第五章「騎士団との接触」
翌朝。
まだ空気に夜の冷たさが残る時間帯だった。
カイトは欠伸を噛み殺しながら、ゆっくりと目を覚ます。
寝床は藁を敷いただけの簡素なものだったが、特に不満はない。
前世の疲れ切った身体には、むしろこの程度の方が気楽にすら感じられる。
「……眠い」
ぼやきながら体を起こす。
外ではすでに人の気配が動き始めていた。
村人たちの声が、どこか軽い。
昨日までとは明らかに違う。
(まあ、空気は良くなったしな)
理由を深く考えることはしない。
起きて、顔を洗って、飯を食う。
それで十分だと思っている。
外に出ると、リシアがすでに待っていた。
「おはようございます」
「おはようございます」
簡単な挨拶を交わす。
その直後だった。
遠くから、馬の蹄の音が聞こえてくる。
乾いた地面を叩く、規則的な音。
「……誰か来ますね」
カイトがぼんやりと呟く。
リシアの表情がわずかに引き締まった。
やがて村の入口に現れたのは、数騎の騎士だった。
銀の鎧に身を包み、統率の取れた動きで進んでくる。
村人たちがざわめく。
「王都の騎士団だ……!」
安堵と緊張が入り混じった声。
隊列の先頭にいた騎士が馬を止め、周囲を見渡す。
その目は鋭く、状況を一瞬で把握しようとしているようだった。
「この村の代表は誰だ」
低く、よく通る声。
老人が前に出て応じる。
「わ、わしです」
騎士は頷き、短く言葉を続けた。
「王都より派遣された。魔物被害の調査および討伐を行う」
その言葉に、村人たちの表情が明るくなる。
だが同時に、困惑も広がった。
「……あの」
老人が恐る恐る口を開く。
「すでに、かなり状況は改善されておりまして……」
「改善?」
騎士の眉がわずかに動く。
その視線が、村の様子を改めて捉える。
確かに。
報告で聞いていたような荒廃は見られない。
むしろ、空気は異様なほどに澄んでいる。
「どういうことだ」
訝しむ声。
老人は、少しだけ迷い、それからカイトの方を見る。
「そちらの方が……」
一斉に視線が集まる。
カイトは、面倒そうに軽く手を挙げた。
「どうも」
その気の抜けた態度に、騎士たちは一瞬だけ言葉を失う。
やがて、先頭の騎士が馬を降りた。
ゆっくりと歩み寄る。
「貴様が、この状況を?」
「まあ、掃除はしましたけど」
あっさりと答える。
騎士の目が細くなる。
「掃除……だと?」
明らかに疑っている。
無理もない。
この規模の異変が、掃除で解決するはずがない。
「証明できるか」
短く問う。
カイトは少し考える。
証明、と言われても困る。
「別にいいですけど……何かあれば」
適当な返事だった。
騎士は周囲を見渡し、やがて一人の部下に目配せする。
「連れてこい」
命令に従い、別の騎士が一頭の魔物を引きずってくる。
狼に似た姿だが、目は濁り、体からは黒い気配が漂っていた。
まだ生きている。
だが明らかに弱っている。
「昨夜、森の外縁で捕らえたものだ」
騎士が説明する。
「瘴気に侵され、凶暴化している」
そして、カイトを見据える。
「これをどうにかできるか」
試すような視線。
周囲が静まり返る。
カイトはその魔物を見て、少しだけ顔をしかめた。
「……汚れてますね」
それが第一印象だった。
血と泥と、何かよく分からない黒いもの。
見ていて気持ちのいいものではない。
「まあ、やりますけど」
そう言って、近づく。
魔物が低く唸る。
だが、カイトは気にしない。
手を伸ばす。
軽く、触れる。
――次の瞬間。
音が消えた。
唸り声も、気配も、何もかも。
そこにあったはずの魔物は。
跡形もなく、消えていた。
完全な消失。
残骸すら、ない。
沈黙。
誰も、言葉を発せなかった。
騎士の目が見開かれる。
周囲の空気が、凍りついたように静止する。
カイトは手を軽く払う。
「はい、終わり」
何事もなかったかのように言う。
だが、それは決して“何事もない”現象ではない。
騎士はゆっくりと息を吐いた。
視線をカイトから外さない。
「……貴様」
声がわずかに低くなる。
「何者だ」
同じ問い。
だが、今度は重みが違う。
カイトは少しだけ考えてから答える。
「通りすがりです」
やはり同じ答えだった。
しかし、その言葉をそのまま受け取る者は、もはや誰もいない。
騎士はしばらく沈黙し、それから静かに告げた。
「……我々と来てもらう」
その言葉に、村人たちがざわめく。
緊張が走る。
だがカイトは。
「えー、面倒だな」
露骨に嫌そうな顔をした。
その反応に、騎士の表情がわずかに歪む。
「拒否するのか」
「いや、森行く予定なんで」
あっさりと言う。
リシアが一歩前に出る。
「彼は私と共に調査を続ける予定です」
静かだが、強い声だった。
騎士は彼女を見る。
そして、その徽章を確認する。
神殿所属の正式な神官。
無視できる立場ではない。
「……わかった」
短く頷く。
だが、その目はカイトから離れない。
「だが、後ほど詳しく話を聞く」
「はいはい」
気のない返事。
緊張感の欠片もない。
騎士は小さく息を吐き、部下に指示を出す。
「周囲の警戒を強化しろ」
隊はすぐに動き出した。
だが、その動きの中にも、どこかぎこちなさが残っている。
理由は明白だった。
彼らの常識が、今、目の前で崩れたからだ。
そして。
その中心にいる青年は――まるで何も気にしていない。
「じゃあ、行きます?」
カイトがリシアに声をかける。
「……ええ」
リシアは一瞬だけ騎士たちを見てから、頷いた。
こうして。
“掃除の延長”として始まった行動は。
騎士団すら巻き込みながら、さらに大きな誤解へと膨れ上がっていく。
誰も、その先を正確には予測できていなかった。
ただ一人を除いて。
――いや、その本人ですら。
まだ何も理解していない。




