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第171話:大馬鹿者達

 もしも、あの世があるというのなら。

 地獄に落ちる前に、リュンヌに会いたいと思った。決して許しては貰えないだろうと思うけれど、それでもせめて謝りたかった。


 ああ、なんだ。本当に、あの世ってあったのかと。ぼんやりと、彼女は思う。

 うっすらと、彼女は目を開けた。

 途端、意識が鮮明になる。

 目の前には、サバトラ模様の猫の顔があった。しかも、見覚えがある。

 そうか。この子も、こうして待っていてくれたのかと、彼女は苦笑を浮かべる。


「おはよう。よく眠っていたようだね」

 不意に聞こえてきたその声。絶対に聞き間違えることも、忘れることも無いその声に、エリアナはびくりと体を震わせた。

「はっ!? えっ? なっ!? え?」

 慌てて周囲を見渡す。てっきり、地獄の入り口かと思っていたが。自分は柔らかく暖かい布団にくるまれていて。そのすぐ隣で、アストルが椅子に座ってこちらの顔を見ていた。

 思わずエリアナは布団を引っ張り上げ、顔を隠した。寝顔を見られていたかと思うと、恥ずかしくて堪らない。


「まあ、何にしても。無事でよかったよ。本当に、心配したんだからな?」

「どうして? 私、確かに窓から身を投げましたのに」

「そうだな。普通なら助からない。夜だから分からなかったし、すぐに気絶していたんだろうけど。あの下は、こんな事もあろうかと網を張っていたんだ。君はソルと君の友達に感謝するべきだよ。リコッテもスーリエも君を助けるために。本当に必要になるかどうか分からない仕掛けを準備したんだ。男達も手伝ったけど」


「リコッテが? スーリエも? どうして?」

 布団から顔を出し、呆然とした声をエリアナはあげる。

 リコッテは、もう完全に自分から離れたと思っていた。あの別れ以来、口もきいていないし。目も合わそうとしなかった。スーリエだって、彼女がソルを陥れるのに失敗してからというもの、どこか余所余所しい態度を見せるようになっていたというのに。


「君の友達だからだ。当たり前だろう。彼女らも、物凄く心配していたんだぞ。昨晩から泊まって、今は別室で休んでいるけれど。後で、よく謝っておいた方が良い」

「そう、ですわね。でも――」

 エリアナは、寂しげに微笑んだ。

「私はこれから、どうなるというんですの? 助けて貰ったのは、感謝しますけれど」

 それがこの先の自分の運命にとって、何の意味も無い話だと、エリアナは思う。


「どうもなりはしないよ」

「嘘よ。そんなはず、あり得ませんわ。だって、分かっているんでしょう? 私が、たとえソルを殺さなかったとしても。殺そうとしたことは、もう誰もが分かっているんでしょう?」

「あの夜会のことなら、君を会場から連れ出した後は、会場の参加者全員による推理ゲームが開かれたんだよ。ソルの死亡も、全部推理ゲームの導入の為の一芝居って説明してね。君が身投げしてからソルも会場に戻って、無事な姿を参加者達に見せたんだけど。迫真の演技だったって、囲まれたそうだ。迫真過ぎて、ドッキリにしても質が悪すぎると怒っていた人もいたらしい」

 その様子を想像してかアストルは口に拳を当てて笑った。


「だから、最初から最後まで、君の犯行は無かった。そういうことになっている。安心していい」

 しかし、エリアナは首を横に振る。

「ダメですわ。例えそうだとしても私はもう、人を殺してしまったんですの。リュンヌ=ノワールという少年を。そんなの、許される話じゃありませんわ」


"生きているよ"


 その言葉に、エリアナは耳を疑う。

「嘘」

「いいや、リュンヌは生きている」

「そんな? だって、葬式。お墓。私、あのとき確認しに見に行ったんですのよ? え? ええ?」


「やっぱり、ソルの予想通り来ていたのか。それも、芝居だよ。実際に、リュンヌには棺桶にまで入って貰ったりもしたけれどね」

「じゃあ、あの涙もお芝居ですの? 彼女のあれが? とても、そうは見えませんでしたわよ」

「護身用の催涙スプレーを使っていた。あの執念は、私も端から見ていて恐ろしいとすら思ったな」

「それは、効きますわよね」

 エリアナの頬が引き攣った。あれの威力は身に沁みている。分かっていて自分に使うのは、相当に勇気が要る。


「私からも、少し聞かせてくれないか?」

「何ですの?」


"リュンヌのことは、本当に殺す気だったのか?"


