Ep.2-2
「……どうだ。これが、大地や生物の代謝サイクルを正しく回して育てた、本物の味だ」
俺はあえて、リーゼの野菜を一欠片つまんで口に入れた。咀嚼するたびに広がるのは、スカスカした食感と、水分と共に抜けてしまった本来の甘み。おそらく、魔法による無理な成長促進の代償として、微量栄養素やビタミン類はほとんど成育されていないのだろう。
俺は喉を通る味気ない繊維を飲み込み、彼らを冷ややかに見据えた。
「し、しかし……一体これはどういうことだ。不思議と、次から次に手が伸びる……」
リーゼは困惑の色を隠せないまま、俺の野菜を貪り始めた。
「それは、お前たちの身体が『本物の栄養』を本能として求めているからだ」
俺はリュックから人参を取り出し、手早く切り分けて彼女に差し出した。
リーゼは疑うような目でそれを受け取り、一口かじる。途端、彼女は目を丸くして口を押さえた。
「……あま……いっ!?」
「アンタ、さっきから薄暗い部屋の中で目を凝らして作業していたな」
俺は彼女の反応を見逃さず、静かに告げた。
「アンタはおそらく、重度のビタミンA不足だ。夜盲症が進んでいるはずだ」
「や、もうしょう? 何だいそれは」
「ああ、鳥目とも言う。ビタミンAは暗所での視力を支えるロドプシンという物質の合成に不可欠だ。お前たちが崇拝するその『魔法野菜』には、ビタミン類が欠落している。魔法で育てたのは野菜の『形』だけで、肝心の『命』を育てていなかったんだよ」
「な、なんと言うことだ……。ワシもだ。最近どうも体が重く、足が痺れて動きにくい。……ただの老い、歳のせいだと思っていたのだが」
グレイの顔から、先ほどまでの横柄な笑みが消え失せた。恐怖と困惑が、その老いた顔に刻まれている。
「そうか。少し座ってみてくれ」
俺は促し、グレイが椅子に深く腰掛けたのを確認すると、リュックから作業用の木槌を取り出した。
「な、なんじゃ? 何をしている。そんな道具で、まじないでもするつもりか?」
不思議そうに眉をひそめるグレイの隣にしゃがみ込み、俺はその膝下を木槌でコツリと軽く叩いた。
……反応はない。
膝蓋腱反射が全く見られない。
「……なるほど。やはりな」
「なんだ、ワシの足はどうなっておるのだ?」
「お前は『脚気』だな」
「か、カッケ……?」
グレイは聞き慣れない言葉に、間抜けな声で繰り返した。
「ああ。栄養価が抜け落ちたものばかり食い、野菜も魔法で育ったカスのような代物ばかり……。要するに、ビタミンB1の深刻な欠乏状態だ。放置すれば心不全で死ぬぞ。マリアの症状と同じようにな」
「おお……なんということだ! どうか教えてくれ、私たちはどうすれば助かるのだ!?」
恐怖に駆られたグレイが、先ほどまでの威厳などどこへやら、藁をも掴む思いで俺にすがりついてきた。
俺はそれから約五時間にわたり、魔法農法がいかにして土壌の微生物を殺し、作物の栄養価を奪い去っているかについて、こんこんと講義を行った。
特にリーゼは、魔法を信仰に近いレベルで崇めていたため、当初は反発の色を隠そうともしなかった。だが、俺が提示する栄養学的な根拠と、実際に目の前にある「本物の野菜」の衝撃的な味の前では、彼女の妄信も崩れ去るしかなかった。
「……そ、そうだったのか。我々は……なんて愚かなことをしていたんだ」
五時間、いや正確には五時間二十五分の講義の末、二人の目は完全に正気に戻っていた。
グレイは立ち上がると、老体に鞭を打つようにして深く頭を下げた。
「いや、別に謝罪を求めてここに来たわけじゃない」
俺は冷ややかにそう言って、彼らの謝罪を遮った。
「俺は交渉しに来たんだ。……あんたたちが健康を取り戻すまで、俺の育てた野菜を毎日提供してやる。だが、その代わり……」
俺の提案に、二人は食い入るような視線を向けた。もはや拒否権などないことを、彼ら自身が誰よりも理解していた。
「すごい! 前の家よりずっと立派で綺麗だよ!」
ミーニャが新居の中を弾むように駆け回る。マリアも、真新しい木の机や椅子の手触りを何度も確かめ、感極まった様子で微笑んでいた。
「急ごしらえで済まないな。村の衆も、最初は渋っていたが……お前の野菜を食って身体が軽くなったと分かると、率先して手伝いに出てくれたよ」
村長グレイが、気まずそうに、しかし誇らしげに言う。村人たちの敵意が霧散したことを、彼なりの言葉で伝えてきたのだ。
「……感心したよ。こんな短期間でこれだけの建物ができるなんて。あんた、大工か?」
俺が尋ねると、グレイは少し照れくさそうに笑った。
「まあな。昔は城直属の大工をやっていたんだ。そこでリーゼと出会ってだな、その……」
「いや、あんたの惚気話には興味がない」
俺がバッサリと切り捨てると、グレイは「へへっ」と苦笑した。
「それにしても、お前の野菜は魔法よりよっぽど効くな。見てくれ、今のワシなら城壁だって駆け上がれるぞ」
グレイはその場で軽快に駆け足をして見せた。あの時の脚気による足の痺れは、見る影もない。
「あんまり無理をするな。……それじゃ、俺はこれで」
俺が手を振って帰路につこうとした、その時だった。
「待ってくれ!」
背後でどよめきが起こる。振り返ると、そこには村人たちがわらわらと集まり、俺の前に奇妙な行列を作っていた。
「ひっ!? い、一体なんだ!?」
思わず声が裏返る。
「わしは最近、どうも目が霞んでのう」
「わしは夜中の小便が近くて眠れんのだ」
「肩が上がらんのじゃ、コータさん、なんとかしてくれ!」
押し寄せる村人たちの悲痛な訴え。
「……俺は医者じゃないぞ!」
俺は悲鳴を上げてその場から走り出した。村外れにある我が家を目指して全速力で駆け抜ける。
だが、そんな俺の必死な抵抗も虚しく――翌日から俺の家の前には、栄養改善を求める村人たちの長蛇の列が作られることになった。
それは、変人扱いされていた「農学者」が、図らずも村の「救世主」として祀り上げられた瞬間であった。




