第3話 《魔女》のタスク
グツグツと何かが煮えたぎる音と共に、ミリは目覚めた。
見慣れない天井。
どうやら自分は気を失った後、ベッドに寝かされていたようだ。背中に当たる柔らかい感触が懐かしい。最後に安眠したのはいつのことだったか。
「ぅん…………うぅ…………?」
ミリは上体を起こす。
薄暗い部屋だった。
壁や周囲に置かれている薬剤のようなものが仄かに周囲を照らしている。
「ここは……?」
視界の奥に置いてある巨大な釜が目についた。その中身から出る光が周囲の壁を赤から青、そして緑と染めている。
(あれは、錬金釜? 初めて見た……)
すると視界の奥にある扉が開き、1人の女性が入ってくる。
肩まで伸びたブロンドヘアに、濃い翠の瞳を持つ森人族の麗人だった。
「ようやくお目覚めかね。 ”悪魔憑き” の娘」
その女性から出た ”悪魔憑き” の言葉を聞き、ミリはベッドから飛び跳ねて臨戦態勢へ移る。これまでその単語を使っている人間は、どれも彼女を害する者ばかりだったからだ。
「落ち着きたまえ。ワタシはキミを直接的にどうこうしようとは思っていない」
「あなたは、誰?」
そうミリが尋ねると、森人族の女性は顎に手を当ててしばらく考え込んだ。
「……その質問は、ワタシの名前を聞いているのかね? それともワタシという存在について1から説明が欲しいということかね? 後者であれば少し時間が必要になるが、かいつまんで話してやらないこともない。終わるまで丸一年以上かかるがね」
「………………」
「冗談だ。だが生憎、私に名前はない。《魔女》とでも呼んでくれ。今はしがない錬金術師をしている」
この人――本当に変な人かもしれない、とミリは直感した。
しかし警戒は解かない。ミリは鋭い瞳で《魔女》を睨んだ。
「まず、あなたの目的を聞かせて! 何の見返りもなく "悪魔憑き" の人間を助けるなんてありえないでしょ」
「ほう……警戒心か。悪くない」
《魔女》は再び顎に手を当てて考え込んだ。
「では逆に聞こう……そもそもキミはなぜ、自分が ”普通に生きられない” と思っている?」
唐突な、そして意外な質問にミリが口ごもる。
「え……わ、私の中に……悪い存在がいる……って……そう言われたから……」
ミリがたどたどしく答えると、《魔女》は「ふむ」と短く返事をした。
「キミは古代から現代に至るまで、ごく少数の人間が ”悪魔憑き” として生まれることは知っているね?」
「自分の中に魔族が宿る、ですよね? それくらいは……」
ミリは素直に頷く。
「そうだ。厳密には一部だがね――キミは例外中の例外だ」
確かに、ミリの中には1人の魔族が丸ごと入っているようだった。
「さて……世間で ”悪魔憑き” と呼ばれる存在は、過去に実在した魔族の力、その一部を宿している。ある人は類稀なる才能だったり、ある人は武器だったり――世界を変えるほどの魔法だったりする」
「私が例外だから、あなたはそれを調べたい……それが目的ですか?」
ミリが核心をつくと、突然《魔女》は黙り込んだ。
「…………キミは聡いのだな」
すると突然、《魔女》の金色の髪の毛がスルスルと伸び、ひとりでに動き出した。蛇のように動く数束の髪の毛は、机の上に置いてあった試験管を何本か取り出す。
「それで? 私の身体を好き勝手に弄ろうって魂胆?」
「さっきも言っただろう。ワタシはキミを直接どうこうするつもりはない」
紫、緑、橙……色とりどりの中身を1つのフラスコに混ぜ入れると、そこには虹色に輝く謎の液体が出来上がっていた。
魔女の「――今は、な」という独り言は、液体同士が融合する音で隠されてしまう。
「あの……ところで……それはなに?」
髪の毛は、虹色の液体が入ったフラスコをミリに突き出した。
「えっと、その…………飲みませんよ?」
「飲みたまえ」
「いやいやいや! どう考えても飲んだら死ぬやつだから! せめて説明とか――」
「説明すれば、飲んでくれるのかね?」
「うぐっ! いや、それは……内容次第と言いますか……」
揚げ足を取られ、ミリが汗を流す。
これまで流したことがない種類の汗だった。
「キミはその魔法を歪んだ形で使っているね。しかしそれはキミの身体を確実に蝕んで、いずれは限界が来る。自覚はあるだろう?」
そう言われてミリは思い出す。自分が魔法を使う時、いつも腕に鋭い痛みが走ることを。
『正しく使われない歪んだ魔法が、自身の身体を蝕んでいるのか』――そしてあの黒衣の剣士の言葉も。
「この液体はワタシが開発した、体内の共鳴核の組成組織細胞を含んだ共鳴力回復薬だ」
「なに? れぞなんす? きょうめい?」
「勘違いされがちだが、そもそも魔法は体内にある魔力を消費しているわけではなく、周囲にある魔力を自身に備わった共鳴力で――」
「ああああ分かった! 飲みます! 飲みますから!」