 エリアナは目を伏せた。小さく、首を横に振る。


「信じては貰えないでしょうけれど。そのつもりは、ありませんでしたわ。もしかしたら、死んでしまうかも知れないとは思いましたけれど。苦しんで思い知れば、それでいいと思っていましたの」

「いいや。信じるよ。やはり、そんなことだろうと思っていたから」


「やはり? どういうことですの?」

「その前に、もう一つ答えて欲しい。その、今君の前にいる猫。その猫のことを殺そうと考えたことはあるのか?」

「それも、ひょっとしてソルに言われたんですの? あの女も、私にそんなことを言っていましたもの」

 エリアナは頷く。


「ええ、そうですわ。私はこの子を殺そうとした。殺したら、それでもっと、残酷で容赦のない真似が出来る自分になれるって思いましたの。あの時の私には、それが必要だって思えたから」

「でも、殺さなかった」

「殺せませんでしたわ。何度も、何度も自分に言い聞かせて。殺そうって決意したつもりなのに、手が動かなくて。そうこうしているうちに、逃げられてしまいましたわ。恐い思いをさせてしまったからか、どれだけ探しても見つからなくて」


「そんな、猫も殺せないような君だから。リュンヌのことも、本気で殺す気は無かったって信じられるよ。それを抜きにしても、毒は学校で植えられている植物から採取したんだろう? 事故で飲むことがあっても、適切に処置すれば助かる程度のものしか植えられていない。図鑑で、そこまで確認したのか?」

「確認しようとしましたけれど、毒の強さまではよく分かりませんでしたわ」

 エリアナがそう答えると、アストルは苦笑した。


「ソルも言っていたけれど。君は悪いことをするのには向いていないんだよ。そして、私はそれでいいと思う」

 エリアナは溜息を吐きつつも笑って、布団の上で丸くなる猫を撫でた。

 殺されそうになった過去など知らないと言わんばかりに、猫は寛いだ姿を見せる。


「そういえば。どうしてこの子がここに? まさか、アストル様が見付けてくれたんですの?」

「いいや。見付けたのは君のところに出入りしていた商人だ。確か、アシェットと言ったかな? 営業を装って君の様子を確認しに行った帰り、家の前で弱って蹲っているのを保護したそうだ。彼女も、ソルの協力者だそうだ。どうやって二重スパイをしていたのか気になるなら、直接訊くと良い。それより、その猫が大変に悪戯好きで、元気になったと思ったら暴れ回って大変だったらしい。世話代は少々吹っ掛けるつもりだから、覚悟して欲しいって言っていた」

「あらあら、まったくこの子ったら」

 本当に、手の掛かる子だと思う。けれど、こうして再会出来たことが嬉しい。


「私の負けですわね。私は結局、何から何までソルの手の中だった。何一つとして、勝てるものなんて無かったんですのね」

 悪い夢を見ていた。そんな気がする。憑き物が落ちるというのは、きっとこういうことをいうのだと思った。

 もっと早く、この現実を受け入れるべきだったのだろう。それが出来なかったのも、自分の弱さのせいだと、エリアナは自嘲した。


「私、ようやくあの女を認められましたわ。アストル様、お幸せに」

「ああ、それなんだが――」

 アストルは頬を掻いた。


「私達はもう、別れたんだ」

 エリアナは目を白黒させた。そういえば、よく見るとアストルの耳にはもう、何も付いていなかった。

「ソルは、本当に私のことを好きだと言ってくれた。それは、本当だと思う。私も、本当に好きだった。嘘偽り無く」

「それなのに、どうして?」


「お互いに、どうしても捨てきれなかったものがあったから。かな? ソルは君のお陰で、リュンヌを失う事が何よりも耐え難いことだと気付いたと言っていた。そして私も、どうにかして君を守りたいと思ってしまった。これは統治者として有ってはならないし、人としても間違っていることなのかも知れない。でもそれが、つまりはそういう事なのだろうと思った」

