第14話 箱入り娘は窓を見る
それから約二ヶ月後。
「オ嬢様。コチラ、イツモノハーブティーデス」
「爺や、ありがとうございます」
ヴェルディア家、邸宅の2階。アナウスの部屋は、そこにあった。
椅子に座り、本を開いて静かに読書する少女アナウス。若さ弾ける美しい銀髪に、蜂蜜のように透き通った黄金の瞳が紙の上の文字に沿って動く。
「イエイエ――オット!」
「爺や、大丈夫ですか?」
「エエ、少シフラツイテシマッタダケデス」
机にハーブティーを置こうとしたFM052の動きが若干乱れる。カップの中の液体が揺れるが、幸い零すことはなかった。
「最近、体ガ重イ時がアルノデス。潤滑油ガ足リテイナイノデショウカ」
「それなら、私が差してあげましょう」
「トンデモナイ。オ嬢様ノ手ヲ煩ワセルワケニハ」
「私は気にしないですのに――ケホケホ!」
咳をするアナウス。FM052は静かにハンカチを差し出した。
彼女は、少し長く喋っただけで咳をしてしまうほど体が弱かった。そんな状態では、当然歩くこともままならない。アナウスはいつも椅子の上に座っていた。
「シカシ、オ嬢様。本日ハイツモヨリ気分ガ浮ツイテイルゴ様子」
FM052の指摘は尤もだった。
アナウスはいつも通りに本を読んでいるつもりなのだろうが、足を組み替える頻度が異常なほどに上がっている。刺繍の入った白いタイツが、表紙に頻繁に擦れている。
「当然です!」
そして彼女、実は先ほどからその本のページを一切めくっていない。文字を読む目が空振っているのだ。内容が頭に入っていないのだろう。
「今日は初めて外からお客さんが泊まりにくるのですよ。しかも同年代の女の子だって! ワクワクしない方が――ケホッ! ケホッ!」
「オ嬢様。アマリ大キナ声ヲ出サレテハ」
ハンカチに血がつく。
大きく咳を続けた彼女は、机の上に置いてある珈琲を何口か飲み、喉を潤した。
「ケホッ! ……ところで爺や、その子はあとどれくらいで来るのかしら?」
「事前ニ知ラサレタ時間ニヨルト、モウ来ラレテモ、オカシクナイカト」
腕時計を見ながらFM052が答える。
現在の時刻は午前の9時ちょうど。予定通りであれば、邸宅に到着している頃だ。
ゴン! ゴン!
正門側の扉から、ドアノッカーの音が響いた。
ヴェルディア邸宅の警備は厳重だ。正門には警備員がいるし、このドアノッカーだって事前に申請した者しか動かすことのできない魔導刻印が施されている。
つまり、この音は正式な来客が訪れたことを示していた。
「あっ!」
「――オ嬢様、ワタクシガ」
「ええーっ! 私も見たいのにーっ!」
「オ嬢様ハ、セレノア様ニ言イツケラレテイルデショウ」
先日。アナウスは母であるセレノアから「泊りに来る客人とはできる限り顔を合わせないように」と言いつけられていたのだ。
その時は従順に頷いたアナウスだが、彼女の中にある「人と会いたい」欲は全く収まる気配を見せていない。
「でも…………」
シュンとするアナウス。
その様子を見て、FM052は口元に指を立ててこう言った。
「ゴ安心クダサイ。オ客人ガ、セレノア様トノ話ヲ終エタラ、私ガ取リ計ラッテミセマショウ」
アナウスの顔がパーッと輝く。
「本当!? 約束ですからね!」
FM052は深く頷いて部屋を後にした。
◆
約30分後。
「――集中できません!」
アナウスは本を机の上に放り投げ、椅子の上で四肢を伸ばした。
「あぁ~! 一体どんな子なのかしら! 活発で元気な感じ? それとも奥手で静かな感じかしら?」
頭の中で色々な姿の女の子が現れたり消えたりする。
会うことができたら、まずはなんの話をしようか……アナウスの想像は膨らむばかりだった。
『――コチラガ、ミリ様ノオ部屋ニナリマス』
すると、廊下の方からFM052の声が聞こえてきた。
(お母様との話が終わったんだわ!)
