第10話 1つ目の選択
「拒絶と受容……分断と融合……」
ミリは無意識に口で反復する。
長い間探してきた ”魔法の真の力” 。謎のままだった、自分の内側に眠る魔族が持つ魔法。それが明らかになった。
「原初の魔王ルシフェル……まさか、そんな凄い存在だったなんて」
ルシフェルと一度も顔を合わせたことはない。ただ、初めてそれが表に出てきた時、ミリは彼をかなり近くで感じていたことを思い出す。
「あの感覚……取り戻せないかな……」
ミリの中に、危うい炎が灯る。
(私は誓った――悪魔に魂を売ってでも ”普通” を……みんなを守る力を手に入れる)
今でも夢に見る。
あの時、ノクスが拳に叩き潰され、永遠に帰らぬ肉片へと変わる夢を。
「あんなことは……もう二度と、起こさせない」
ミリは自分に言い聞かせた。
◆
変化は劇的だった。
自分の魔法の力を自覚したミリは、その出力を格段に上げた。
ルクスにお願いして昼番の量を増やし、実戦を重ねていくことで、掃除も安定して片付けられるようになるまで成長した。
「腐敗の顎門に相違ない!」「近くに寄るだけで腐っちゃうっすよ!」「なんと恐ろしいのじゃ……」「服についたら廃棄まっしぐらですね……!」
ミリは左手を握る。
「融合」
すると魔物は地面に張り付いたかのように動けなくなる。他の《召使》たちが腐臭の影響を受けないようにしたのだ。
次に右手をかざす。
「分断」
すると周囲から魔力の光が集まり、1つの玉のようになる。
ミリはそれを腐敗の顎門に向かって放った。光の玉は魔物の身体にめり込んで見えなくなる。
「▲▲▲▲▲▲▲!」
そして数瞬後――腐敗の顎門は中から弾けるようにして討滅された。
跳んでくる肉片が《召使》たちに当たらないよう、ミリは拒絶のバリアを張ることでそれらを防ぐ。一連の動きは研ぎ澄まされていた。
(腕の痛みもない……完璧だね)
「…………」「…………」「…………」「…………?」
目の前で起きた余りにも速い処理に、その場の《召使》たちは反応を返すことすらできなかった。
◆
来る日も来る日も、研鑽を続けた。
時には掃除のヘルプとして駆けつけてまで、ミリは魔法を研ぎ澄ませた。
気付けば、ノクスの事件から二ヶ月が経過しようとしていた。
「どうして……なんでまだ、認められないの……?」
それでも屋敷の扉は、ノブを回さなければならなかった。
ミリの中に焦りと苛立ちが募る。
拳を握り、扉に強く叩きつける――その音は空虚に響き渡った。
◆
その日は珍しく朝番だった。
「ミリさん、卵料理を食卓に持っていって欲しいです~」「おっけーアルファ!」
出来上がった料理の皿を持ち、ミリが食堂へと歩いていく。
いつも通りの光景。しかし――
「ぎゃああッ!」
ミリの苦痛に満ちた声と同時に、数枚の皿が割れる音が響いた。
「ミリさん!? 大丈夫ですか!?」
アルファが急いで様子を見に行くと、そこには床に転がり、苦しそうに蹲るミリの姿があった。床に落ちた皿の破片で指を切ってしまっている。
「――ッ! こ、これは……?」
ミリの側に寄ったアルファは、ミリに起きているある異変に気付く。
その両腕が黒く変色し、手の先は鉤爪のように鋭く変形していたのだ。
「きゃっ!」
それだけではない。
ミリの背中から一対の翼が生える。右側は純白。左側は漆黒の美しい翼だった。
あまりの変化に驚きながらも、アルファは再びミリに近付き、その身体に触れながら呼びかけた。
「ミリさん! ミリさん! 返事できますか!?」
アルファの声にしばらく唸っていたミリ。
だが必死の掛け声も虚しく、ついにその両目が閉じ、ミリはそのまま意識を失ってしまった。
◆
「――――――ハッ!」
ミリは目を開く。
辺りを見渡すと、そこは黒いモヤのようなものが一面を覆う不思議な空間だった。明らかに屋敷の中ではないことは分かる。
(痛みが……消えてる)
両腕を見る。
腕を捻り取られるような痛みは消えており、変色もしていない。
(さっきのは夢? いや、どちらかというと、今の方が――)
「混じったことはあるが……こうして顔を合わせるのは初めてか、小娘」
背後から声がした。
バッとミリが振り返ると、数段高い位置に置いてある玉座に腰掛けた男がいた。
額を露出した黒い髪、ワインのように紅い瞳、頭には王冠にも似たヘイロー、そして背中からは白黒3対の翼。
(やっぱり私の中にいるのは、あの……)
目の前にいたのは、ミリが『旧時代魔族大全』で見た原初の魔王――ルシフェルそのものだった。
(これが、魔王……ッ!)