これ以上《魔女》に呪文を詠唱されては堪ったものではない。
ミリはフラスコを奪い取り、虹色に輝く液体をゴクゴクと飲み始めた。思っていたよりも味や風味は悪くなく、逆にそれが気持ち悪くもあった。
「結構美味しい……」
「ワタシはミレオリアに籠っている味音痴の学者共とは違う。 "飲みやすさ" まで研究の対象内なのだよ」
「……だったら、この見た目はどうにかならないの?」
「うん? 見た目が飲みやすさと何か関係あるのかね?」
「…………見た目音痴じゃん」
「さて、話を戻そう」
完全スルーだった。
「ワタシはキミに直接的な干渉はしない。ただその代わり、キミにはワタシが不定期に出す "タスク" をこなして貰いたいのだよ」
「タスク……? つまりミッションってこと?」
髪の毛がミリの持っているフラスコを取り上げ、机の上に戻す。その中に別の髪の毛が入っていき、自切されると、フラスコの中には一束の髪の毛が散乱した。
するとその髪の毛が透明な液体に変わり、フラスコの中を洗っていく。ミリは「その髪の毛、なんでもありだな」と思った。
「結論から言おう。キミにはこれから2つのタスクを達成してもらう――まず1つは "屋敷内の家事を覚えること"」
ミリはこっそりと、心の中で歓喜した。
それはつまり、ようやく自分にまともな仕事が与えられたということだからだ。普通に生きたいミリにとってこれは僥倖だった。
しかし、次の《魔女》の言葉によって、彼女の中に不安が芽生えることになる。
「そしてもう1つは――歪んだ状態で使っているその魔法の、真の力を引き出せるようになること、だ」
ミリの中の不安が大きくなる。
魔法の真の力の解放――そんなことをしたら、手に入れられそうだった ”普通” がこわれてしまうのではないか?
ミリの手が無意識に震える。
「えっと……その……」
しかし、ミリが不安を吐露するよりも速く、髪の毛たちがミリの服を脱がし始めた。
「ちょ、ちょっと! なにするの!?」
「キミは今日からこの屋敷の従業員だからね。それに相応しい格好をしてもらわないと困るのだよ」
ミリは上着から下着まで引きずり下ろそうとしてくる髪の毛と格闘する。だが健闘虚しく、ミリは瞬く間に全ての衣服を剥ぎ取られてしまった。
すると今度は別の髪の毛が、タンスから一式の衣装を取り出し、ミリの前に見せつける。下は黒のジャンパースカート、上はヒラヒラのついた白いシャツ。そして清潔な下着。
「き、きれい……」
これまでボロ布を纏って生活していたミリにとって、それはまるで天使の羽衣のように見えた。
「ところで『今日から』って言ってたけど、今は何時なの?」
ミリは受け取った服を着ながら尋ねる。
窓の外を見ても、周囲は緑色の霧がかかっていて、時間感覚が掴めない。そもそも自分は一体どれだけの時間、眠っていたのだろうか?
「今は表の世界で言うと朝の7時だね。そろそろ屋敷の《召使》たちが起き始める時間だから、仕事についてはルクスとノクスに教えて貰いたまえ」
「えっ!? 外、真っ暗だけど……」
「ここはワタシが錬金術で創った異空間だからね。表の世界とは完全に隔離されているのだよ」
ミリは錬金術についての知識はゼロに近いが、「それは流石に便利すぎやしないだろうか?」と思った。《魔女》が特別なだけの可能性も十分にあるが。
「森人族の気は長い……が、キミの寿命には限界がある。せいぜいシワシワのお婆さんになるまでには、タスクを終わらせてくれることを願うよ」
「え……魔法を習得しないと出られない? 一生?」
ミリの言葉に、《魔女》は何も返さなかった。
想像してゾッとする。
このまま、生を屋敷の中で終える……それは正しいことなのだろうか?
「この屋敷はワタシが創った ”生きた屋敷” だ。部屋を出入りする時はわざわざノブを捻らなくても勝手に開くようになっている。試してみるといい」
ミリは視線を扉に移し、ベッドを降りた。そのまま扉に向かって歩く。
しかし残念ながら扉が開くことはなく、ミリは「ゴン」と盛大に額をぶつけてしまった。
「いったぁ~! なんで嘘つくの!?」
額を抑えてうずくまるミリとは対象的に、《魔女》は心底不思議そうな顔をしながら首を傾げた。
「ふむ? 妙だね……もしかしたら、屋敷がキミを歓迎していないのかもしれない」
「なにそれ!」
「まぁ、キミがタスクを終える頃には、屋敷も認めてくれることだろう――それでは、頑張ってきたまえ」
「えっ、ちょっと!」
涙目で抗議するミリは、そのまま《魔女》の髪の毛に掴まれて部屋の外へと放り出されてしまった。
ミリはしばらく放心する。
「……仕事、かぁ」
少しずつ、ミリの中にワクワクとした感情が混じってくる。
それほどまでに、自分が”普通”を手に入れられるかもしれない期待感は大きかった。
「いっちょ、やりますか!」
ミリは立ち上がり、廊下を歩き出した。




