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追放された雑用係、敗戦処理の天才だった ~崩壊寸前の辺境領を立て直す~   作者: 山田鰻
第十五章 北の兆し

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一か月早い線

砦の門で、荷はもう一度半分になった。


道倉から上げた車は軽くしたはずだった。蹄鉄釘の小箱一つ/乾いた麻縄二束/灯油の小壺一つ/戻り分を残した食料袋。それでも門の内側に入る前に、砦兵が荷台へ手をかけた。


「灯油はここで止めます」


「門内へ入れないのか」


エルクの声に、兵が首を振る。


「入れる手が足りません。壺を割ると今夜の灯りが減ります。ここで受け、門横の小棚に置きます」


門横の小棚は、棚と呼ぶには浅かった。板二枚を壁に渡し、縄で押さえただけの場所だ。雨は防げる。風は防げない。


ガレスが棚の下を見た。


「水が回る」「布を敷きます」「布が濡れたら壺も滑る」


兵は言い返さなかった。棚の下には黒い水跡が残っている。


門内を見る。砦は小さい。石壁は低くないが広くもない。中央の広場には矢束を干す台が二つある。片方には古い縄。もう片方は空いている。空いているのではなく、置く手が回っていない。


壁上には四人いるはずだった。見えたのは三人。


「一人は」


「北の段へ回しています」


案内役の兵が答えた。


「荷受けの一人では」


「同じ者です」


紙の上で見た重なりが壁の上にいた。荷を受ける手/見張る目/夜に起きている体。同じ一人を三つの場所が待っている。


「小砦の名はどこに」


案内役は一瞬だけ迷い、砦内の板壁へ向かった。


板壁には古い地図が打ちつけてあった。雨で端が膨らみ、北側だけが何度も指でなぞられて薄くなっている。小さな木片が三つ、細い釘で留められていた。


西尾根見張り。古炭道柵。北谷口小砦。


三つとも守る場所として残っている。だがどの木片にも新しい紐がかかっていない。紐は人を置く印だ。


「空けているのか」


エルクが低く聞いた。「空けてはいません」


案内役の返事は早かった。


「見回りでつないでいます」


「常駐ではない」「はい」


その違いは大きい。常にいる者と、来るはずの者は違う。火事を見つける役と、焼けたあとに数える役ほど違う。


砦の奥で乾いた咳がした。負傷兵ではない。眠っていない者の咳だった。


「夜番は何人で回していますか」


「二人一組を三回。今は一組だけ一人です」


「一人の夜番は何日目」


「五日目です」


エルクの顔が変わった。


「五日、一人で壁を見ているのか」


「壁全部ではありません。北の段だけです」


「同じだ」


声が荒くなりかけたところで、ガレスが矢束台に手を置いた。


「縄が古い」


話が切れた。エルクも兵も矢束台を見る。


古い縄は乾いている。乾いているが白く毛羽立っていた。引けばすぐ切れるほどではない。だが矢束を強く縛れば途中で裂ける。


「乾いていればいい、ではありません」


北道確認の紙を開いた。


「乾いていて使える縄。乾いているが使えない縄。濡れていて干せば戻る縄。三つに分けてください」


案内役の兵が頷き、すぐ動こうとした。


「あなたは壁へ」


足が止まる。


「ここで分ける手は道倉から来た者で足ります。壁の一人を減らさないでください」


兵の喉が動いた。礼は言わない。だが背を向ける速さが変わった。


砦の記録棚は奥の狭い部屋にあった。棚と言っても積まれた板箱に紙束を差し込んだだけだ。日付順ではない。濡れた紙/乾いた紙/急ぎの紙/戻ってきた紙が紐で分けられている。


一番上に北谷筋の控えがあった。魔物三群。南斜面へ移る。被害なし。その書き方は、領へ届いた定型報告と同じだ。ただ枚数が違った。


一枚目は二日早い。次は七日早い。その次は十八日早い。最新の紙には、薄い字でこうあった。


例年より一か月早い。


エルクが紙へ手を伸ばしかけ、止めた。


「一か月」「はい」


案内役とは別の記録係が答えた。目の下が青い。眠っていない者の顔だった。


「例年なら初雪の前後に南斜面へ下ります。今年は初霜のあとすぐです」


「被害は」


「まだありません」


まだ。


その一語だけが紙より先に砦内へ広がっていた。


「数は増えていますか」


「群れの数は三のままです」


「大きさは」


「遠目では同じに見えます」


「近づいた日は」


記録係が別の紙を探した。すぐには出ない。紐を二つ外し、湿った端を押さえ、ようやく一枚を出す。


「北谷筋の外れまで四日前です」


「去年は」


「同じ場所は雪のあとです」


紙の端に去年の印があった。雪のあと。今季は雪の前。差はもう日数ではなく季節のずれだった。


余計な推測はどの紙にもない。それでよかった。見えていないことを紙に入れると、次の判断が濁る。


「控えを変えます」


新しい紙を出した。群れの数/初見日/南斜面へ移った日/北谷筋外れへ来た日/前年との差/被害/砦までの距離。


「備考の欄は」


記録係が聞いた。


「作りません」


エルクがこちらを見る。


「何も書かないのか」


「探します。けれど見つける前に書く欄はいりません」


紙に空欄があれば人は埋めたくなる。埋めるための言葉は、事実より先に来る。今ほしいのは言葉ではない。日付と距離だ。


ガレスが古い控えの端を押さえた。


「去年の紙も濡れているな」


「北の段で写したあと、戻りが遅れました」


「なら写しを一枚増やせ。濡れても日付だけは残せ」


記録係が頷く。疲れた顔のまま筆を取った。


外で鐘が一度鳴った。敵襲の鐘ではない。門の開閉を知らせる短い音だ。道倉からの軽い車が、砦の内側へ入ったのだろう。


「今夜、北の段を二人に戻せますか」


「荷受けを減らせば」


記録係の声は小さい。


「荷受けを減らすと、明日の荷が止まります」


「なら夜番が一人です」


同じところへ戻る。荷を入れると壁が薄くなる。壁を厚くすると荷が止まる。荷が止まると明日の壁が薄くなる。


板壁の地図を見る。三つの木片が紐なしで並んでいる。西尾根見張り/古炭道柵/北谷口小砦。守る場所として残され、置く人だけが足りない場所。


「今夜は北の段を二人に戻してください」


エルクが口を開きかけた。


「荷受けは道倉側で明朝に回します。今日は、砦内へ入れる荷を増やさない」


「足りないのに入れないのか」


「入れても、受ける手が倒れます」


鐘がもう一度鳴った。今度は門ではない。北側の見張り台から短く二つ。


記録係の筆が止まる。案内役の兵が扉の外から顔を出した。


「北谷筋です。煙はありません。ただ、群れが南斜面の下に見えたと」


エルクが先に動いた。


新しい控えの最後に、まだ乾いていない文字を書く。


一か月早い。距離、未確認。見たものだけ。

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