第二章「適当に掃除したら村が救われた」
王都を出てから三日。
石畳はいつの間にか土の道に変わり、行き交う人影もずいぶんと減っていた。
カイトは肩に背負った荷物を軽く揺らしながら、のんびりと歩いている。
特に目的地があるわけでもない。
ただ、王都から離れれば面倒ごとも減るだろうという、実に消極的な理由だけだった。
「……腹減ったな」
空を見上げる。
雲は流れ、天気は悪くない。
だが、それと食事は別問題である。
所持金はわずか。
王都での支援も打ち切られている以上、働かなければいけない。
「どっかで仕事でも探すか」
そう呟いたところで、ちょうど前方に小さな村が見えてきた。
木の柵で囲われた、ごくありふれた農村。
煙突からは煙が上がり、人の気配もある。
「タイミングいいな」
深く考えず、カイトは村へと足を向けた。
――だが。
村に一歩踏み入れた瞬間、妙な違和感があった。
静かすぎる。
人の気配はあるのに、活気がない。
空気がどこか重く、湿っている。
「……なんか暗いな」
呟きながら歩くと、ようやく一人の老人がこちらに気づいた。
「おや……旅の方か」
「そんな感じです」
軽く手を挙げて応じる。
老人はカイトをじっと見つめたあと、小さくため息をついた。
「すまんが、今はよそ者を歓迎できる状況ではなくてな……」
「なんかあったんですか」
「魔物だ」
短い言葉だった。
だが、その重みは十分に伝わる。
「近くの森に巣くっておる。夜になると現れて、家畜を襲い、人にも危害を加える」
老人の声には疲労が滲んでいた。
「騎士団に救援は?」
「要請はした。だが、王都も余裕がないらしい」
そこで言葉を切り、老人は力なく笑う。
「このままでは、いずれ村を捨てることになるだろう」
なるほど、とカイトは頷いた。
(大変そうだな)
他人事のように思う。
だが同時に、こうも考えた。
(人手が足りないなら、仕事はあるな)
「何か手伝えることあります?」
老人が目を丸くする。
「……本気か」
「はい。飯と寝る場所くれれば、それでいいです」
実に安い条件だった。
だがカイトにとっては、それで十分だった。
しばしの沈黙の後、老人はゆっくりと頷く。
「では……頼めるか。まずは、村の掃除を」
「掃除?」
「血やら何やらが残っていてな……皆、気味悪がって近づかんのだ」
カイトは軽く肩をすくめた。
「それくらいなら」
むしろ得意分野である。
案内されたのは、村の外れにある家畜小屋だった。
扉は壊れ、内部には黒ずんだ血痕が広がっている。
空気は淀み、鼻をつく臭いが漂っていた。
「……うわ、確かにこれは嫌だな」
思わず本音が漏れる。
だが、やることは単純だ。
「ま、掃除すればいいだけか」
カイトは袖をまくる。
そして、何気なく手をかざした。
――その瞬間。
空気が、わずかに震えた。
黒ずんでいた血が、音もなく消える。
床に染み込んでいたはずの汚れが、まるで最初から存在しなかったかのように消失していく。
臭いも、重さも、何もかもが。
「……ん?」
カイトは首をかしげた。
(こんな簡単に落ちるもんだっけ)
前世の感覚からすると、ありえないほど綺麗になっている。
だがまあ、楽ならそれでいい。
「よし、終わり」
ほんの数分で作業は完了した。
外に出る。
待っていた老人が、恐る恐る中を覗き込んだ。
そして。
「――なっ」
声を失う。
そこには、何もなかった。
血の跡も、臭いも、荒らされた痕跡すら。
まるで最初から“何も起きていない”かのように、完璧に整えられている。
「どうかしました?」
カイトが不思議そうに尋ねる。
老人は震える手で床を指した。
「き、消えておる……完全に……」
「掃除しましたから」
当然のように答える。
だが老人は、それを理解できなかった。
掃除。
その一言で片付けていい現象ではない。
これは――浄化だ。
それも、尋常ではない規模の。
「まさか……」
老人の喉が鳴る。
目の前の青年を、改めて見つめる。
何の変哲もない、どこにでもいそうな若者。
だが。
(この者は……ただ者ではないのではないか)
そんな考えが、頭をよぎる。
一方でカイトは、そんなことには一切気づいていなかった。
「次、どこやればいいです?」
あくまで“仕事”としての確認。
老人は一瞬言葉を失い、それから慌てて頷いた。
「あ、ああ……では、井戸の周りを……」
「了解です」
軽く返事をして、カイトは歩き出す。
その背中を見送りながら、老人は小さく呟いた。
「……救い、なのかもしれん」
それは希望だったのか。
それとも、別の何かだったのか。
まだ誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは。
この日を境に、村の“異変”が静かに消え始めたということだけだった。
――そしてそれが、さらなる誤解の始まりになることも。
カイトはまだ、知らない。




