第11話 拒絶
「ミリさん、おはようございます~。先日は大丈夫でしたか?」「うん、問題ないよ」
翌日は昼番だった。
ミリはあの後、その日は休暇を貰って体を休めた。起きた時には腕の痛みはスッキリ引き、背中の翼も幻覚だったかのように消えていた。
そんな彼女を見て、アルファは心底安堵した様子で挨拶を交わす。
「あ、ミリさん。腕が……」
しかし気付く。
ミリの両腕は、昨日と同じ真っ黒に染まった状態のままだった。鉤爪のようだった手は収まっているが、それでも心配なものは心配だ。
「これ? 昨日の影響が残ってるのかな。でもこっちも問題ないよ」
「でも……」
「なんでそこまで気にするの? アルファには関係ないでしょ?」
「あ……うん」
突き放すようなミリの物言いに、アルファがたじろぐ。
どこか気まずい空気が流れる中、ミリと《召使》たちは部屋の掃除を続ける。魔導具が魔力と共鳴する音だけが部屋に響く。
「……面倒」
「え?」
ポツリと、ミリが呟く。
アルファが何かを言うよりも速く、ミリは手に持っていた掃除用の魔導具を床に放り投げ、左腕を掲げた。
「集え」
すると、ワイングラスを掴むように掲げられた手のひらに吸い込まれていくように、部屋中の汚れという汚れが集束していく。そうして集まった黒い塊を、ミリはバケツの中に落とす。
「解除」
するとバケツの中に転がっていた黒い塊が拡散し、真っ黒な液体となって充満する。一瞬の出来事だった。
「空気中の魔力を媒介にして、部屋の汚れを集めるなんて……」
ところどころで掃除をしていた《召使》たちは、何が起きたのか分からず困惑する。だが一連の流れを目の前で見ていたアルファは、先ほどミリが披露した神業に驚愕していた。
バケツの中には、純粋な液体状の魔力と部屋の汚れが収まっていた。
「ミリさん。あなたは一体――」
「次に行こう」
ミリはスタスタと部屋を出ていく。
それからも彼女は同様の方法を使い、瞬く間に掃除を終わらせていった。《召使》たちは曲芸を見ているかのように、それを眺めることしかできなかった。
「――これで最後だね」
そして約10分後、最後の部屋を綺麗にしたミリがバケツに黒い塊を放り込む。
「アルファ、他にやることはある?」
「え、ええと……」
ミリが振り返ってそう尋ねるが、あまりに急なことでアルファもどうすればいいのか分からなかった。その時。
「排泄……これは避けられないんだ」
部屋が揺れ出す。
しかし、今回の排泄は異常だった。まるで二ヶ月前のあの事件のように。
床や壁が大きく歪み、轟音が鳴り響く。他の《召使》たちは立っていることすらできず、地面にしがみついた。
「なんて広さ……」「一体なにが起こってるんじゃ!?」「やべー」「異常です! 速くマスターに知らせましょう!」
排泄の準備が整った部屋は、とてつもなく広かった。
流石に単眼巨人が出た時ほどではないが、確実に六方晶の大狼が出たとき以上はあった。
巨大な泥の塊が落とされる。
そこから出てきたのは、肉塊のような塊が集合している球状の魔物だった。
1つ1つの塊は人の顔だったり、獣の骨格だったり、魔物の目だったり……まるで ”無作為に全てを取り込み、失敗した” ような造形の奇妙な見た目をしている。
「暴喰融合体……この屋敷、異変個体まで排出するわけ?」
この魔物は、元々このような姿だったわけではない。
最初は一匹の小さな魔物で、喰らったものの特性や魔法などを模倣する魔法を持っている。ただその数や期限には限界があり、通常であれば大した脅威にはならない。
「私たち5人では手に余ります!」「マスターが来るまで退避に専念するのじゃ!」
なんらかの突然変異で生まれた、喰らったものとの融合を延々と蓄積する個体が長年をかけて別の魔物となったのが、この暴喰融合体だ。
本で読んだことがある。表の世界で最後に現れた記録は、約150年前。
『大森林アル・オペリアで発生した当該魔物は、首都である大樹エルダウィスを襲撃し、そこに住む森人族約3000人を殺害後に融合。計5万人以上が重軽傷を負う、アル・オペリアの歴史上最も悲惨な魔物災害の1つとして記録されている』
宙を浮いている暴喰融合体口が1つ開く。
口を開いた竜の頭蓋骨から、灼熱の炎が吹き出した。部屋中を飲み込むほどの熱風を、ミリは拒絶の手で防ぐ。
「いきなり無差別攻撃って」
ミリの中に、苛立ちが蓄積する。あれが《召使》たちに当たっていたら、どうなっていたか。脳裏にあの光景がフラッシュバックした。
「%#$’(&`*?>*{``}>」
奇妙な雄叫びをあげる暴喰融合体。
今度は別の口が2つ開き、そこから蜘蛛型の魔物を無数に放出した。
「大毛蜘蛛!」「まだ幼体じゃ! みんなで防衛に専念するぞ!」
短剣を構え、波のように襲ってくる魔物たちを斬り伏せていく《召使》たち。
