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第16話 一緒に歩む

『アナウス! また外に出ようとしましたの!?』

『でも、お母様……』

『でも、じゃありません!』


 生まれつき体が脆弱なだけでなく、 ”悪魔憑き” でもあった私は、これまでの人生でほとんど外に出たことがない。


『アナウス。いいですこと? 外の世界は危険に満ちています。絶対にそんなことをしてはなりませんよ』


 風に揺れる花も、荘厳な演奏も、笑う友達も……私にとって、それはただの ”知識” でしかなかった。


『……退屈ですね』


 自分の体と、母の邸宅……二重の鳥籠の中で過ごしてきた人生。

 だからこそ、その出会いは衝撃的だった。


『私、ミリと申します! 今はしがない ”悪魔憑き” でやらせてもらってましゅ!』


 その少女は意味のわからない自己紹介をした。


(この子は……私の知識にない)


 屋敷にいる他の無機質な魂の器(ホムンクルス)とは違う。温かさを持った存在。


『――ふっ、うふふ、あははははっ!』


 自然と、心の底から笑っていた。

 そしてミリと名乗った少女の目を見る。


(透き通った碧……知識と実物は、こんなにも違う)


 この思いは、無意識に口からポロリと漏れた。


『あなた、綺麗な瞳をしてるのね』


 ◆◆◆


「あぁ……」


 ミリは自室に戻るや否や、ベッドに頭から倒れ込む。


「つか……れた」


 あれから現場は大混乱だった。

 本日の作業はどうするか、という話から始まり、壊れた魔導機械についてやその責任。ミリが何者なのか……などなど、後始末に追われるハメとなり、時間はもう午後の10時を回っていた。


「今後の調査、大丈夫かな……」


 途中で《魔女》の助けが入ったことや、他にも機械の声を聞いた従業員がいたことで、一旦はミリの無実が証明されたものの、現場の人間がミリに悪印象を持ったのは確実だろう。

 これからの調査が、一段と動き辛くなることは間違いなかった。


「もう何も考えたくない……」


 あまりの疲れに、夕食の味もお風呂の温かさも覚えていなかった。今すぐにでも眠りの世界へと落ちて行きそうな。

 

「ミリちゃん、起きてますか?」

 

 部屋の扉が開いた。

 バッと振り向くと、そこには壁を頼りにして何とか立っているアナウスがいた。


「アナウス! ど、どうして……」


 ミリは咄嗟に彼女へ近付き、その体を支える。

 そしてそのままベッドへと誘導し、座らせた。ミリは対面の椅子に腰を下ろそうとする。


「ミリちゃん。隣に座って? ね?」


 アナウスは左手でベッドをトントンと叩く。


「で、でも……」


 しかしミリの体は動かなかった。

 ミリは自身の両腕を見る。あれから時間が経ち、もう鉤爪のような手は元に戻っている。それでも彼女は怖かった。


『あ、あなたは……ダレ……ですか……』


 アルファの震えた声がフラッシュバックする。

 また、拒絶されるのが怖い。目の前の両腕が小刻みに震えだした。


「大丈夫。私たち、似たもの同士……でしょ?」


 しかしその手を優しく包む両手。

 ミリが顔を上げると、ベッドから立ち上がったアナウスが優しい笑顔でこちらを見ていた。


「アナウスは……怖くないの?」

「うーん? 誰が?」

「…………私が」


 そう言うと、アナウスの手の力が更に強くなる。


「もちろん怖くないですよ。ミリちゃんは優しいもの」


 ミリの中で何かが弾けた。

 包まれた手を振りほどき、勢いよく立ち上がる。


「あのね、私は化物なの! 何かがあると頭が真っ赤になって、そして辺りを壊す。そんな化物なんだよ! あなたは何も分かってない!」


 ミリは荒い息を吐く。


 どれだけ自分に親しくしてくれている人でも、自分の本当の姿を知れば、離れていく。

 アルファだって。ノクスだって。他の《召使》も。今日の従業員も。


「私に近付かないほうがいい。どうせあなたもいずれ――」


 ミリの体を、温かい感触が包む。

 アナウスが彼女を優しく抱きしめたのだ。


「さっきも言ったでしょう? 私とミリちゃんは似たもの同士……って」


 アナウスの細い指が、ミリの髪をなでる。黒い髪が指の隙間を通って抜けた。


「ねえ、聞かせて? どうしてミリちゃんはその道を選んだの?」


 ミリはしばらく黙る。

 黙る。

 彼女が口を開くのを、アナウスは辛抱強く待った。


「…………守るって……そう、決めたの」

「うん」

「みんなが傷付くくらいなら……私が悪魔になった方がいい……って、思ったの」

「うん……」

「でも、そうしたら……みんな離れて行っちゃった……」

「ひとりは……さみしいよね」

「私……間違えてたのかなぁ……?」


 ミリの体が小刻みに震えだす。

 アナウスは、もっと力強くミリを抱きしめた。顔を見るなんて無粋な真似をしないように。部屋に音が響いた。


 ◆

 

