第174話:愛してたと嘆くには
教会の一室にて。
二十代半ばの騎士が一人、長椅子の上に寝かされていた。
脇腹は真っ赤に染まっている。治療は施されていたが、その顔色からもう長くないことは明らかだった。そしてそれは、彼本人も悟っていた。
「何故、あんな真似をした?」
掛けられた声が咎めるではなく、心底残念そうな口調だったことに、騎士の目から涙が滲んだ。
「申し訳ございません。思わず体が勝手に動いてしまいました。俺を止めた、他の騎士達は無事でしょうか?」
無我夢中で剣を振った。その最中で、肉を切る手応えも何度か感じた気がする。
「他の部屋で治療中だ。無事とは言えないが。命に別状は無い」
「そうですか。良かった。本当に、良かったです。みんなにも、すまなかったと。どうか、お伝え願えないでしょうか」
「それは、君自身が――」
しかし、言いかけて。騎士の隣に座る男は、首を横に振った。
「分かった。他ならぬ君の頼みだ。必ず伝えると約束しよう」
「ありがとうございます」
浅い呼吸を繰り返し、掠れる声で。騎士は心から感謝を述べた。
「殿下。どうか、一つ教えて頂けないでしょうか?」
「何だ?」
「何故、あの方を刺されたのですか?」
霞んで、もうよく見えない視界の先で。それでも、主がこれ以上ないほどに苦悩の表情を見せているのが、騎士には分かった。
「すまない。君には、教えたくない。知らない方が良いことだ」
「お願いします」
文字通り、血を吐く思いで彼は懇願した。
「俺は。でんがを。こごろから、忠誠を。ぢがって。いるつもりです。殿下を。疑ったままでは、死んでも死にきれません」
主の腕を掴もうと、騎士の手が虚空を彷徨う。
その手を主は、手に取った。
「分かった。そこまで言うなら、教えよう」
逡巡を挟んで、主は答えた。
「彼女は。君の思っているような人じゃなかったんだ。保身のため、自分の敵となりそうな人間を何十人もむごたらしく殺していった。そういう女だった。証拠もある」
騎士は息を飲んだ。握ってくる主の手に力が籠もるのを騎士は感じた。
「私だって信じたくはなかった。しかし、これは事実なんだ。彼女の被害者が、誰もが清廉潔白だったという訳ではないかも知れない。彼女に対して、執拗な嫌がらせをした者もいたようだ。しかし、それでもやはり。彼女はやってはならない真似を次々と繰り返していたんだ」
主が苦悶の吐息を漏らすのを騎士はその手から感じた。
「君の彼女に対する想いを踏みにじるような真似をして、すまなかった」
騎士は力無く首を横に振った。
「頼みがある。君にこんな事を頼むのは、あまりにも自分勝手かも知れない。だが、君にしか出来ない頼みだ」
「なんで……しょう……か?」
「もしそれでも、君に彼女を想う心が少しでも残っているのなら。君の逝く先で、彼女を守り支えてやってはくれないだろうか?」
騎士は主の手を握り返した。もう、ほとんど手に力が入らなかったが。
"喜んで、お約束致します"
騎士は精一杯に口を動かしたつもりだったが。
それが、声として主に届いたかどうかは分からない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
日没間際。
夕闇の中をとぼとぼと歩きながら、ソルは乗合馬車乗り場へと向かう。
一度城に行って、知り合い達に協力は頼んだけれど。それからもずっと街中を駆け回った。おかげでもう、足はまともに動かない。
それでも、少しでもまだ足が動くのだからと。ソルは止まるのを止めなかった。
乗り場の奥から、ランタンを設置した馬車が移動してくる。これが、この乗り場の最終便になる。
すっかり人気が無くなって、静かなそこを歩いていると。ソルは一層、孤独を確認したような気になった。
現実的に考えて、リュンヌがここにいるはずがないのも分かっている。彼が"裁定を下す者"の手によって、世界から消されているというのなら勿論のこと。仮にどこか遠くへ行こうとしていたなら、留まっているはずも無いのだ。
乗り場だって、王都にはいくつもある。リュンヌがどこか遠くに行こうとしていたとして、それがここからであるという保証だって無い。ソルがここに来たのも、闇雲にあちこち探し回った挙げ句、やっと思い付いた中で最終便に間に合いそうな近場のところが、ここだったから来たというだけだ。
すべてが、遅すぎたのだ。
後悔なんてものをしたところで、何にもならないことは、ソルは身に染みてよく分かっているつもりだ。それでも、振り返っていくつもの「もしも」の可能性を考えずにはいられなかった。
流石にそろそろ戻らないとエトゥルも心配するだろう。だからこれが、今出来る限界だ。勿論、明日からもリュンヌを探し続けるつもりだし、見付けるまで諦めるつもりは無いが。
乾いた笑いを漏らして、ソルはあり得るはずの無い奇跡を夢想する。それでも、確認せずにはいられなかった。期待なんて、していないつもりでも。
馬車がゆっくりと、ベンチの前に向かっていく。
黄昏の中で、たった一人乗客が残っていた。その姿はよく分からないが。こんな時間でもまだ乗客が残っていたことに、ソルは微かな笑みを浮かべた。
あとほんの少しだけ。数秒後には期待が裏切られると分かっていても、今日の希望は続くのだから。
ランタンの灯りが届くところに、その乗客の顔が入る。
それを見て、ソルは息を飲む。あんなにも暗かった夕焼けが、この瞬間に色づいた。
彼女は弾けるように駆け出す。
「待って! お願い。待ってっ! 待ってよっ!」
ソルは無我夢中で叫んだ。
その影は、馬車に乗り込もうとして、その直前で脚を止め。ソルの方へと向いた。
ソルは、自分の都合のいい幻覚かとも思ったが、間違いなかった。見間違えようが無い。
彼は、呆然とソルを見て立ち尽くしていた。
「リュンヌっ!」
ソルはリュンヌに抱きついて。その胸に顔を埋めた。




