイトが不思議そうに声をかける。
リシアはようやく我に返る。
「だ、大丈夫です……」
声が少し震えていた。
カイトは首をかしげる。
「そんなに強くなかったですよね」
その一言に、リシアは何も返せなかった。
強いか弱いかの問題ではない。
そもそも、“戦い”が成立していないのだから。
その時だった。
森の奥から、より濃い気配が流れてくる。
空気が一段階、重くなる。
カイトが足を止めた。
「……あっち、やばそうですね」
ぼんやりとした口調。
だがその視線は、確実に一点を捉えている。
リシアも感じていた。
この先に、“原因”がある。
「行きますか」
カイトが軽く言う。
その言葉に、リシアは一瞬だけ迷い――。
そして、頷いた。
「はい」
もう引き返すという選択肢はなかった。
目の前にいる存在が、それを許さない。
良い意味でも。
そして、別の意味でも。
二人は再び歩き出す。
森の奥へ。
より深い闇の中へ。
その先で待つものが何であれ。
カイトにとっては――。
「掃除対象が増えるだけだな」
その程度の認識でしかなかった。