「ズビ……」


 ミリが泣き止んだあと、2人はそのままベッドで横並びに座った。2人分の体重を、柔らかい羽毛が受け止める。


「ほら、ハンカチ」

「ありがどう」


 鼻声のまま、ミリがハンカチを受け取る。

 そしてミリは盛大に鼻をかんだ。アナウスが小さく苦笑いをする。


「あ、アナウス……体は大丈夫? ずっと立ってたけど……」


 段々と冷静になったミリは、体の弱いアナウスにとんでもない負荷をかけていたことに気付き、不安そうな表情で尋ねる。


「私、ミリちゃんの近くにいると落ち着くみたい――なんででしょうね? 不思議!」


 アナウスが夜を照らす光のような笑顔を向ける。

 ミリは全身からホッとした雰囲気を出して脱力する。


「ねえ。アナウスって……どうしてそんなに私に優しくしてくれるの?」


 ふと気になったことを尋ねる。

 ミリとアナウスはこれまで数回しか会っていない。なんなら今日がほぼ初対面のようなものだ。それなのに、なぜ彼女はここまで自分を気にしてくれるのだろうか。


 アナウスは少し黙ったあと、次に困ったような顔をし、最後には決意したような表情へと変わった。


「…………ねぇ、ミリちゃん。私も、少し自分の話をしていいかな」

「うん、聞きたい」


 アナウスは体重を後ろにかけて天井を仰ぎ見る。


「私ってね、生まれた時からほとんど人と関わったことがないの……ほら、こんな体でしょ? だから学校とかもまともに通えなくて」


 座っているだけで咳が止まらず、歩けば血を吐く。

 そんな少女が1人で学校に通い続けるなど、確かに不可能だ。


「確かに爺やは家族のように思ってるけど、他に友達って呼べるような子は1人もいなかった。私の世界はこの邸宅と、本の中だけだったの」


 朝に「アナウスは本が好きなのか」という話をしたことを思い出した。

 アナウスにとっての本は、文字通り彼女の世界そのものだったのだ。


「それでね。一目ミリちゃんの瞳を見た時に分かったの――この子、私と同じだ――って」


 もう一度、アナウスはミリの瞳を覗く。

 紫色に濁った目。でも、アナウスはその目を見ても「美しい」と感じた。


「私と同じで……どこか遠くを見てるようで、実はなにも見えてない。何も分からない子なんだって」


 ミリの頬に手を伸ばす。

 まだ僅かに残っている涙の跡を、指で軽くなぞった。


「だからその不安定で、危なっかしい瞳を見て……私もそこに踏み込んでみたい、って思ったの。同じ ”悪魔憑き” なんだから、一緒に歩んでみたいって」

「それは、アナウスの好奇心なの?」

「――えっ」


 ミリにそう聞かれて、アナウスはハッと何かに気づいたような表情を見せた。

 すぐにその顔が曇る。


「違います。多分――私が救われたかっただけなんだと思います」


 彼女もミリも、共に長い孤独を経験した身。

 2人はお互いのこれまでの人生について、深くは知らない。でも、色々な物を失ってきた者同士だからこそ、一目で通じ合う何かがあったのだろう。


「ミリちゃんを肯定すれば、私という存在の肯定にもなるって……無意識にそう思ったんじゃないかなって」


 今度はアナウスの目尻に涙が溜まる。


「だから……ごめんなさい。これは私の身勝手――でもそれって、ミリちゃんに失礼ですよね」


 アナウスが顔を手で覆う。

 その肩が震えた。


「話してくれて、ありがとう」


 ミリはその背中を優しく撫でる。むしろアナウスの境遇に共感したのだ。

 心の中がスッと軽くなっていくような気がした。


(思っていることを喋れる関係って、こんなにも落ち着くんだ……)


 外の世界で出来た初めての友達だった。

 それならば、アナウスに対して不義理を働くことはできない。


「――私ね、今はセレノアさんの工房で起きた事故について調べてるんだ」

「…………え? ミリちゃん?」


 自身の任務内容を喋りだしたミリに、アナウスがゆっくりと顔を上げる。


「原因は、工房内の魔導機械が外部から強力な魔力共鳴を受けたこと。これから私はその発信元を特定しなきゃいけない」

「どうして…………」


 困惑するアナウスに向かって、今度はミリが太陽のような笑顔を向ける。


「一緒に歩むんでしょ。だったら隠し事はなし! だから!」


 ミリは左手を差し出す。

 アナウスはその手を取り、しばらく笑い合った。

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