 アストルは、ポケットからそれを取り出し、エリアナに見せた。片翼の鳥の装飾品。


「それは――」

「捨てられなかったんだ。どうしても、君のことが頭に引っ掛かって。ソルにも悪いと思って。何度も、吹っ切るべきだって思ったのに」

「私のことを振ったというのに?」

 アストルは俯いた。


「君に、嫌われていると思っていたんだ」

「どうしてっ!? どうして、そんなことを?」

 全く訳が分からないとエリアナは詰問した。

「あの頃の君が段々、笑ってくれなくなったから。私と一緒に居ることが、辛くなっているんじゃないかって考えたんだ。かといって、立場を考えたら君の方から別れを言い出すのも難しいっていうのも分かるようになって。君にはもっと、自由で幸せになって欲しかったんだ。私がその足枷になっているというのなら、それは嫌だった」


「そんなっ!? そんなわけないでしょう。それは、その。確かに私にも心当たりはありますわ。でもそれは、決して嫌いになったからではなくて。好きすぎて、変な顔を見せたくなくて、どういう顔をしたら良いのか分からなくなっていただけで――。ああもうっ!」

 乾いた笑いが、アストルの口から漏れた。


「私もあれから、身勝手だとは思いつつ。いつかは、君に相応しい男になって。もう一度、振り向かせられるようになりたいと思っていたんだ。努力はしていたつもりだ。けれど君はあれから、まるで私という枷が外れたかのように変わっていって。全然追い着かなくて、手が届かない相手になっていくように思えたんだ。そんな君を眩しく思っていた」

「わ、私の方こそ。もう一度あなたに振り向いて貰いたくて。だから、必死で変わろうとして。それで、頑張ったんですのよ?」

 エリアナは頭を抱えた。


「本当に、私は馬鹿だ。大馬鹿だな。君の本当の気持ちを全然理解出来ていなかった。ちゃんと、確かめるべきだったんだ。本当に済まなかった。エリアナ」

「いいえ。元はといえば、誤解されるような態度を取ってしまった私のせいですわ。私の方こそ。馬鹿でしたわ」

「私達は、これまで一体何をしていたんだろうな?」

「全くですわね」

 二人して、肩を落とし溜息を吐いた。


「それと、エリアナ? 一つ、言わせて貰って良いか?」

「何ですの?」

「さっき君は、ソルに勝てるようなところが何も無いって言っていたけれど。私はそうは思わない」

「一体、どこがそうだというんですの?」


「笑顔だよ。私はそこに、心を掴まれたんだ」

「馬鹿」

 顔を真っ赤にして、無理に慣れないことを言ってくるアストルを見ながら。エリアナもまた唇を尖らせつつ、顔を赤くした。


「今度会ったら。ソルには謝らないといけませんわね。どれだけ言葉を尽くしても、足りる気がしませんけれど」

「謝罪? ああ、そうだった。危うく忘れるところだった」

 頭を掻いて。ベッドの陰から、アストルは盥を取り出してきた。

 あまりこの場に似つかわしくないものが出てきたことに、エリアナは首を傾げる。


「ちょっと、これを持ってくれるか?」

「はあ? まあ、いいですけれど」

 怪訝な表情を浮かべながらも、エリアナは猫を一旦脇に置いて、盥を手に持った。

「口、開けて?」

 今度は、アストルは小箱から黒い丸薬を一粒摘まむ。


「何ですのそれ? まさか、毒ではないですわよね?」

 エリアナは半眼を浮かべた。

「まさか。毒ではないよ。私が、そんなものを君に飲ませると思うか?」

 確かに。と、エリアナは大きく口を開けた。その中に、アストルは丸薬を入れた。

 エリアナの喉が上下した数秒後。彼女は血相を変える。


「おげええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

 エリアナは、盥の中へと吐いた。

 その様子を眺めながら、顎に手を当ててアストルは興味深そうに頷く。


「ふむ」

「『ふむ』じゃありませんわああああああああああぁぁぁぁぁっ!? 何ですのこれ? これ、絶対に毒ですわよね? やっぱり、私は死罪になるっていうことですの?」

「いや? それは違う」


「嘘おっしゃいっ! 正直に言わないと、引っ掻きますわよっ!?」

 涙目で威嚇するエリアナに対し、アストルは苦笑い浮かべながら、落ち着けと両手を挙げる。

「ソルからの伝言だ。『これはお仕置きですわ。リュンヌが受けた苦しみはきっちりお返しするから、覚悟なさい。100回は飲ます』だそうだ。あと、これを99回は飲まないと許さないらしい。それも、確認出来るように今後は彼女の目の前で」