本で見ただけでは伝わらなかった圧倒的な存在感。
見ているだけで潰されてしまいそうな圧迫感が、ミリの全身を襲う。額から冷たい汗を流しながら、ミリは口を開いた。
「あなたが私をここに呼んだの?」
ルシフェルはその言葉にしばらく返事をしなかった。
余裕。軽蔑。それとも聞こえていないのか。
玉座の上で足を組み替え、彼はつまらなさそうに答えた。
「たわけ――貴様が、こちらに寄ってきたのだろう」
ルシフェルが指を鳴らす。
すると周囲の黒いモヤが風に吹かれたように消え、代わりに荘厳な内装がミリの視界に映った。まるで城の中にいるかのようだった。
「貴様は我に近付き過ぎた。これ以上、我が魔法を使うことは許さん」
そして、衝撃的な言葉を告げられる。
「そんな……ッ!」
ミリは愕然とする。
もし魔法が使えないなんてことになれば、課せられた《魔女》のタスクも、友と自分への誓いも、これまでの研鑽もすべて無駄になってしまう。
「どうして!? 魔法が使えないと、これから私――」
「何か勘違いをしているようだな」
ルシフェルはつまらなさそうな態度を崩さない。
「これは我の力であって、貴様のものではない――今まで貴様が使っていた魔法は、地下から湧き出るちっぽけな水を両手で掬っているようなもの。どの道、限界は来る」
「じゃあ私、どうすれば……」
「知らん」
寄り付く島もなかった。
「忠告はしたぞ――これ以上、我が領域へ足を踏み入れるな」
そしてルシフェルは再び指を鳴らそうとする。
「――待って!」
ミリが叫んだ。
彼の動きが止まる。
「1つ聞かせて……あなた、あの時どうして私と混じったの?」
「あの時?」
「4年前――私たちが処刑された日のことだよ。あの時、なんで私に干渉したの?」
一族がグリザリオで処刑された日。ミリは当時10歳だった。
ギロチンが彼女の首を落とす瞬間、まだ幼い彼女とルシフェルは初めて融合した。圧倒的全能感と、強大な力。そして感情の欠落。
4年経った今でも、ミリはあの感覚を忘れられずにいる。
「……ただの気まぐれだ」
「嘘だね」
ルシフェルの眉がピクリと動いた。気に触ったのか。
しかしミリはもう後に引けない。
「あなたは、私が命の危機に瀕すると表に出てくる。これまで2回ともそうだった。この時点で ”私が死ぬこと” に何か不都合があるのは確定してる」
処刑の日。そして黒衣の剣士に襲われた日。
彼がこれまで表に出てきたのはこの2回のみ。他はない。
「だけど今までずっと分からなかったのは、融合と支配の違い。なぜあなたは完全に表に出られるのに、最初はそうしなかったのか……ずっと考えてた」
2回目――つまりミリが屋敷に来る直前。
あの時のルシフェルは、ミリの身体を完全に乗っ取っていた。しかしそれが可能なら、処刑の日にも同様にすれば良かったはず。
「答えは簡単――」
高鳴っていく鼓動とは裏腹に、頭の中は不思議なくらいにクリアだった。
「あなたの本来の目的は ”融合” の方である。わざわざ旧時代から時を超えて私の中に潜んでいるくらいだから、そこにはあなたにも無視できない何らかの制限があるはず。私を完全に ”支配” して乗っ取ることは不可能なんじゃないの?」
事実、ルシフェルはミリを最後まで支配し続けられなかった。
「……それで? 何が言いたい」
ルシフェルはその表情を1ミリも動かさない。
相変わらず、つまらなさそうにしている。
「だから――」
心臓がドクドクとうるさい。
ミリは胸を押さえながら言葉を続けた。
「あなたに、私の魂の半分をあげる。だから "融合" しなさい」
ルシフェルが初めて表情を崩した。
目を見開き、不思議な生き物を見るような顔でミリを見つめる。
「何が……目的だ」
「私はね、歩みを止めるわけにはいかないの。悪魔に魂を売ってでも、みんなを守るって決めた。ただそれだけ」
怖くないと言えば嘘になる。でも、もう止まれない。
「…………」
「いやだって言うなら、起きたらすぐに首を切って自殺してやる。魔法が使えなくなったら、もう生きてる意味なんてないから」
「貴様……正気か?」
その時、ルシフェルは見た。
目の前の少女の瞳に灯る――危ないくらいに激しい炎を。
「ふ、ふふ……フハハハハハハハハハハッ!」
彼は腹の奥から湧き出る感情に従い、大きく口を開いて笑う。
「面白い。それが貴様の選択か」
「後悔はしない」
「いいや、貴様は必ず後悔するだろう――だがその執念、後悔を燃やし尽くすには十分だ…………いいだろう。その契約を受け入れよう」
今度こそ、彼は指を鳴らした。
「我を驚かせた褒美だ。頂く魂は3割にまけてやる」
周囲が再びモヤに包まれていく。
それは始めよりも更に濃くなっていき、遂にはルシフェルの姿までも覆い隠した。
ミリの意識が途切れる直前、ルシフェルの声が脳内でエコーのように響いた。
『ゆめ忘れるな――答えは身近に転がっている』
◆
「ミリ…………」
ルクスは、ベッドに寝かされたミリを心配そうに眺めていた。
ミリが倒れたと聞き、居ても立っても居られず《魔女》の部屋へと突撃したのだ。
現在、部屋の主は不在で、ここには2人しかいない。ルクスはミリの手を握った。その手は真っ黒に変色している。
「これ以上……無理はしないで……」
本人に聞こえてないのは分かっている。でも、ルクスは祈るように呟いた。
祈るしか、なかった。
「ん…………う…………」
「ミリ!」
ミリが小さく唸りながら上体を起こす。
素早く顔を上げたルクスは、涙に潤んだ瞳でミリの顔を見た。
「良かった。目覚めなかったらどうし――――え……?」
ルクスの表情が固まる。
美しい碧色だったミリの瞳――それが、紫色に濁っていた。
「……ルクス」
「あ……え……み、ミリ……だよね……?」
ルクスの目の前にいたのは、冷たい表情と濁った瞳でこちらを見る――ミリだった。




