第十章「半強制的な王都召喚」
村の中央に、奇妙な静寂が落ちていた。
人々は息を潜め、二人の男の対峙を見守っている。
一方は勇者レオルド。
もう一方は――ただの“掃除係”。
少なくとも、本人はそう思っている。
「準備はいいな」
レオルドが低く言う。
剣に手をかけ、いつでも抜ける状態。
隙はない。
長く戦場に立ってきた者の構えだった。
対して。
「別にいつでも」
カイトは肩の力を抜いたまま答える。
構えすら取らない。
完全に無防備。
それが逆に、場の緊張を歪ませていた。
(舐めているのか……?)
レオルドの眉がわずかに動く。
だが次の瞬間には、思考を切り替えた。
「行くぞ」
短く告げる。
踏み込む。
一瞬で間合いを詰める。
速度は速い。
常人では反応すらできないレベル。
剣が抜かれ、閃光のように振り下ろされる。
――だが。
その軌道の先にあったはずの“標的”は。
消えていた。
「……は?」
レオルドの動きが止まる。
一瞬の違和感。
視界のズレ。
次の瞬間。
背後から、気の抜けた声が聞こえた。
「危ないですよ」
振り返る。
そこにカイトが立っている。
何事もなかったかのように。
「なっ……」
動揺が走る。
今の一撃は、確実に捉えていたはずだった。
回避された?
いや、それにしては気配がなさすぎる。
移動の軌跡が見えない。
「もう一回やります?」
カイトが軽く言う。
まるで練習でもしているかのような口調。
レオルドの中で、苛立ちが膨れ上がる。
「……舐めるな!」
再び踏み込む。
今度は連撃。
斬撃が連なり、空間を切り裂く。
だが。
当たらない。
いや、正確には――。
“そこにいない”。
振るうたびに、カイトの位置が微妙にずれている。
予備動作がない。
気配もない。
ただ、結果だけがそこにある。
「……何だ、それは」
レオルドの声が低くなる。
理解できない。
技でも魔法でもない。
説明がつかない。
カイトは少し考えてから答える。
「避けてるだけですけど」
その言葉が、さらに苛立ちを煽る。
だが同時に。
わずかな違和感も生まれていた。
(避けている……?)
本当にそうなのか。
今の動きは、回避というより――。
「じゃあ、こっちもいいですか」
カイトが一歩前に出る。
その瞬間。
空気が変わった。
何かが、“削れた”。
そんな感覚。
レオルドの背筋に、冷たいものが走る。
直感が警鐘を鳴らす。
危険。
本能的な理解。
だが。
遅かった。
カイトの手が、剣に触れる。
ただ、それだけ。
次の瞬間。
剣が、消えた。
「――は?」
レオルドの手には、何も残っていない。
感触もなく。
重さもなく。
まるで最初から持っていなかったかのように。
沈黙。
誰も、声を出せなかった。
勇者の武器が。
一瞬で。
跡形もなく消えた。
「……あれ?」
カイトが首をかしげる。
「ちょっとやりすぎました?」
本気でそう思っている声だった。
リシアが思わず額に手を当てる。
(やりすぎどころではありません)
だが言葉にはしない。
もはや何を言っても無意味だと分かっている。
レオルドは、しばらく動けなかった。
理解が追いつかない。
思考が止まる。
だがやがて。
ゆっくりと、息を吐いた。
「……参った」
短く言う。
その声には、先ほどまでの自信はなかった。
ただ純粋な、敗北の認識。
カイトは少し驚いた顔をする。
「もう終わりですか?」
「十分だ」
レオルドは首を振る。
それ以上続ける意味がない。
勝てない。
それが分かっただけで、十分だった。
だが同時に。
別の問題が浮かび上がる。
(こんな存在が……野放し?)
危険。
あまりにも。
その考えは、他の者たちも同じだった。
アリアが一歩前に出る。
「カイト様」
静かに呼びかける。
「はい?」
「王都へ来ていただけませんか」
まっすぐな言葉。
だが、その裏には強い意志があった。
カイトは露骨に顔をしかめる。
「えー……」
面倒。
それが第一印象だった。
だが。
「正式な依頼として」
アリアが続ける。
「報酬も用意します」
その言葉に、カイトの表情がわずかに変わる。
「……どのくらいです?」
現金な反応だった。
アリアは小さく微笑む。
「ご満足いただける程度には」
曖昧だが、自信のある言い方。
カイトは少しだけ考える。
王都。
面倒そう。
だが、金は必要。
そして何より――。
「部屋、ちゃんとしてます?」
「ええ」
「じゃあ行きます」
即決だった。
その軽さに、周囲は一瞬だけ呆気にとられる。
だがすぐに、それがこの男の本質だと理解する。
深く考えない。
流れに乗る。
それだけで、結果がついてくる。
こうして。
カイトは王都へ向かうことになった。
本人にとっては、ただの“仕事の延長”。
だがその移動は。
確実に、世界の中心へと踏み込む一歩だった。
そして。
その影響は、すでに広がり始めている。
魔王軍。
騎士団。
王族。
それぞれが、この存在をどう扱うかを考え始めていた。
ただ一人を除いて。
「移動めんどいな……」
そんなことを呟きながら、カイトは空を見上げる。
その視線の先で。
世界は静かに、軋み始めていた。