「きゅぅっ!?」

 エリアナは絶句し、目を見開いた。


 しかし、ゆっくりとその意味を理解していく。

「い、嫌ああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ~~~~っ!?」

 王城に、エリアナの悲鳴が響いた。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 こういうのは、やはり恥ずかしいし。それに、勇気が要る。

 いくら、信憑性が高い情報を得られたとは言っても、確実な言葉として得られたものではないのだから。

 それでも、今はこうして一歩を踏み出す勇気を持てる自分になれたと、ソルはそう思う。


 長く、自分を偽っていたように思う。相手を偽ろうとしていたとも思う。けれど、そういうのではないのだ。こういう気持ちは、ありのままのに伝えるべきなのだと。ソルはそう思う。

 エトゥルが静養しているのと同じ家の別室で、リュンヌも同様に静養していた。


 休養も充分に取れて、彼は今ではほとんど元の状態に戻っている。来週には、学校にも復帰する予定だ。

 彼がいる部屋のドアの前で、ソルは軽く咳払いした。深呼吸して、心を落ち着ける。

 前に彼は「笑顔です」なんて、恥ずかしい台詞を言ってきた。それが嘘でないなら、これもきっと効果的だとソルは満面の笑顔を浮かべる。

 気合いを込めて、ソルはドアを開けた。


「リュンヌ。私、あなたに大事な話が――」

 ソルは最後までその言葉を言うこと無く、その場に固まった。

 部屋は無人だった。ベッドの上も、布団がぴっちりと整えられていて。ここに来る前の状態そのままで、人の気配が無くなって久しい。そんな状態だった。

 まるで、リュンヌ=ノワールという少年の存在そのものが世界から消えて無くなったかのような。そんな光景だった。


 ソルの頭に、この世界に来た頃に聞いた言葉が蘇る。「万一誰とも結ばれなかった場合は、相応の罰則がある」「ソル様とはそれ以上の関係はあり得ない」。そういった説明をリュンヌからされた。

 ソルは嫌な予感が湧き上がるのを抑え込む。今ここには、自分しかいない。彼を喚べる条件は整っている。


「リュンヌ。来て頂戴」

 祈るような気持ちで、ソルは彼の名前を呼ぶ。

 しかし、どれだけ待っても。何度繰り返し呼び掛けても。彼は姿を現さなかった。

 何となくという感覚でしかないが。声が彼に届いていない。彼とどこかで繋がっていたような感覚が、プツリと切れているような。そんな感触を覚える。


「つまり、これが? そういうこと。ですの?」

 ソルは力無くへたり込んだ。

エリアナ「あの女、絶対に変な性癖持っていますわよ?(嘔吐きながら)」

アストル「正直、私もそう思う(遠い目)」


【悲鳴の後】

リコッテ「悲鳴!?」

スーリエ「アストル殿下とエリアナがいる部屋からよっ!?」


部屋へと駆け込む二人。


リコッテ&スーリエ「何事っ!?」

エリアナ「ひっく……ひっく。こんなの酷いですわ。あんまりよ。(布団で顔を覆いながら)」

アストル「いやあの? ちょっと待て?」

リコッテ「(ベッドの上で、泣き濡れる美少女っ!?)」

エリアナ「私、アストル様のこと信じていたのに。無理矢理、こんな事しないって」

スーリエ「(ベッドの上で、泣き濡れる美少女っ!?)」

エリアナ「嫌だって。言ったのに。アストル様が……」

アストル「待て待て待て待てっ!? エリアナ? 言い方っ! これは違う。二人とも、これは誤解なんだっ!」

リコッテ&スーリエ「「問答無用~~~~っ!!」」


【リュンヌ=ノワールの消失】

ソル「リュンヌはどこだ? あの馬鹿はどこだ!(甲冑を着込みながら)」

エトゥル「次元を超えた叡智を探求しに行くって言ってました!」

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