Ep.1-1
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前世で農学を修めた主人公コータが、魔法信仰の強い異世界で科学的な農法を貫くお話です。
「魔法で大きくすればいい」という常識に対し、コータが土壌・栄養学・そして論理的な話術で周囲を論破していくスカッと感を重視しています。
無骨なコータの、少し理屈っぽいけれど愛嬌のある日常。
そして、巻き起こる外的要因に振り回されていくコータの姿をお楽しみください。
サァァ------------。
夜のとばりが降りる頃、にわか雨が降り出した。
俺は作りたてのトウモロコシのスープをすすりながら、雨に濡れていく畑を家の窓から眺めていた。作物が水分を吸い込み、瑞々しさを増していく。
「……恵みの雨だな」
思わず言葉が漏れた。
前世、営業職だった頃の俺は、雨を忌々しいものとして扱っていた。訪問先への移動は面倒だし、革靴は汚れる。ノルマに追われる日々の中で、雨は面倒でしかなかった。それが今では、これほどまでに慈しみの対象になるとは。人はここまで変われるものか。俺は自嘲気味に口角を上げた。
前世の俺は帝都大学農学部大学院を卒業し、超大手企業に進んだ。志望は研究職だったが、配属されたのは営業部。連日のノルマと顧客の理不尽な要求に、精神は少しずつ摩耗していった。
そんな俺の唯一の拠り所が、都内に借りた小さな区画菜園だった。泥にまみれ、植物と向き合っている時だけは、自分を取り戻すことができた。だが、過労とストレスは無情にも俺の命を削り、気がつけば俺はこの世界に転生していた。
今の俺の暮らしは、辺境の痩せた土地にある。父であるカミュと二人、文字通り開墾から始めた生活だ。
この世界の農業は、「魔法農法」が主流である。貴族や魔法使いが魔力を土に注ぎ込み、野菜を無理やり成長させる。だが、魔法の素質など微塵もなかった俺たちは、必然的に「科学の力」を選ぶしかなかった。
大学で培った土壌学と有機栽培の知識。それを泥臭く実践し続けた結果、今では年間を通して数十種類の野菜を収穫し、灌漑を整えて米まで育てるようになった。家畜の飼育も安定し、加工肉も手に入る。
カミュは数年前に他界した。最期まで彼が繰り返したのは、呪文のような遺言だった。
『日々は質素に。目立たぬよう。今日食べる分だけを収穫し、明日の種を残せ』
その言葉は、今、この世界で17歳になった俺の心に重石のように、あるいは守護者のように根付いている。
父の死後、俺は一人になった。
少し離れた場所には村があるが、俺たちはそこで「つまはじき」にされていた。カミュが意図的に彼らとの交流を避けていたのもあるが、何より、俺の行う農法がこの世界の常識からあまりに逸脱していたからだろう。魔力に頼らず、微生物を飼い、土を育てる。彼らの目には、俺が泥遊びに興じる異端者として映っているに違いない。
想像してほしい。訪問先の住人が、こともあろうに糞尿の中に手を突っ込み、一心不乱にかき回していたらどう思うか。俺だって、その場から逃げ出すか、卒倒する自信がある。
だが、この作業は俺の農法における聖域だ。微生物による分解を促し、温度計のないこの世界で、適切な温度管理を行うためには、己の手で発酵状態を確認するほかない。適度な温度を保ち、水分を管理しなければ、寄生虫の温床にもなりかねない。それは科学的根拠に基づいた、必要不可欠な工程だ。
この泥臭い努力の甲斐あって、痩せ細っていた辺境の土地は、見違えるほど豊かになった。土が生き返り、今や俺の畑は一年中、青々とした野菜で溢れている。
だが、村人たちにはそんな理屈など届かない。彼らにとって俺は、汚物をこねくり回すだけの狂人だ。文字通り「鼻つまみ者」として、徹底的に忌み嫌われている。
だが、構わない。前世で人付き合いの複雑さに疲れ果てた俺には、この静寂こそが何よりの報酬だった。土と対話し、家畜を愛で、循環する命をいただく。この閉じた、しかし確実なサイクルの中にこそ、俺の魂は安らぎを得ていたのだ。
ギイッと、外の門のが聞こえた。
こんな時間に誰か来たのか。俺は飲みかけのスープを卓に置くと、扉へと向かった。
戸を開けた瞬間、雨のしずくと共に、ずぶ濡れの影が飛び込んできた。
そこに立っていたのは、小さな女の子だった。見覚えはある。村の子供だ。
「……どうした。こんな時間に、用か?」
「……はい。ミーニャ、です」
ミーニャと名乗った少女は、雨に打たれ続け、体温を奪われていたのか、小さく肩を震わせていた。俺は無言で身を退き、彼女を家の中へ招き入れると、乾いた布を放り投げた。
ミーニャは12歳くらいだろうか。思春期特有のニキビが頬にいくつか見え、不安げに目を彷徨わせている。俺は椅子に腰を下ろすと、単刀直入に尋ねた。
「で、用件は?」
口からこぼれたのは、困窮の告白だった。一緒に暮らす祖母のマリアが床に臥せり、内職ができなくなったこと。そのせいで昨日から、まともな食事にありつけていないこと。村の連中は俺を忌み嫌うが、この少女にはそんな偏見よりも、目の前の空腹の方が切実だったらしい。
俺は肩をすくめると、残り物のトウモロコシのスープを温め直し、自家製の小麦パンを切り分けた。
「ひたして食うと、うまいぞ」
ぶっきらぼうに言い放つと、ミーニャは躊躇いもなくかぶりついた。スープにパンを浸しては、夢中で口に運んでいる。俺の手製のパンを、彼女は驚くほど旨そうに咀嚼し、最後には花が咲いたような安堵の笑みを向けてきた。俺はミーニャのスープまみれになった口を、布でそっと拭ってやる。
ミーニャが少し落ち着いたのを見計らい、俺は聞いた。
「で、婆さんの具合はどう悪いんだ?」
「えっとね、とにかく息苦しいみたいで……夜も咳き込んで眠れないの。食欲も全然なくて」
彼女の話によれば、周囲の村人は「ただの風邪だ」と言い、効きもしない魔法や魔除けのまじないを施しているらしい。さらに「高齢だから仕方ない」と切り捨て、最後には上級魔導士の祈祷を推奨されたという。
「うちは上級魔導士に祈祷をお願いするお金なんて、とても……」
打ちひしがれるミーニャに向かって俺は聞いた。
「足が腫れたりはしていないか?」
「え?足?……うーん、関係ないと思うけど。そういえば、最近『足が重い』とは言ってるかも。風邪で身体がだるいだけだと思ってたんだけど」
俺は黙ってリュックを背負った。中には先ほど用意した野菜と、冬瓜に小豆、山椒、そしてパンの残りを詰め込んである。
「行くぞ」
「え……どこに?」
「決まってるだろ。お前んちだ」
ミーニャが目を丸くして固まる。俺は親父が愛用していた古いカッパを羽織り、適当な傘を彼女に差し出した。