アナウスの心臓が跳ねる。
彼女の中の好奇心が止められないほどに溢れ出してくる。
(少し……少し顔を見るだけ……)
椅子のひじ掛けを全力で掴み、アナウスが立ち上がる。
そのまま壁に手をつき、彼女はジリジリと扉の方へと歩いていく。そしてドアノブをひねり、それを開いた。
「――ケホッ! ゲホッ!」
しかし、無理をした代償がアナウスを襲う。
彼女は大きく咳をするが、寄りかかる場所が見つからず、そのまま開いた扉に向かって倒れてしまった。
「オ嬢様!」
廊下へ倒れたアナウスに気付いたFM052が、驚いた声で駆け寄る。
彼に抱きかかえられる直前、アナウスは奥に立つ女の子の姿を視界に収める。
短く切られた黒い髪に、華奢な体。意思は強いけど、どこか不安そうな顔。アナウスは今でもその少女のことをハッキリと覚えていた。
「……ミリちゃん?」
素っ頓狂な自己紹介をした、かわいらしい少女。
その瞳は、紫色に濁っていた。
◆
「驚きました! まさかお客さんがミリちゃんだったなんて!」
「あの時は、ちょっと恥ずかしい姿を見せちゃったけど……」
数分後。2人はアナウスの部屋で談笑していた。
机にはスリーティアスタンドが置かれており、色々な種類のお菓子が並んでいる。
「そんなことないわ。むしろあの時のミリちゃん、凄くかわいかったもの!」
「そう……かな?」
FM052は部屋の外に出て、セレノアが来ないか見張る役をしている。
「そう言えば、アナウスって身体弱いんだよね? さっきも倒れてたし……こんなに長く喋っちゃって大丈夫?」
ミリが部屋に来てからというもの、アナウスは喋りっぱなしなのだが、以前のように咳はしていない。
「あら、優しいんですね。でも今の私、なんだかとても調子がいいの! 心配は要らないわ!」
そう言って、アナウスは自身の胸をドンと叩く。どうやら強がりなどではなさそうだ。
「ねえねえ。ミリちゃんって、なんでこの家に来たんですか? ただ遊びに来たって感じではないんでしょう?」
「あーえっと……ごめん。正直その内容について詳しくは話せないんだ。でも、アナウスには迷惑かけないから」
アナウスは少し頬をふくらませた。
「ケチ~! それに迷惑だなんて。私はむしろ巻き込んで欲しいくらいですのに!」
「そんな物騒な……」
ミリはどう反応していいのか分からず、苦笑いで返す。
スタンドに置かれたマカロンを口に放り込みんだアナウス。ミリもそれに続いてお菓子を1つ頬張った。
「――そうだ。ミリちゃんって《魔女》さんのお屋敷から来たんでしょう? もし持ってたら、何冊か本を貸してもらえないかしら?」
ナプキンで上品に口元を拭いたアナウス。
彼女の意外なお願いに、ミリは少し驚いた。もっと《魔女》ならではの物を欲しがると思っていたからだ。
「アナウスは本が好きなの?」
「好き……と言うよりは、それ以外にやることが無かっただけですけどね。それを本当に "好き" と表現していいのかは分かりません」
ちょっと分かる気がした。
ミリ自身にも、少し通ずるところがあったからだ。
「本かぁ……あっ! ちょっと待っててね!」
頭の中で、持ってきたものを羅列していく。その中で一冊だけ本をバッグに詰め込んでいたことを思い出したミリは、アナウスの部屋を出てそれを取りに戻った。
十数秒でミリが戻って来る。その手には一冊の分厚い学術書があった。題名は――『魔王と悪魔憑きの史学から読み解く魔法原理』。
「持ってきたのはこの1冊だけなんだけど、凄く内容が難しくて……私はまだ読みきれてないんだ」
アナウスはその本の表紙を見て、興味深そうに目が輝かせる。
「これは……私が読んだことのない本です! お借りしても?」
「もちろん、いいよ」
「やったぁ!」
新しい本を胸に抱えて上機嫌になるアナウス。
「すべて読み終えたら、ミリちゃんにも教えてあげますね!」
「えっ、いいの? さっきも言ったけど、内容すごく難しいよ?」
アナウスはもう一度、自分の胸をドンと叩いた。
「任せて下さい! 私、こういう学術書は何冊も読んできたので!」
難しい本を読むには、当然それを理解するだけの前提知識が必要になる。それを何冊も読めると聞き、ミリは素直に感心した。
(同い年なのに、アナウスって凄いんだな……)
ふと、ミリは時間が気になり、腕時計をチラリと見る。
「あっ、いけない! もうこんな時間!」
そして慌てたように席を立った。対面のアナウスが首を傾げる。
「――もしかして、調査ですか?」
「え、知ってたの?」
ミリは驚いた顔でアナウスを見る。彼女は少し意地悪そうな笑みを浮かべていた。
「最近お母様が大変そうにしているので、それ関連かな~と。つまり当てずっぽうです。掛かりましたね~」
「……勘弁してよ」
ミリは困ったように苦笑いをする。
「――ッ!」
しかしアナウスはその目を見て、息を呑んだ。
(なんでしょう……この拒絶感)
彼女は明確にアナウスを嫌っているわけではない。むしろその逆かもしれない。
でも、それと同時に ”超えてはいけない一線” を目の前に引かれているような、そんな感覚をアナウスはおぼえた。
「じゃあまた、お話聞きに来るね!」
「……は、はい! 約束ですよ!」
数瞬後には、いつもと変わらないミリの笑顔があった。アナウスは手を振りながら彼女を見送る。
バタン!
扉が閉められる。部屋に再び孤独が舞い戻った。
「ケホッ! ケホッ!」
ハンカチで口元を押さえる。これまで喋った分が一気に揺り戻されたかのようだ。
それでもアナウスの興奮は冷めない。彼女はミリの顔を思い出した。
(あの頃から、すっかり見違えた感じがします。なにかあったのでしょうか?)
少し話した感じは、普通の女の子だった。以前に見た彼女と印象は変わらないまま。
でも、アナウスは見てしまった。
あの透き通った碧色の瞳が、紫色に濁っていたのを。
(とてつもない決意の強さ。その中に――1さじの危うさが混じった瞳……)
アナウスは窓を見る。
外は文句のない透き通った晴れ。それと正反対の色を持つミリの瞳を思い出す。
それでも――彼女の口からは、あの時と同じ言葉が漏れた。
「あぁ……綺麗な瞳」
アナウスはそれを、美しいと思った。羨ましいと思った。
ミリが見せたあの拒絶感。一瞬だけ消えた目の光。そのすべてに。
「この気持ちは……いったい……」
怖いけど、踏み込んでみたい。そう思った。