ミリは本体を潰すため、右手で共鳴している魔力を、防御から攻撃の魔法に移行する。
「貫け」
純白の砲弾が暴喰融合体に向かって放たれる。
だが、その攻撃は肉塊に当たる前に霧散してしまった。
「魔力を分散する魔法……厄介だね」
ミリの中の苛立ちが更に募っていく。
魔物の攻撃は止まらない。今度は新たに3つの口を開く。
そこから霧状の息が上空に向かって噴射され、天井には真っ黒な雲が充満した。そして天井から雨が降り注ぐ。
「きゃっ!」「これは……酸か!?」「とけちゃう」「不味いですね……」
服が煙を立てて溶け出したのを確認し、ミリは急いで右手を拒絶の魔法に移行する。傘のようなバリアが酸の雨から《召使》たちを守った。
(右手が塞がれたままでは攻撃ができない……かといって、解除すれば《召使》たちが溶けてしまう)
暴喰融合体が、ミリに適応していく。
融合したことによって獲得した無数の魔法と知性。かつて魔法のプロフェッショナルが揃っているアル・オペリアで猛威を振るった理由がよく分かる。
新たに口が1つ開く。
人間の口は、何か歌のようなものを唱え始めた。
「♪♮♬♪♪♫♮♭♯♫♯♮♬」
「みぎうでそんしょう」「魔物が突然強く……ッ!」
今だに溢れ続ける大毛蜘蛛たちの動きが俊敏になっていく。
状況は見るからに劣勢だった。
全身に真新しい傷を作っていく《召使》たち。ボロボロになっていく彼女たちを見て、ミリの体の奥底から、グツグツとマグマのような感情が湧き上がってくる。
「やめて……」
暴喰融合体の口が、新たに5つ開く。
獣の頭蓋骨たちから、5つの真っ黒な光線が放たれた。
「やめて…………ッ」
その光線は大毛蜘蛛たちを巻き込みながら、《召使》たちを襲った。
「ギャッ!」「アルファ! 大丈夫か!?」「そろそろやばい」「みなさん! アルファさんを守る陣形へ!」
1本目の光線はそれぞれが剣で弾くも、2本の光線が襲ったアルファの右腕が貫かれる。短剣が地面に落ちる音が響いた。
――その瞬間。ミリの頭にある何かが、プツリと千切れた。
「やめろおおおおおおおおおッ!!」
ミリの視界が真っ赤に染まる。
背中に、1対の翼が生え、手先は真っ黒な鉤爪のように変形し、瞳は紫から紅色へと近付いた。
「虫けらがッ! 私の友にその汚い魔力で近付くなッ!!」
そして左手を力強く握った。
部屋が歪んだ。しかしこの現象は排泄時のそれではない。
まるで巨大なブラックホールが中心に現れたかのように、空間が引き裂かれていく。
「圧縮!」
床が。壁が。天井が。魔物も無機物も見境なく、全てを引き剥がし、引きずり込んでいく。それはまさに ”小さな世界の終わり” の光景だった。
「貴様が魔力を分散するならば、この空間丸ごと捻り潰してくれるッ!」
なんとか抵抗しようと、暴喰融合体が新たに口を開ける。
しかし、そこから共鳴した魔力ごと空間の歪みに巻き込まれるせいで、魔法が発動しない。いくら無数の魔法を持っていても、為す術は存在しなかった。
「’#>`#’$_”&!_(%*{」
暴喰融合体は唸り声をあげる。
それは自身の死を予感したからか……それともこれまで融合してきた生物たちの模倣か。
「弾け、死に絶えろッ!」
そして最後にミリは右手を握った。
すると限界まで圧縮された空間が、炸裂弾のように弾け飛んだ。
真っ白な閃光の後、遅れて爆音が響き、最後に突風がミリたちの場所まで届く。
あまりの光と強風に目を閉じていた《召使》たち。彼女らがようやく目を開くと、そこには何もなかった。
屋敷が部屋ごと吹き飛び、壁があった場所からは外が見えている。
埋め込まれていた水道管や鉄骨が不細工に飛び出し、まるで骨格を露出した人体のような有り様であった。
「…………」「…………」「…………」「…………」
誰もが口を開けて目の前の光景を見ていたが、声を発することはできなかった。
「アルファ、大丈夫?」
尻もちをついて呆けているアルファの背後から、ミリが声を掛ける。
「み、ミリ……さん」
恐る恐る顔を上げたアルファに、ミリが手を差し出す。
「――ひっ!」
しかしその手を、アルファは取らなかった。取れなかった。
黒い鉤爪のように変形した手、背中から生えた翼。赤紫色の濁った瞳。
「あ、あなたは……ダレ……ですか……」
震える声で聞くアルファ。ミリは首を傾げた。
「なぜ、そんなことを聞くの?」
心底理解できなかった。
ミリは拒絶された自分の右手を見つめる。
自分は自分のままだ。何も変わっていない。なぜ彼女たちは恐れる? なぜ逃げる? 離れていく? そんな目で私を見るな。私は……私は――
ふいに、拍手が聞こえた。
その場にいる全員が、音の方向を見る。
「素晴らしい……素晴らしいよ」
《魔女》だった。
その翠の瞳は、ミリを真っ直ぐに見ていた。




